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『紙の上の魔法使い』月社妃を愛していた(ネタバレ有)

 本記事は『紙の上の魔法使い』本編について、月社妃のことを綴ったものです。先日発売されたASMRについては触れていません。

 初手からネタバレしていくので未プレイの方は読むな!!!!
 あと『絶園のテンペスト』のネタバレも踏んでいくので気を付けてください。

一. 概要と背景

 2014年12月19日にウグイスカグラよりリリースされた本作はもうすぐ10周年を迎える。2024年7月15日には月社妃ASMR『愛した妹にもう一度会えたとしても。』がトトメトリ名義で発売され、10月7日にはブランド最新作『プトリカ1st.cut』の発売も予定されている。
 本作のキャッチコピーは「キミと本との恋をしよう」であり、たぶん言うまでもなく「本との」は「ほんと(本当)の」とかかっている。エモい。ホームページのコンセプトに記載されている通り、青春譚恋愛譚幻想奇譚の三本柱で物語は進行していく。軸がぶれることはなくまっすぐであるところはかなり評価できた。欲を言えば青春部分をもう少し彩ってほしかった。とはいえ大部分で満足のいく構成だった。
 構成といえば、本作は一章から十三章と個別シナリオからなっており、前半は各章完結のオムニバス形式となっている。後半はクライマックスまで、いわゆる解決編のような部分に相当し、伏線の回収や種明かしに終始していた。

 さて、ここからは本作はいったん置いておいて、少しだけ別作品の話をしたいと思う。それは私の始まりの物語――『絶園のテンペスト』
 ミリ猫記事でも少し触れたこの作品は、シェイクスピアの『ハムレット』と『テンペスト』という復讐譚をベースに描かれる。片や悲劇、片や喜劇。同じ復讐譚でも真逆の結末を迎える二つの物語を引用し、絶園のテンペストは展開される。物語の始まりは不破愛花の死。彼女の死に納得できない義理の兄 不破真広は復讐を決意する。そんな真広のもとに魔法使い鎖部葉風からボトルメールが届き、世界を巻き込んだ復讐が始まる。主人公は真広の復讐に巻き込まれた親友の滝川吉野。そんな吉野は実は愛花の恋人だった(序盤で明かされる)。
 言及したいのは不破愛花という少女についてである。私の人生は彼女によって狂ったといっても過言ではない。愛花はいわゆる故人ヒロインで、で、後輩である。吉野と付き合っていることを周囲に隠すために、人前では吉野に冷たい態度をとり続け、周囲を欺いた彼女は、しかし吉野を愛していた。滝川吉野には不破愛花しかおらず、不破愛花には滝川吉野しかいなかった。そんな彼女の死因は自殺。吉野と真広のために、愛花は逝った。

 以下、不破愛花をからめつつ、月社妃を想いながら、感情を吐き出したい。

二. 月社妃の人物像

 本節では作中のシーンを引用しながら月社妃の人物像に迫る。

 読者にとっては月社妃との出会い。四條瑠璃にとっては二年ぶりの再会。月社妃の初めてのセリフは「海が嫌い」ということを主張するものだった。第一印象というものはとても大事で、或いは二度と変わらない認識だったりする。月社妃のこの言葉から受けるのは、否定し嫌悪しながらも受け入れてくれる、そんな懐の深さだ。それは決して、伏見理央のような肯定し受け入れて、包み込んでくれるような優しさではない。

「本土での生活は、いかがでしたか? 私のいない場所では、さぞのんびり出来たことでしょうね」
肩を並べながら、久方ぶりの雑談に興じる。
瑠璃「ああ、平和で素敵な毎日だったよ」
「無味乾燥」
瑠璃「幸せで愉快な日常だった」
「退廃的で無刺激な時間の本流」
瑠璃「……お前なあ」
勝手に人の毎日を決めつけやがって。
「それでも、これからはとても起伏のある毎日になりますよ」
ぴん、と指を立てて、唇の端を吊り上げる。
「これから瑠璃を、たくさん可愛がってさしあげましょう。たくさん、虐めてさしあげましょう」
瑠璃「そういうところも、相変わらずだな」
兄を兄とも思わずに、妃は俺のことを扱う。
昔から、いつだって、そうだった。
「何故なら、私は瑠璃のことが、大嫌いですから」

(中略)

