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手術

 明日は父親の手術の日である。

 なんだか最近咳き込むことが多いので、年齢による大事を考えて病院を受診してみたところ、心臓に穴が空いているようだった。左心房と右心房の間にぽっかりと空いた穴。綺麗になった血液と、身体を循環して汚れてしまった血液が混ざり合ってしまうらしい。

 より詳細な状態を把握するためにMRIを撮影したところ、やはり穴は空いており、しかしより重大な疾患も見つかって、そちらは肺気腫だった。煙草の吸いすぎによって肺が汚れてもう元には戻らない。循環器科の先生が九十歳の肺かと思ったと思うほどに黒く汚れてしまっているようだった。専門医には話を聞けぬまま今まで来ているけれども、ネット知識で判断するのならば、心臓の穴よりも肺の汚れの方が死に近いように思えた。

 何はともあれまずは治せるところを、ということで明日は父親の心臓の穴が塞がる。病院はコロナからずっと入ることができずにいる。近くで待てない母はだいぶ気落ちしており、一緒に病を負ってしまうのではという印象すらある。

 僕はその事実を聞いた時に動揺したけれど、一旦の平常心は取り戻した。調べてみても手術の成功率は高いのだし、僕が落ち込んで成功率が上がるのであれば地中の深くまで落ち込みまくるつもりだが、そうでないのであれば、落ち込んでもいいことは起こらないはずだろう。祈りも落ち込みも手術の結果を左右せず、生活のテンションを変えるだけというのは世知辛い。神様の仕事は雑すぎる。

 母が父に電話をかけて少しだけ話していた。消灯時間も近いのですぐに切るけれど、術前最後に話しておこうということだった。他愛もない話をしていた。バナナサンドのハモリ我慢を見て笑っていたようだった。僕もちょうど居間でそれを見ていた。

 母がスマホをコチラによこし、話したいみたいだからと電話をかわった。「おう、おつかれ。明日も仕事頑張れや」「うん、明日手術頑張って」と本当に短い、幾つかだけのやりとりだったが、何故だか唐突に涙が込み上げてきた。

 電話を切り、すんでのところで涙が溢れるのを我慢した。泣いたところで、落ち込んだところで、明日の結果は変わらないが、祈ることくらいはしたいと思った。

 明日が無事に終わるといい。終わりますように。

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