見出し画像

中村倫也が全オタクの人生を全肯定してくれる映画

5月20日に公開された「ハケンアニメ!」を観た。

短い紹介レビューはこちらに書かせていただいたのだけど、一人のアニメ好きとしていろいろ、ほんとうにいろいろと考えた作品だったのでこちらにもっと長文のものを書いておこうと思う。

(ちなみに原作の小説も買って読んだのですが、けっこう変更が加えられているので今回は劇場版に合わせる形でまとめておきます!)

アニメ×お仕事モノ=観ざるをえない

吉岡里穂が演じる斎藤瞳は公務員出身でアニメーターに転身し、初監督作の「サウンドバック 奏の石」の制作にのぞむ新人監督。
中村倫也が演じる王子千晴は「運命戦線リデルライト」の制作を担当する天才アニメ監督(過去に大ヒットあり)。
週末の夕方という子ども向けアニメの時間帯で裏番組同士となり、視聴率をとりあう2つの作品がその「覇権」を争うというストーリー。
(なお、「派遣」は全然関係なかった。原作ではちょっとあった)

凡才と天才が“覇権”を争うストーリー

瞳はなんかとにかく一方的なリテイクを出しまくるし、自分のこだわりをつらぬくことで周囲に迷惑をかけながら「いい作品を作ってる」と自己暗示をかけている凡才タイプ
頑張ってるんだけど空回りというか、「よくいる若手監督」としてスタッフからあしらわれている感じのキャラクター。

千晴は作品冒頭から失踪してて周囲をハラハラさせ、かと思えば自分が出るイベントの当日にはしっかり現れるし、必要な仕事をキッチリあげてくるめちゃくちゃカッコイイ天才タイプ(でも本当は血反吐を吐くほど泥臭い努力をしてるのがまたよい)。

お仕事モノとしての「ハケンアニメ!」はこの二人と、このふたりをとりまくプロデューサーや脚本家、宣伝広報、デスク、作画……などなどたくさんの人のドラマが見どころ。

さらに個人的に推したいのは、「とりあえず乗っかっとけ」と聖地巡礼をもくろむ自治体職員とそれに付き合わされるアニメーターさん(めちゃお人よし)のやりとり。
「リア充じゃん…」というつぶやきに対して「リア充」の意味を自分なりに調べてくるくせに全然見当違いの解釈をしてくるあたり、めちゃくちゃリア充なひとだし、自治体職員だな~~~~~!!!!って感じがした。

聖地巡礼はわたし自身大好きで、推しバンドの出身地から推しアニメの舞台までいろいろやってきたし、聖地巡礼について観光学の先生に取材したりもしてきたけど、
「いっちょやってみっか!」で成功させられるものではないんだということがよくわかるというか、一時的に人を呼ぶことはできても、それが地域活性化につながるかというと、よほど上手に展開しないとそれは難しいんだけど、アニメの制作者が取材にきた、ウチの町が出るぞ!となるとそこに関わってPRしたい自治体の気持ちもまぁわかる。

劇中アニメの存在感がすごい

この作品を知ったのは「アニメ業界のお仕事ものです」と言ってお誘いいただいたのがきっかけ。

どちらも大好きなもので期待度は高かったものの、前情報は一切なしで観た。
劇中には瞳と千晴がそれぞれ作るアニメが随所に挿入されていて、これがまた豪華。
ちょっとジュブナイル(古)っぽい仕立てでリアルな人物や情景描写で実在感とドラマ性を持たせる瞳の「サウンドバック 奏の石」(私的にはエウレカセブンっぽいなと思った)と、極彩色の世界観と人物デザインで女の子が絶対好きになる千晴の「運命戦線リデルライト」(これはどう見てもまどか☆マギカだった)。
作風が全く異なるので、制作も実際に別々のスタジオとスタッフという手の込みよう。そして声オタにうれしい豪華声優陣。鬼滅か?