「もっともっと、瑠璃のことを嫌いになりたいですね。積極的に、嫌ってあげたいです。あなたはどんな風に、鳴いてくれるのでしょうか」
瑠璃「とんでもない妹を持てて、俺は幸せだよ」
不機嫌を目いっぱいに込めて、嫌みを送る。
「あら、それは残念ですね」
心底つまらなさそうに、妃は言う。
「幸せな瑠璃なんて、見たくありません。もっともっと、不幸になってください」
いえ、と。
首を振って、透き通る声で念を押す。
「――私が、責任をもってあなたのことを不幸にしてさし上げましょう。安心して、不幸の渦へ沈んで下さい」

一章 ヒスイの排撃原理 より

 海が嫌い、という枕のあとに続いたのは上記のような会話だった。月社妃と四條瑠璃、二人の関係の在り方がこの上なく表現されている。妃のいない日常が瑠璃にとって灰色であると決め、自分がいないとダメだという妃の思想が覗える。さらには瑠璃のことが大嫌い、不幸になれ、むしろ自分が瑠璃を不幸にする、そんなこと言う。これをカモフラージュのための言い訳と捉えることは簡単だが、別の意味があるように思えてならない。二人にとって、不幸は絆の象徴で、不幸なしに二人が結ばれることはない。だからこそ、不幸は愛情だ。


「そうそう、優れたミステリー小説の特徴って、わかりますか?」
瑠璃「はい?」
転々とする話題に送れる俺。
「上質なプロットには、無駄なシーンが一切ないのです。すべての文章に意味があり、伏線があり、作者からの意図が込められている」
ミステリー小説は、妃が最も好む小説のジャンル。
「だからこそ、奇想天外なトリックを扱ったものを除けば、案外推理しやすいんですよ。上質なミステリーは、逆算して真実を解き明かすことが出来る」
瑠璃「……言いたいことは、分かる。だが、何の関係が」
「全てのことには意味がある。関係のないことのように見えても、それがミステリー小説であるのなら、必ず真実に繋がっている」
「故に、作中に登場する無駄な描写は、後で必ず真実へと繋がる伏線へと昇華する」
強い口調で妃は断言した。
「故に、この出来事に意味があると決めつけて、そこから真実を導き出すことも可能なのですよ」
「現実の事件では通用しない、ミステリーならではの手法。偶然性を廃して、必然性だけをたどる推理の邪道」
「最も怪しい人物は、ミスリードのためのスケープゴート。突然に登場人物が口にする豆知識は、トリックの根幹につながる重要なヒント」
「そうやって、無機質なパズルのように、荒らすことができるのです」

一章 ヒスイの排撃原理 より

 このシーンを読んだとき、不破愛花の言葉を思い出した。それは『絶園のテンペスト』1巻で、吉野が愛花と水族館に行った時の回想シーン。

愛花「吉野さん、全てのことにはわけがあるんです」
愛花「日々起こる悲劇も不幸も、いつか明かされる最良の結末のための価値ある出来事なんです」
愛花「その意味ではただの不幸なんてないのかもしれません」

(中略)

愛花「それでも、全てのことにはわけがあります。これもいつかは美しい結末の伏線になるでしょう」

『絶園のテンペスト』一巻 第四話 より

全てのことには意味がある。全ては美しい結末のための伏線だ、と。月社妃はミステリー小説の特徴として挙げ、不破愛花は日常のこととして扱っている。その違いは、しかし無いも同然だ。なぜなら、本作は魔法の本によって語られる物語であるからだ。語り部のいない現実の人生ではなく、語り部のいる創られた物語。これが物語であり、ヒスイの排撃原理をミステリー小説と言い切る月社妃を鑑みれば、本作をミステリー小説と捉えることに何ら抵抗はない。つまり、意味がないように思えるセリフも、出来事も、全てが結末のための伏線だ。そして、ミステリー小説を最も好む月社妃は、邪道の推理を用いることで、魔法の本によって語られる物語の真実に、誰よりも早く近づくことが出来たのではないだろうか。


「――本気になっていないでしょうね」
有無を言わさない、妃の言葉。
「瑠璃とあの人の関係は、舞台上だけの関係のはずです。成りきっていたら、許しませんよ」
(中略)
「もし、少しでも惑わされていたのなら――殺しますからね」
(中略)
「そうですね――私も、知っていますよ。瑠璃には私が必要で、私には瑠璃が必要だということを」

