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世界でいちばん不幸で幸せな私

世界でいちばん不幸で幸せな私 Jeu d'enfant (2003) 

「これはある1つの“ゲーム”にとらわれた2人の、
長い長い“愛のお話”です。」

Cap ou pas cap?
「のる?のらない?」
幼馴染のソフィーとジュリアンは、すべてをゲームにしていた。
お菓子の缶を持っているほうが、ゲームを決める。
ルールは、「必ずのること」「危険を顧みないこと」「一回ごとに缶の持ち主は交代すること」

最初はお互いを思いやるゲームだったのに、
成長し、友情から愛情に変わるにつれ、お互いの気持ちの試しあいになっていく。
「お互いのことを好きと認める以外は何でもやる」
どれだけ相手を傷つけて、傷つけられて、別々に生きても、決して忘れることのできない存在。
激しいゲームの応酬の果てに、二人が行き着く未来は?

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自分が歩んできた道と、内容は違っても、似たような経験をしている人とうまくいく。
なにかの本にそうありました。
そう考えると幼馴染のカップルは理想的に感じます。
この二人は、いじめや母親の死といった悲しみを、幼い二人で乗り越えていきます。
ただ生活環境の違い、お互いを取り巻く社会の違いから、歯車がおかしな方向へ転がっていく。
見えない社会カテゴリーCategorie sociale の壁を乗り越えるためには、「お互いが好き」というシンプルな関係を、こんな苦悩と行き場のない結末へ押し流してしまうのでしょうか?

似た環境の人との「幸せ」がうわっつらに思えるほど、この二人の愛憎に満ち、長い年月をかけて築いてきた「深い絆」が、うらやましくすらおもえてきます。

いろんな違い、学歴や生まれ育った環境が違うことで一緒になることをためらっている二人がいたら、
この映画の結末を見ると、そんなことに囚われるなんてばかばかしくなってくるかもしれません。
もし自分の気持ちに正直に目を向けず、まわりの意見に流されて幸せの形だけを求めていたら、こんなに苦しむことになるかもしれないと。
常識や理想や世間体で選んだ人生より、誰と自分が幸せになれるか、どうしたらその人と幸せになれるかを、もがいても苦しんでもちゃんと考えたほうがいいと。
Cap ou pas cap? 口癖になります。

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