【小学校1年生が感じる幸せとは・・・】

【アイマナビー 】
〜学び愛、学びi、学び合い、学び逢い〜

幼児教室(能力開発塾)の元講師。
《0歳〜小学校6年生》を対象に
112名以上の生徒を担任として受け持ち
100組以上の親子と関わってきた経験から
「学び」を通して、子ども一人一人の可能性を信じ、
楽しい子育てをサポートをしている
ゆうり先生ことtakara yuuriです♡

ゆうり先生のことを詳しく知りたい方はコチラ


私が担任を受け持っていた小学校1年生クラス。
レッスン中の出来事。
私が勤めていた教室では、学習塾とは一味違って子ども一人一人の能力の可能性を信じ、いわゆる右脳教育をしていた教室でした。


そんな教室で、カリキュラムの中に、日常の中で感じる『幸せ』に感じる出来事を書き出すワークがありました。


講師である私が思い浮かぶ物とすれば、
「家族が健康である事」
「生徒が日々笑顔で過ごす事」
「当たり前と思える日常の生活」
と大人になってから感じる、日常のありがたみ。

そう言った類を思い浮かべるのですが・・・

私が受け持った小学校1年生の答えは意外な物でした。


「先生!何もない。」


私はヒントになるように
「友達と過ごす時間は?」


と、気持ちを引き出そうとしますが・・・
「それ、当たり前だし。」
「幸せというか、それ・・・普通。」


との一言。


講師の私からしたら
『普通かぁ。。。』
『当たり前ってなんだろう?』


実は「普通」「当たり前」
という、そういう回答。
一人と言わず
数名の子から出た答えでした。


大人からしたら・・・
『食事に困る事なく過ごしている日々。』
『戦争がなく平和な日々』
『自然のありがたみ』


そう言った日頃の小さな幸せって、幼少時代の辛い経験をしてきた人ほど、『普通のありがたみ』って痛いほど感じると思うんです。

私の場合、兄弟が多くて、平成の時代では珍しい光熱費が払えなくて電気が止まった事が度々ありますし、最後の砦とされている《水道》さえ止められて、トイレに行きたい時は近所のガソリンスタンドのトイレを借りたりしていました。


国民保険の集金のおばちゃんがきた時は、両親は居留守を使って私たち子供が対応するのがお決まり。


集金のおばちゃんから言われた一言。。。
「保険料を払うのが当たり前だけどね〜」。。。
「他の人は普通払うよ???」

当時中学生の私。
『「普通」「当たり前」。って何?』

子供ながらに馬鹿にされた感じがして、胸底悪い気持ちが湧き上がった事を今でも覚えています。

親が惨めな思いしているのを理解しながら(集金のおばちゃんを)対応している気持ちわかりますか?


『当たり前にしたくてもできないんだよ!!!』
『低所得な庶民を見下しやがって!絶対見返してやる』


と、言葉は悪いですが・・・
そう誓った日がありました。


そんな思いをしてきた私ですから、
生徒が日常の生活を『当たり前。普通。』
と回答したのは、時代もあり、
高所得の方が通う幼児教室だったからそのような回答になった子が多かったのかと感じました。


《wthiコロナの時代》

の時期には幼児教室の講師を退職した後だったので、当時の生徒がどう感じたのかは不明ですが。。。


当たり前のことを
感謝していてくれたら嬉しいなぁ。
と感じる今日この頃。。。


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