一章 ヒスイの排撃原理 より

 続いて触れたいのは、日向かなたとのキスのあと、四條瑠璃と月社妃がキスを上書きするシーンについて。このシーンは、きっと読者の心に残ったシーンだと思う。
 上記の月社妃の言葉からは、強い独占欲が感じられる。「殺しますからね」という強い言葉を使うほどに、月社妃は四條瑠璃を愛しており、自分のものだと主張している。このような独占欲は、この後も月社妃の言葉の端々から感じることが出来る。
 さらにここで『絶園のテンペスト』からも引用したい。

愛花「私と付き合えるのは吉野さんしかいないのと同じように、吉野さんと付き合えるのも私くらいしかいないと」
愛花「少なくとも私には、吉野さんしか考えられません」
愛花「そう言う私を裏切る度胸が、吉野さんにはありますか?」

『絶園のテンペスト』五巻 第二十二話 より

上記引用の月社妃の最後の言葉と、不破愛花の言葉。どちらも唯一無二の二人の関係性を主張している。これらの言葉は、ただ独占欲から生まれる言葉ではなく、そこには相手への信頼がある。自分だけを愛してくれるという信頼が。そして、不破愛花の「裏切る度胸がありますか」という言葉は、そのまま呪いとなる。不破愛花が死んで、失われたとしても、滝川吉野は不破愛花を裏切れない。彼女を差し置いて他の誰かといい関係になることを許せない。だからこそ、四條瑠璃は月社妃のあとを追うよりほかになかった。
 このシーンから見受けられるのは、間違いなく、四條瑠璃にとって、月社妃という女がファム・ファタールだということだ。全幅の愛情と信頼でもって、四條瑠璃は月社妃に呪われた。好意の返報性を引き合いに出すなら、月社妃は返しきれないほどの愛情でもって、四條瑠璃を縛り付けた。その結果は言うまでもない。


「こんなものを妹の前で受け渡しをする男には、何も心配して欲しくはないです」
瑠璃「げ」
そういって、手にしていたコンドームを掲げ。
「というわけで、これは処分です」
持っていたボールペンを突き刺して、袋の上から貫いてしまった。

(中略)

「おいおい、いざというときはどうすんだよ」
「そんなの、決まっています」
やや微笑みながら、妃はいう。
「中に出してしまえばいい」
魅惑的な声色に、挑発的な眼差しに、一瞬、平衡感覚を奪われて。ああ、絶対に妃には敵わないと、思い知らされてしまった。

二章 ルビーの合縁奇縁 より

 ここの月社妃が死ぬほど好き。まじで何なのこの女。まるで「いざというときは絶対に来ない。もしも来るなら、それは夜子ではなく自分で。だからそんなものは要らない」と、そういうことですか月社妃さん。これは本当に敵わない。あまりにも強い。

三. 月社妃は何故オニキスを開いたのか

 おそらく、本作における最大の謎だろう。月社妃はなぜオニキスの不在証明を開いたのか。その謎について、二節と同様に作中のシーンを引用しながら考察する。

(かなたが瑠璃に告白した後)
瑠璃甘えるなよ﹅﹅﹅﹅﹅
それは、彼女の懇願を打ち砕く排撃の返し。
瑠璃「不幸を武器に生きるだなんて、間違っている。それは、幸せを望むものに対する冒涜だ」

(中略)

瑠璃「だから、言っただろ。俺は今の関係を続けたくないんだ。納得もできない。それに、ここで終わらせなければ、あんたは何も理解できないだろう?」
この狂言を、成功させてはならないのだ。
弱さを武器にすることは、許されない。
瑠璃「不幸を望んだのなら、結末まで不幸になるべきだ。あんたの恋模様は、叶わない」

一章 ヒスイの排撃原理 より

 まず、月社妃ではなく、四條瑠璃の言葉に注目したい。「不幸を武器に生きるだなんて、間違っている」「不幸を望んだのなら、結末まで不幸になるべきだ」という言葉は、日向かなたに対して向けられた言葉であるが、私にはこれが、月社妃への呪いに思えてならない。この言葉こそが、月社妃を不幸に縛り付けたきっかけなのではないかと思う。月社妃は、どうしてそこまで、と思うほどに、瑠璃と不幸になることに執着している。例え兄妹であったとしても、二人で幸せを探すことはいくらでもできたはずなのに。おそらくその原因は、自分たちの過去と、瑠璃の言葉にあるのだろう。

