アイデンティティ「母」の恐怖
「ママだけど仕事を頑張りたい」
「ママなのにキレイでうらやましい」
そんな言葉に違和感を覚えてしまう自分がいる。
10月にその「ママ」になる予定だけど、わたしは自分のアイデンティティがそこに持っていかれてしまうのがとても怖い、とずっと感じている。正直なところ。
女の子、女子高生、女子大生、OL、花嫁、妻、ライフステージや社会的な立場に応じていろんな「女性の呼び方」があるが(もちろん男性にもあるが)、
「母」って一番強くて、拘束力の強いものじゃないかなと、ずっと思っている。
子どもという存在がそれだけ大きくてかけがえのないものなのだと感じるし、同時に、とても重い呪いのようなものであるとも感じてしまうことがある。それも、よくある。
今までは「まいもんさん」だったわたしという人間に子どもがペタリと付属して、その日からわたしは「子どものいるまいもんさん」になってしまう。
そんな心象風景が、頭を離れない。
独身のとき、子どもがいないとき、仕事をしている女性は「○○さん」でしかないし、仕事をしているのだから仕事を頑張るのは当たり前。
(かつては「結婚してるのに仕事を続けるなんて」と言われる時代があったのかもしれない)
でも、子どものいる人が仕事をしているとき、周りの人は「子どもがいるのに仕事なんかして」とか「子どもがいるのに仕事も頑張ってえらい」と、“子どもがいる”というメガネ越しにその人を見るようになる。
仕事をしているのは、出産する前も後もわたしだし、わたし自身に何か重大な変化が起きるわけではないのに「子どもがいるかいないか」だけで周囲からの見え方が変わってしまう。
家にいて子どもと過ごす「母」である時間以外にも、母というタグがつけられるのがとても怖い。
もちろん、本当にそうなるかどうかはわからないし、そんなこと気にせずに変わらぬお付き合いをしてくれる人もたくさんいることだろうと思う。
子どもがいることで、新しく広がる世界や可能性のことを考えるのも楽しい時間ではある。
けれどもずっとそんなことを考えている。みんな、どうか秋以降もわたしのことを「まいもん」と呼び、遊びに仕事に誘ってください。
【今日のまいもん】
妊婦には体の変化によって唾液が減ったりつわりで歯磨きができなくなったり、また出産で歯がボロボロになる、と言われるほど歯のリスクがあるため、妊娠期間中に歯科健診を受けることが推奨されています。
年単位で歯医者とおさらばしていたため虫歯があるであろうことは容易に想像がつくので、その治療を終えてから健診を受ける予定です。(なぜなら、母子手帳に歯科健診の結果を書かれる=後世まで記録されるからです)
まずは治療のための予約をとりました。
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