ふつうの「お仕事もの」と思って観に行ったら想像以上のアニメの存在感だし、フィクションとはいえアニメが実際につくられていく過程を見られる&知れるのはアニメ好きにとってうれしいかもしれない。

(名台詞ネタバレします)

ただ、個人的にこの映画を推したいポイントはアニメよりも実写パートというか、めっちゃ序盤なんですけど

中村倫也が全てのオタクの半生を全肯定してくれるところ。

瞳と千晴それぞれの作品の同時製作発表の場で、進行を務めるにわかオタクの女子アナに「一億総オタク時代」という言葉をぶつけられるシーンがある。
見ているオタクも素直に「ハァ…?」となっちゃうんだけど、その度重なるモヤモヤを千晴が見事に打ち返してくれて本当にうれしい。

「暗くも、不幸せでもなく、まして現実逃避するでもなく。ー-現実を生き抜く力の一部として俺のアニメを観ることを選んでくれる人たちがいるのなら、俺はその子たちのことが自分の兄弟みたいに愛しい(後略)」

『ハケンアニメ!』(辻村深月)より抜粋

「リア充どもが、現実に彼氏彼女とのデートとセックスに励んでる横で、俺は一生自分が童貞だったらどうしようって不安で夜も眠れない中、数々のアニメキャラでオナニーして青春過ごしてきたんだよ。だけど、ベルダンディーや草薙素子を知ってる俺の人生を不幸だなんて誰にも呼ばせない」

『ハケンアニメ!』(辻村深月)より抜粋

こんなんもう、全てのオタクへの祝福以外の何物でもないやん…。

自分がなぜアニメを好きだったのか、何のためにアニメを見ていたのか。
現実逃避ではなく、ただただ好きだったから。
現実がつらいからとか、アニメしかないから仕方なく見ていたわけじゃなくて、アニメが好きだから自分がそれを選んで観てきた。

それを思い出させてくれる台詞だった。

ここはけっこう早口でひと息に紡がれる台詞だったのだけど、わたしはこのシーンを見ながら涙をこぼしてしまった(マジで)

そうそう、そうだった。
中村倫也さんありがとう、おかげで思い出したわ。
と思いながら。
(あとここでの女子アナのリアクションで非オタとオタクの温度差がよくわかって痛快だった)

そして瞳は瞳で「貧乏だった」という最高のイヤな過去を持っている。
魔法少女のヒロインは絶対にきれいな家に住んでいるかわいい女の子だということに小さく絶望している少女時代を過ごしてきた女性として、わたしの心に沁み込んでくる女性だった。

わたしも幼少時代は貧乏で、築30年を超える木造平屋で和式トイレのある家に住んでいた。大好きだった変身ヒロインもののおもちゃはシリーズがいくつもあるなかで1つしか買ってもらえなかった。さすがに瞳のように「おさがり」されたことはないし自分を貧乏で不幸だと思ったことはなかったけど、最新のおもちゃを買ってもらえる子をうらやましく思ったこともある。

(ついでにいうといつもヒロインが自分とは真逆のちょっとおバカでおっちょこちょいな女の子で、なのにその明るさややさしさで友達に慕われ、最後にはイケメンとくっつくことに小さく絶望していた)

「仕事ってこうだよな」って理不尽なこともたくさんある

ルートは違えど、瞳と千晴は同じくアニメを作る仕事に就いた。
千晴が瞳の作品をしっかり見て評価しているシーンもあって、純粋にアニメファンとしての千晴が残っていることを感じられるし、だからこそ「作り手」としての苦悩もあるんじゃないかなと思ったりもした。主人公たちを殺してエンドにしたかったのにできなかったとか。

瞳と千晴だけでなく、制作に関わる人たち全員キャラが濃い。
こういうオバちゃんいるな~とか、こういうおっさんいるな~~とか、
そんな風に眺めるのも楽しい。
アニメになるとしたらこういうデザインだろうな、とかも考えやすくて、スピンオフもいいけどこの作品自体がアニメになったらいいのになとも。

とにかく中村倫也に全肯定してもらいたいオタクはぜひ見てください!

サポートなんて恐れ多いですが、好きな漫画を買ったりネット配信サービスの利用料を支払ったりさせていただきます!