 そして、その不幸を叶えるために、魔法の本ほど使い勝手のいいものはない。

夜子「だから、それらしい本には触らないことね。結局、触らなければ開くことはないのだから」
「一度物語が開いてしまったら、途中で物語を止めることは出来ない」
念押しするように、妃は尋ねる。
「それは、間違いないんですよね?」
夜子「……そうね、間違いないわ」

三章 サファイアの存在証明 より

 この場面によって、その考えは裏打ちされる。何故、月社妃は念押ししてまで本の閉じ方について尋ねたのか。まるで閉じられたら困るとでも思っていそうな、そんな予感さえ覚える。

「スリルというのは、人間を狂わせます。私はそんなスリルに身を任せながら、生きたいのですよ」
「……スリルに身を任せなくとも、幸せは手に入る。普通に、生きればいいだろう」
「残念ながら、私の幸せは普通に生きていても手にはいらないのですよ」
その瞳の奥にちらつく感情。
「どうせ、長く続くとも思っていません。だから、波乱を求めてしまう」
内に秘めている真実は、たとえ探偵であっても気付くことはないだろう。

(中略)

「輝きの色が、本の内容の意味合いを表している。あくまで傾向であり、全部が全部、そうだとは言い切れないが」
そして、更に低く。
最も重要な事を、奏さんは教えてくれた。
「中でも、黒い輝きを持つ宝石の物語は――絶対に開いてはいけない。あれは、バッドエンドが約束される、悲劇の本だから」
「へえ」
その言葉に、妃は――まるで獲物を見つけるかのように、笑った。
「いくらスリルが大好きな君でも、不幸になりたいわけではないだろう?」
「もちろんです。これはいい忠告を聞かせて頂きました。ありがとうございます」
と、頭を下げた妃は、にこやかに、微笑みながら。

三章 サファイアの存在証明 より

 スリルに身を任せながら生きたいと月社妃は言う。それは、そうでもしないと幸せになれないから。さらに、そんな幸せは長く続かないとも言っている。さらに、ここで最も注目したいのは「内に秘めている真実は、たとえ探偵であっても気付くことはないだろう」という地の分だ。ミステリー小説についての引用部分を思い出してほしい。ここから読み取れるのは、月社妃以外の者は、真実へ至るヒントすら得られない、ということである。それはつまり、月社妃は万に一つも、他者へのヒントを残していないということだ。であれば逆説的に、地の分にヒントがあるということではないかと私は考える。それっぽいセリフはミスリードのためのスケープゴートである。
 この点に気を付けながら、進めていこう。


瑠璃「じゃあ、もし俺が他の女の子のことを本気で好きになったら、どうするんだよ」
「ありもしない未来を想像したことはありません。先ほども言った通り、私は私自身の魅力と、瑠璃の心を信じていますから」
自分の存在を示すかのように、頭をぐりぐりと擦りつけてくる。
「ただ」
ぴたり、と。
マーキングのような行為が、停止して。
「もし、瑠璃が他の女性を本気で好きになってしまったのなら」
声が、嫌に平坦だった。
そのことが、脳裏にこびりつく。
「――その時は、普通の兄弟に戻るだけですよ。ええ、それだけです」
瑠璃「……妃」
俺の肩から、頭を離す。
温かな重みがなくなって、少しだけ寂しい。
「そのときは瑠璃のことをお兄様と呼びますし。姓も四條と名乗りましょう。健全な関係に戻るのが、瑠璃の幸せなんですから」
瑠璃「残念だが、幸せになりたいと思っているわけじゃない」
「そうですね。瑠璃は私と、不幸せな関係を築いていくのですから」
肩に、指が乗せられる。
服の上を這うようにして、それは頬まで達して。
「神様はどうして生きることを難しくしてしまったのでしょう。もう少し、たやすい世界ならよかったのに」

(中略)

「……それにしても、魔法の本はとても興味深い玩具ですね。夜子さんと同じく、私はそれがもたらす事件が楽しみで仕方がない」
瑠璃「あいつは中身にしか興味がなかったが、お前はむしろそのものに興味がありそうだな」
「そうですね。魔法の本に関わる全てが、興味の対象です」

