国際離婚 ~ハーグ条約を乗り越えて
2023年8月、離婚届が受理された。養育費ゼロ、親権50/50、財産分与ほんの一部。子どもは4歳と6歳。監護権は私。なぁにが父親として子ども達を責任持って見守りたいだバカヤロウ。どの口が僕から親の権利を奪わないで欲しいだドアホ。車2台、一軒家、貯金、貯蓄、全て自分のものにして8年間の結婚生活をありがとうだってコンチクショウ。。。
でも。子ども達の寝息を聞きながら安心して眠ることが出来る。この2人が今後強制的にアメリカに連れ戻されることはない。私が子どもの連れ去り誘拐犯として捕まることもない。やっとここまで来れた。
2022年10月、アメリカ。私はスポーツジムのプール中から壁側に立ち、プールサイドのタオルの上に置いていた携帯に目を向けている。プールには私しかいない。今まさにスマホからメッセージを送信しようとしていた。
Kさんへ
私は貴方と離婚して子ども達を連れて日本で生活がしたいです。他に何も要りません。
メッセージをじっと見つめる。数年前に一度離婚を考えた。子ども達を思ってもう一度頑張ってみようと踏みとどまった。最近、彼と口論が続き、ストレスが原因で坐骨神経痛と診断された。痛くて歩くのが辛い。彼からは、痛みは自業自得だと言われ、歩けないことで家事が出来ず彼の仕事に支障をきたしていると言われ、自己管理能力がないと罵られた。そして数日前から、彼から離婚したい、私が離婚に同意しないなら年末に予定している家族全員での日本への一時帰国をキャンセルするとまで言い出した。
このメッセージを送信したら、こども達の将来にも大きく影響するのは分かっていた。でももう心身ともに限界だった。
小さく深呼吸して送信ボタンを押した。携帯をタオルの上に置き、振り返った。ガラス張りの窓の向こうに真っ青な空が見えた。そこには無音があった。私は心がスーッと軽くなる感触があった。さぁ3人で前に進もう。
口論になる度に、離婚する、子ども達を連れて日本へ帰れと言われ、離婚書類をメールで送ってきたり、離婚するための手続き料を裁判所へ支払っていると言ってきたり、彼は家族のために頑張っているのに、私は如何に無能で、私の両親が私を持て余していたから彼が救ってやった等と言われ続けてきた。その上、それでも彼の気が収まらない時は、私からクレジットカードや現金を取り上げて経済的制裁を加えることも何度もあった。私は、彼との結婚生活を続ける意味が分からなくなっていた。何より自分自身に自信が持てなくなっていた。
ピロロン。携帯の着信が鳴る。心臓がドックンと鳴る。彼からの返事だ。「貴方はここで家族の成長をストップさせるのですね、分かりました離婚しましょう」と返事が来た。どうしていつも一言カチンとさせることを言うのかなと呆れつつも、離婚へ向けて同意があったことで安心した。これで前に進める、あと少し頑張ろうと気を引き締めて家路に着いた。
家に着くと、彼は自分の部屋を閉めてリモートワークをしていた。私は洗濯物を畳み、夕食を作り始めた。しばらくすると背後から「Aちゃん」と声がした。心臓がまたドックンと鳴る。恐る恐る振り返ると、両手を後ろに結んで仁王立ちに立っている彼が私を見ていた。心臓がバクバクしてきた。怖くて言葉が出ない。
「もう一度考え直してくれない?」
ん? 何を言っているのか分からない。
「もう一度考え直してください、お願いします」
彼は深々と頭を下げた。
「でもKちゃんが離婚したいって言ってたよね?」
「離婚したくない、もう一度考え直してください」
「。。。私の覚悟はもう決まったから、考え直すことは出来ない」
「。。。一旦仕事に戻るよ」
このような会話が数日続いた。そして彼から話があると言われテーブルに向かい合って座った。
「もし、Aちゃんの考えが変わらないなら、離婚してAちゃんだけ日本に帰ってください。子ども達は僕が面倒みます。」
彼は1人で子ども達を公園や遊技場に連れて行ったこともなければ、そもそも子ども達がどの学校に通っていて、好きな遊びや食べ物、何時に寝るのすら知らなかった。
「離婚するなら、年末日本に帰るのもキャンセルして離婚申請をするよ。そしたらアメリカは基本、親権は50/50だから子ども達は週の半分ずつお互いの家を行き来することになるよ。そしてAちゃんや子ども達が日本に自由に帰れなくすることが出来るよ。住む家がない?だったらシェルターでも行けばいい。そんなの僕が知ったことではない」
完全に私への脅しだと感じた。経済的制裁を加えるのと同じように、気に入らないことがあると私から奪って動けないようにする。
私は内心震え上がっていた。懸命に彼にそのことを気づかれないように装った。少し考えますと言い残し、寝室に戻り、鍵を掛けて、寝室の奥にあるクローゼットの中から震える手を押さえながら、知り合いの弁護士に1本しかない命綱をたぐり寄せるような思いでメールを送った。
助けてください。彼と別れて日本で子ども達と生活がしたいです。
