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妄想によるカタルシス/ごめんなさいの効用

つらいときや寂しいときには妄想(空想)の世界に逃げ込みたくなる。空想はマゾヒズムの一つの側面でもあり、つらい気持ちに蓋をしてカタルシスへと誘い、現実から目を逸らすのを助けてくれる。

ある夜のことである。私はいじめられる妄想に耽っており「ごめんなさい」すると気持ちよくなれることに気付いてしまった。この記事では、なぜ「ごめんなさい」すると気持ちよくなれるのか、簡単に考えてみたいと思う。


私の日常的な妄想

いじめられる妄想

妄想にもいろいろあるが、私はいじめられる妄想をすることが多い(後に述べるように甘やかしてもらう妄想もする)。いじめられる妄想は、完全ではないが被虐欲を満たし現実逃避するための一つの手段として有効であると思う。

最近は手首をつかまれて押し倒される妄想をしていた。両手首をつかまれて襲われる様子を思い描く。細い腕をいきなりギュッと握られる。拳に力を入れて抵抗すると、腕の筋肉が張るのを感じる。しかし馬乗りになって体重をかけられているので逃げることは出来ない。力の差を感じながら負けを認め「ごめんなさい」する。脱力すると、身体がベッドに沈み込む。自分の無力感を自覚していると、だんだん気持ちよくなってくる。

寝る直前や寝起きの時間帯など、蒲団に入ってぬくぬくしている時間帯は特に妄想が捗っている。他には座っているときや、移動中にボーっと歩きながらでも、妄想することがある。妄想に深く入り込んでいると、想像だけにはとどまらず身体も反応してしまう。お腹周りの筋肉が痙攣して声を出してしまったり、足が震えたり、目から涙が出てきたりする。

私のいじめられる妄想は、自己催眠の一種ともいえるかもしれない。催眠をかけられて「脳いき」する感覚を再現しているからである。自分以外の人にコントロールされるのには劣るかもしれないが、簡単に現実逃避するだけであれば、妄想で事足りるのである。

甘やかしてもらう妄想

ところで、寂しいときには甘やかしてもらう妄想をしてしまうことが多い。いじめられながら甘やかされたいときもあるので、いじめられる妄想と甘やかしてもらう妄想は完全に分けることは出来ない。

唐突だが、私は散歩中のワンちゃんに憧れがある。飼い主さんを元気に引っ張り、どんどん歩いていく姿。飼い主さんの前に座って撫でられている姿。私が見ることのできるのは、すれ違う一瞬だけであるが、かけがえのない写真のような瞬間である。

飼い主さんがワンちゃんを愛でる優しい視線、逆にワンちゃんが飼い主さんを見上げるいきいきとした視線、そこには唯一無二の尊さが刻まれているように感じる。

寂しくぽつんと歩いているときにそのような風景を見てしまうと、どうしても甘えたい感情が湧き出してしまう。そしてイヌと自分を同一視してしまう。想像の中でなでなでしてもらうと、気持ちが落ち着いてくる。しかし、実際に撫でられているわけではなく、撫でてくれる人もいないので、寂しい気持ちから僅かに逃避しているに過ぎない。

ごめんなさいの効用

つらいときには何も考えられなくなりたい。「ごめんなさい」することは、その一つの方法であると思う。例えば、Sっ気のある台詞で責められることを想像して「ごめんなさい」するしかない状況に自分を追い込めば、もはや余計なことを考える余裕は残されていない

マゾヒズム的な方法であれば、鞭で打たれたり、くすぐり責めを受けたりすることでも、考える主体から逃避することは可能だろう。一方でその実現には他者の助けが必要である。

当然、絵を描くのに集中したり、散歩で気晴らしするなど、一人でできる「健全」な方法もある。いつも孤独であった私にたまたま染み付いてしまった癖が、いじめられる妄想であったというだけである。

では、なぜ「ごめんなさい」すると気持ちよくなれるのだろうか。その答えとして次の二点が考えられる。

一つ目は、許してもらうことを求めているからである。「ごめんなさい」と謝るとき「いいよ」と言ってもらえることを期待している。この場合、何か悪いことをしたわけではない。もちろん許してもらえる保証もない。私は、何もできなくて生きている価値のない自分に嫌気がさしている。そんな自分を優しく認めてもらえる可能性にすがっているのかもしれない。

二つ目は、過去に満たされなかったこころの穴を埋めてくれるからである。幼少期の自分は、他の人に迷惑をかけることは少なかったと思う。手のかからない子でいようとしていた。しかしその反面、大人の顔色を常に窺い、無意識に我慢していた気がする。

ある日、先生から「ごめんなさいしなさい」と促されている子がいた。他の子と喧嘩でもしたのだろうか。その子は不貞腐れながらも「ごめんなさい」をして、褒めてもらっていた。よしよしされながら。

面倒な問題を起こさないように《おりこうさん》でいる自分は放置されるだけなのに「ごめんなさい」するだけで愛情を注がれる――そんな歪んだ記憶が自分の心を縛り付けているのではないかと思う。

いじめられながら「ごめんなさい」する。こころの中で繰り返すときもあれば、口に出してみることもある。そうしていると涙があふれてきて、いつの間にか気持ちよくなってくる。現実から逃避するためには惨めな自分に酔うしかないのである。

まとめ

惨めにいじめられる自分を想像して、ゾクゾクしながら被虐欲を満たす。そして、涙を流すことでカタルシスを感じる。つらい現実から逃れたいとき、どうしても「ごめんなさい」せずにはいられない。


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