三章 サファイアの存在証明 より

 「普通の兄弟に戻る」「魔法の本に関わる全てが興味の対象」これらがスケープゴートだとするならば、「普通の兄弟には戻らない」ということで、「魔法の本に興味がない、或いは全てではなく何か一部に興味がある」ということだ。前者は、四條瑠璃が日向かなたを愛する前に、ある種の心中を行った。後者は先にも述べたように、興味がないのではなく不幸へ至るための本に興味があったのではないかと推察する。それは以下からも読み取れる。

「――魔法の、本」
脳裏に、本城奏から受けていた警告を思い出す。関わってはいけない。また、安易に本を開いてはいけない。
そう、夜子さんも言っていました。
触らなければ、本は開くことはない。
だから、本の危険なんて――避けようと思えば簡単に避けられるのだと、言っていた。
「……ふふふ」
思わず、笑みがこぼれ落ちた。
警告、ありがとうございます。
忠告、ありがとうございます。
全てを危険を理解した上で、私は。
「私だって、夜子さんと同じ活字中毒者なのですから」
読書家が、本を開くことに躊躇するわけがなく。私は、私の好奇心に従って、魔法の本を開いた。
開いて、しまいました。

三章 サファイアの存在証明 より

 月社妃はサファイアを開いたつもりだった。本城奏がサファイアは悲しい本だと述べたことを受けると、その悲しい結末をこそ、月社妃は求めたのだろうと推測できる。さらに、「活字中毒者」というセリフは例によってスケープゴートであると考えられる。


「もし、立場が逆だったらどうだったのでしょうね」
ふと、妃は呟く。
「物語に選ばれたのは私で――瑠璃の知らない男性と、恋を強いられてしまったなら」
瑠璃「それは絶対許さない」
「……ふふふ、そう考えると、私の器の大きさが計り知れるでしょう」

四章 アメシストの怪奇伝承 より

  これは、ヒスイのあとの会話を回想したシーン。四条瑠璃は、オニキスの展開を許せない。この会話も、もしかしたら、月社妃の決意を後押ししたのかもしれない。


「私が瑠璃に告白できなかったのは、何も兄妹という関係が恐ろしくて――というわけではないのです。いえ、全くなかったといえば嘘になりますが……」
そして妃は、まるで独り語りをするかのように話し始める。
目の前にいる俺の存在は、無視。
「敵わないことを、心から理解していたから。かなたさんという存在に、私は白旗を揚げていたのですよ」
それは月社妃の胸中。
「月社妃のことを、愛していました。兄は、妹のことを愛してしまいました。けれど、それ以上に――かなたさんを、愛してしまっていたのです」
同時に二人の女性を愛してしまうという咎。
「両者がぶつかってしまえば、負けることは必然です。私は、かなたさんには敵わない――そう分かっていたから、兄弟以上の関係を望まなかったのですよ」

十二章 ラピスラズリの幻想図書館 より

 どこかで、月社妃は気づいていたのかもしれない。何事もなく未来を迎えられたとしても、自分が四條瑠璃と結ばれることはないと。いつか、サファイアが閉じ、日向かなたが全てを持っていくと。そう気づいていたのかもしれない。だからこそ、四條瑠璃の心が自分から離れてしまう前に、共に不幸になりたかった。そのために不幸を呼び込む魔法の本の力を借りて、瑠璃との不幸せな時間を過ごそうとした。だけど、開かれたのは、「よりにもよって、浮気を求める物語」(十章 オブシディアンの因果目録 月社妃の最期のシーンより引用)だったのだ。そこだけが、月社妃にとって、唯一の誤算だったのだろう。


