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読書感想文/遠藤周作『月光のドミナ』

人間の欲望には際限がない。たとえ満たされることが無くとも欲望は生まれ、理想に近づきたいと感じてしまう。千曲は、一人の女性の幻影を追い求め続ける。彼女から頬を殴られたときの悦び、足元に倒されたときの悦びが忘れられない。もう一度、苦痛と凌辱を味わいたい。そのような暗い欲望を抱えながら千曲は孤独な生活を送り、堕落していく。

彼は人間嫌いの変人として軽蔑され、人との関わりは希薄であった。しかし、好き好んで孤立していたわけではない。女性に対して性的な感情を抱けないことを引け目に感じ、幸福に輝いた友人たちを前にして鬱屈した感情を募らせていたように見受けられる。一人で処理することもできない自らの欲望に罪悪感を覚えながら、望まない孤独を生きていたのである。

千曲の欲望はついに満たされることが無かった。お金を払い、凌辱の真似事をしてもいっこうに満足できず、新しい刺激を求め続けてしまう。ドミナという虚像を求めて堕ちるところまで堕ちてしまい、とうとう何も感じなくなってしまった。

現代の社会に目を向けてみると、孤独はありふれたものになっていると感じる。もちろんマゾヒズムに限ったことではない。自分をよく見せたいあまり嘘をついてみたり、自己顕示欲のために写真を投稿してみたり、充実している人を見て嫉妬したり、空虚な欲望に取り憑かれることで疲労し、孤独感を感じる場面は多い。

孤独から逃れられないと、やがて感情を失っていく。自己への嫌悪感。それをどうしようもできない自己の否定。独りで耐えなければならない閉塞感。他人から拒絶される苦しみ。そして諦め。処理しきれないほどに重い感情を反芻し続けて耐えられなくなると、楽しいと思う感情はおろか生きる希望すら持てなくなる。

この作品の終末には、キリストが肉欲の苦しみを知っているのか、という問いかけがある。もし苦しみを知っているのであれば、欲望に押しつぶされた千曲が救われる希望となるだろう。しかし、司祭の答えは判然としないものであった。キリストが苦しみ背負ってくれる可能性を留保しながらも、自信なげな口調をしていた。それでも最後まで千曲を見捨てなかったのは、遠藤周作の愛の表れであろう。

千曲は手紙の中で、孤独を察してもらいたかった気持ちや、愛されたかった気持ちを吐露している。悲痛な叫び声である。これらの欲求は、他者の存在なしには満たすことが出来ない社会的なものである。一方、先に述べたように、千曲は他者と関わるたびに引け目を感じており、拒絶されることを恐れるあまり自信を持てずにいた。人間関係を広げたいがそうはできない板挟みの状態であったと言えるだろう。

しかし、他者と関わることなくして、愛されることも孤独から逃れることも出来ない。忙しく過ごしたり何らかの理由付けをしたりして一時的に逃避したとしても、根本的に解決されるわけではない。つまり、自ら行動して人との関わりを持たなければ、社会的な欲求は満たされないのである。

この作品を読んで、重い欲望を抱える千曲の境遇には親近感が湧いた。また劣等感や孤独を感じながらもドミナとの再会を信じて奔走する彼の姿は、私の目に美しく映った。根深い欲望を抱えていたとしても、行動の仕方によっては辛い過去の埋め合わせをできる可能性は残されている。理想を実現することは難しいが、自らの心の声にも目を向けながら、尽きることのない欲望と向き合っていけたらと思う。

読んだ本

遠藤周作『月光のドミナ』新潮文庫


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