弁護士からのアドバイスは、日本とアメリカの間ではハーグ条約が結ばれている為、相手の許可なく子ども達を日本に連れて帰ったら私は誘拐犯として指名手配される可能性がある。またアメリカで離婚申請をしたら(アメリカで離婚する場合、誰でも裁判所に離婚申請を申し立てる必要がある)、その時点から今後相手の許可なしでは、私も子ども達も日本に自由に帰って来れなくなる。そもそも子ども達はアメリカで生まれ育っているため、今の時点では、裁判官が子ども達の永住地はアメリカだと判断するだろう、そうなれば私も一緒に子ども達とアメリカへ戻って生活をするか、私が日本に残れば、子ども達がアメリカと日本を行き来しなくてはならなくなる可能性が高い。しかし日本での滞在期間が長くなればなるほど裁判官は永住地を日本だと判断する可能性が高くなり、そうなればハーグ条約を回避することが出来て、アメリカへ連れ戻されることはないだろう、現時点での最善策は、年末に日本へ帰省する予定なら、争わずに家族一緒に日本へ帰ることだと言われた。
私は、弁護士のアドバイスに従って、どうしても手放せないと思ったものをダンボール2箱分に詰めて航空便で日本の実家に事前に送り、とにかく平和に日本へ帰ってくることに成功した。彼は彼の実家(彼はアメリカの国籍を取得したので私達は国際結婚にあたる)、私と子ども達は私の実家に戻り、別居生活が始まった。
さぁ問題はハーグ条約だ。
ハーグ条約とは↓
1980年に採択されたハーグ条約は、国境を越えた子どもの不法な連れ去り(例:一方の親の同意なく子どもを元の居住国から出国させること)や留置(例:一方の親の同意を得て一時帰国後、約束の期限を過ぎても子どもを元の居住国に戻さないこと)をめぐる紛争に対応するための国際的な枠組みとして、子どもを元の居住国に返還するための手続や国境を越えた親子の面会交流の実現のための締約国間の協力等について定めた条約です。日本人と外国人の間の国際結婚・離婚に伴う子どもの連れ去り等に限らず、日本人同士の場合も対象となります。(外務省HPから抜粋)
日本の外務省へ、実際子ども達はどのくらいの期間日本に滞在したら日本が永住地と見なされるのか問い合わせてみた。ケースバイケースだが、だいたい1年が目処になると言われた。
私達が日本へ帰ってきたのが12月半ば。アメリカへ戻る飛行機のチケットは3月だから3ヶ月間は日本に滞在することが確保出来ている。彼は仕事のために1月にアメリカへ戻ることになっている。弁護士に相談すると、少なくても6ヶ月以上日本に滞在して、私が就職し、子ども達も幼稚園に行くなどして生活の基盤が日本になりつつあるという実証をすることが大事だと言われた。それを実証するために、子ども達は幼稚園に行き、私はアルバイトと就学に励んだ。
1月、彼が先にアメリカへ戻った。
2月、迷ったが、帰る直前まで彼に黙っておくのは良くないと思い、私達は3月にはアメリカへは戻らないのでチケットの払い戻しをお願いしますという内容のEメールとラインを彼に送った。返事がない。返事がないことに怯えながら日々を過ごした。
3月、彼から、私と子ども達は日本で生活することを同意する、そして私が何も要らないと言うから離婚に同意する、アメリカで離婚申請するから戻ってくるようにと催促される。弁護士と相談して、アメリカに戻って、万が一彼の考えが変わったら、私と子ども達は今後彼の許可なしでは日本に帰って来れなくなる可能性がある為アメリカには戻らず日本から離婚申請する旨を伝える。
そして彼からメールが届く。彼が弁護士を雇ったこと、養育費なし、親権50/50、財産分与の一部で合意離婚しないと、アメリカでの家庭を放棄した、帰国予定の日に帰って来なかったということで、ハーグ条約に則って、子ども達をアメリカに返還する要請を裁判所に申し立てるという内容だった。もしもそうなったら、私は子どもの連れ去り誘拐犯として捕まり、アメリカには入国出来なくなり、子ども達と会えなくなるかもしれないと思うと生きた心地がせず、夜も眠れない日々が続いた。
その時、親友から、私の1番の希望は子ども達と日本で暮らすことで、子ども達は私にとって何ものにも代え難い存在だということ、周りのサポートを受けて少しずつ子ども達を自分で養っていけるように力をつけていけばいいよと背中を押してくれた。
私は彼女の言葉で思い出した。そうだ、私が子ども達を守るんだ。子ども達を守る自由を手に入れるんだ。私は決心した。そして彼に同意すると返事をした。
今はまだ実家で両親のサポートを受けながら生活している。子ども達は日本語が上手になってきていて、お友達も出来て楽しく幼稚園に通っている。私はアルバイトと資格の勉強に日々励んでいる。離婚したいと彼に伝えてから11ヶ月が経った。怒涛の離婚劇だった。彼と結婚したことは1ミリも後悔していない。だって子ども達に出会えたから。さぁ、これからだ。私の未来には希望がある!
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