 以上のことを整理すると、

  • 月社妃は瑠璃と二人で不幸せになることを望んでいた。

  • 不幸せになるための手段として魔法の本の力を借りようとした。

  • しかし、よりにもよって浮気を求める物語を開いてしまった。

  • 四條瑠璃は浮気を許せず、月社妃自身もそれに耐えられない。

  • 憶測として、月社妃は日向かなたに勝てないことを無自覚に悟っていた

 これらが、月社妃がオニキスを開いた理由になると考える。

四. 故人ヒロイン月社妃の特別性

 月社妃の恋愛譚は、三章で終わった。これより先は日向かなたの英雄譚だ。だから、その先で月社妃について語るのは蛇足でしかない。月社妃は既に死に、死者は何も語らない。たとえ魔法の本という奇跡のもとであったとしても、私はそれを蛇足としか思えない。(念のため、注釈すると、蛇足というのはあくまでも月社妃の恋愛譚において蛇足ということである。本作はここからが本番だと考えるし、何よりも日向かなたの英雄譚の始まりである。)それでもこの先、月社妃について語ることがあるとすれば、過去を偲んだ回想シーン以外にない。だからこそ、四章以降は過去回想が多いのだ。過去を想えば想うほどに、思い出は美化される。そうやって、故人ヒロインは呪いを強固にする。
 ところが、本作はそこにひねりを加える。すなわちそれが魔法の本による奇跡。生き返った、と表現することを、断じて私は認められないが、それでも確かに、月社妃はそこにいた。唯一の心残りであった過去の清算と、終わり方。それをやり直す。その権利を手にした月社妃と四條瑠璃の紡ぐ未来は、望んだ終わり方を遂げたKISAKI ENDと、物語の演者として役目を全うした道。言い換えるなら、故人ヒロインと報われる選択と、乗り越え前に進む選択。ここに、月社妃という故人ヒロインの特別性がある。
 一般に、故人ヒロインと報われることはない。理由は明白で、死んでいるからである。生前に報われていたのなら、それほど強い呪いは生じない。どちらか、或いは両方に心残りがあるからこそ、それが呪いとなって、身を蝕むのだ。それは『絶園のテンペスト』は不破愛花でも、『ロクでなし魔術講師と禁忌教典』のセラ=シルヴァースでも、『サクラノ刻』の夏目圭でも同じである。だが、月社妃は、やり直す術を手にした。さらに、月社妃も四條瑠璃も、本人ではないという点も、死を軽んじておらず、評価できる。

「幸せな瞬間に、死ぬことが出来れば――それはハッピーエンドになるのかもしれません」

(中略)

「愛するものは、死んだのですから」
春日狂想を、妃は詠う。
「たしかにそれは、死んだのですから」
貴方はもう、死んでしまったのですから。
「もはやどうにも、ならぬのですから」
紙の上の運命に、抗うことは出来なくて。
「そのもののために、そのもののために」
ああ、気が付けば。
ピアノを奏でながら、妃は泣いているじゃないか。
炎に包まれながら、心苦しく泣いているじゃないか。
「私は……!」
春日狂想は、もっと前向きな詩だったような気がして。
どうしてそんな詩を、口ずさんだのだろう。
痛みを感じることもなく、熱を感じることもなく。
炎の音は、音色にかき消され。
音色は、妃の泣き声でかき消される。
「瑠璃と普通に恋をして、普通に生きていられたら、良かったのに……!」

八章 フローライトの怠惰現象 より

 故にこれは、実在するIFの話。魔法の本となった妃と共に、もう一度最期をやり直す。その時、月社妃は春日狂想を詠った。春日狂想と言えばサクラノシリーズでも馴染み深く、ご存じの方も多いだろう。
 彼女の涙が、叫びが、その慟哭が、故人ヒロインの呪いを唯一無二なものとする。普通を求め、血の繋がりに阻まれ、それでも共にあろうとした彼女の慟哭を、私は生涯忘れない。

五. 最後に

 長々と綴ったが、要するに月社妃がやばい。それだけである。

 あと、思ったより触れられなかったが、本作は『絶園のテンペスト』の影響を絶対に受けていると思うんですが、どうなのでしょう。汀と真広、瑠璃と吉野、そして何より妃と愛花。偶然にしてはあまりにも重なる部分が多いと思うのだ。自分の恋心に気付かず妹への愛情だと勘違いする汀と真広とか、あまりにも同じ。とはいえやはり、本作のメインヒロインは月社妃ではなく日向かなただと個人的には思うので、やはり偶々なのかもしれない。
 日向かなたについてはほとんど触れなかったが、彼女はきっと、誰に何を求めるでもなく、きっと自分で手繰り寄せ、成し遂げるのだろう。そう思わされるほどに強かった。

 また、月社妃ASMRについても、本記事では触れないようにした。発売から日が浅いこともあり、ネタバレしたくないな……という想いが勝ったためである。本当はtrack7のこととか書きたかったんだけれども。そこは是非、購入して聞いてみてくださいということで一つ。

 最後は月社妃の最も印象に残ったところから。いや、二つあって悩んだんだけど、やっぱこっちかなって。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

P.S.画像について、ガイドラインが見当たらなかったので怒られたら消します。


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