マスターとの対話③~こうしてマスターとの対話が始まりました~VOL5 『自分を許すこと』

これは友達と幸せについて話していたときのことです。


「幸せについて話すと、必ず『自分を許すこと』って言われるけれど具体的にどうすればいいのかが分からないんだよね・・・。」


と、言われました。

確かに、自分を許すことって何なんだろう…?

どうすれば、自分を許せるんだろう…と思いました。

そこで、また彼(※モーちゃん)に次のように聞いてみました。

※モーちゃんとは:モーセ意識のことであり、肉体を持たない高次に進化した存在であり、そのコンタクト(チャネリング)についてここでは書かれたものです

わたし>どうすれば、自分を許してあげることができるのでしょうか。

「許す」ということがキーワードのようですが、それができればきっとみんな幸せなんだと思いますがどうでしょうか?

許すとはどうすればいいでしょうか。

具体的に何をすればいいのでしょうか・・・?

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モーちゃん(モーセ意識)>>


人はみな許されたい。

何か誤ったことをしたとき、

意固地になってしまった時、

孤独の時、

はたまた恋をしている時・・・。


こんな時、人はみな人から許されたいのである。

そして許すとは許容することである。


さて、人が人を否定する行為は、その者が自分とは同じ種類の生き物であると言う事を否定することと読み取ってしまう。

人から否定されれば、自分自身が自分を人間としてみなせなくなり、

この世に生きている存在であるのかが分からなくなる。

存在が確認できなくなると、人間は本能が働かなくなる

本能とは人間が生きようとする基本的な思考である。

本能が働かなくなった人間は生命を維持すことを忘れてゆく

生命を維持する事を忘れた人間は、

生きることがどういうことか分からなくなってゆく。


こうして、無意識のうちに心が生きる事を止めてしまうのだ。

すると、心の障害として支障をきたし始めるのだ。


そして、それは無意識の中で

どんどんサイレントキラーのごとく進行して行き、

表面意識が気づいたときには

無意識の中が生きる事を放棄していることに気づくのだ。


知っている人もいるだろうが、

無意識つまり潜在意識

人間の意識・心・精神の約9割を占めているのだ。


その9割が普段は表には出てこない。


その中身がどのようになっているかも分からないまま、

蝕まれていくことがどれほど深刻なことなのか

そなたには分かるかね?


否定されるということは、

それほど人間の心の健康において

深刻な影響をあたえるのだ。


純粋な子供が親から否定され続け、

自分の言いたいことも言えないような状況で成長することが

どれだけ深刻な事態を招くのか理解できるであろう。


そして否定することは、許す・許容することの

反対のことである。

もし、許す・許容するということを

充分に理解したいのであれば、

まず否定する行為がどういうものなのであるか

充分に理解することが必要である。


その物を理解したいときは、

その反対の事柄の本質を理解しなければ、

その物の本質は理解できない。


これは、全てのことにおいてそのように出来ている

もし、何か理解することに苦しむことがあれば、

その反対の事柄をまず理解しなさい。

すれば、その物を理解する糸口がつかめるものだ。


人から許されたいと人は願うものであるが、

自分が「その人から」許されたいと思う人間が

「人を許すことができない人間」であれば、

いつまでも人は人から許されない。


人から許されないのならば、

自分は許されない存在だと認識する。


少し複雑なようだが、ついて来ているかね…?


だからこそ、こう言おう。

人に頼っていては、いつまでも人は自分を許せないのである。

人は誰でも人から許されたいと願っているのだが、

人を許せる人間はそうそういないのが現状だ。

親でさえもわが子を許せない。

では、人を許せる人間とはどんな人間なのであろうか。

人を許せる人間と言ってすぐ思いつく人物はいるかね?

身近にはいなくとも、見聞きしたことがあるでも構わない。

思い当たるかね?

私は何人か思い当たる人物がいるが、そなた達はどうかね。


それはこの世の中では「神」として

人々からあがめられている存在の人々である。

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この人物たちは、人から許されなくとも人を許し、

そして自分を究極に許し続けてきた人物たちだ。

それが究極に出来続ければ、

その人たちを「神」と呼ぶ。


それは、人から許されもしないのに人を許せるからだ。

そして、それは誰にでも出来ることじゃないように思うが、

実は誰にでも出来ることなのだよ。


だから「人はみな神である」

言われる所以(ゆえん)なのだ。


とはいえ、人を許す事は、

やはりたやすくはない。


簡単に口にされるが、

それを究極に出来る人たちを、

人は「神」とあがめるのだから、

それがどれだけ大変な事か分かるであろう。


しかし、その人たちとそなた達は同じ人間だ。

では、その人たちとそなた達は一体どこが違うのであろうか?


それは…。


人に頼らず、まず自分から行動を起こす人たちなのである。


そして、そうと決めれば

実際に行動する人たちなのである。

素直に、純粋に、行動する人たちなのだよ。


ではこのような事を踏まえ、

そなた達は実際どうすればよいのであろうか?


それは、

まず先に自分が許そうと

「決心すること」なのである。


これが、具体的な事だ。


そして、誰を許すのか?


まず自分が自分を許そうと「決心すること」なのである。

人から許される事を待つのではない。

人を頼ってはいけない。

まず自分が自分自身を許そうと思うのだ。

そして、素直に、純粋に行動するのだよ。

これが具体的な事だ。

そして、それを遂行するためにはいろいろな手段がある。

手段はどんなことでもいい。


例えば、自分が人の悪口を言い続ける事を自分で許せばいい。

本当に許せることが出来れば、人も許すことができる。

すると、人を許せれば悪口は口から出てこなくなる。

許せると言うことは、人のやっていることが

どうでもいいことになるからだ。

悪口が言いたくてたまらないのは、人を許せないからだ。

つまり、自分を許してないからであり、

自分を許せなければどんどん不満は募る。

そのはけ口として人に映し出され、

そして許せない行為として悪口がフツフツと生まれ続ける。


元を断ちなさい。


まず、自分からやろうと決心するのだよ。

「決心すること」が紛れもない具体的なやり方である。

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「・・・うわ~!!」


人を究極に許せるって神の領域ですかぁ~。

結構巷では「人を許しなさい、自分を許しなさい」って聞きますが中々出来ないことなんですね。

だから、すぐに自分や人を許せなくてもそれは仕方ないんですね・・・。

だって、すぐできたら神の領域ですもん!!



あ・・・。


なんか人を許せない自分を、そして自分を許せない自分を少し許せそうな気がしてきました。

そっか。すぐ出来なくてもいいんだ。

これって、人を、自分を、許す事って人としてできていなくちゃいけない事なんだってずっと思ってました。

そっかぁ~・・・。

すぐ出来なくても、まだ出来てなくてもいいのかもしれない・・・。

そして、許せなくていいんだぁって思えた時点から、なんか許しが始まってる気がします・・・。

う~ん。そっかぁ。深いなぁ~!!

さすがモーちゃん!勉強になります。(^^)/


これからも「スピリチュアル・カウンセラー」の地位向上と、良質なカウンセラー育成のためにまい進していきたい思います!是非、ご賛同していただけると嬉しいです♪