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砂漠

 仕事で終電を逃し、もう少しで気が狂うな、という夜を半年ほど過ごしている。もしかするともう狂ってるかも知れないが、自分なりにはまだ耐え抜いて何とかやっていると思い込んでいる。
 そんな夜には雪がしんしんと降っていたり、暗いのに蒸し暑かったり、今だと鈴虫の声が聞こえる。街路樹の草むらで鳴いているらしい。可愛い声でどこか切ない。秋は切ないものだから、鈴虫のせいではなくて、気温のせいの心持ちなのかもしれない。
 鈴虫の向こうの大きな通りを、タクシーや納品のトラックやどこかに向かう乗用車が行く。鈴虫の声が聞こえなくなる。タイヤの音と排気音が耳を支配する。現実に戻り周りを見ると、マンションの共用フロアの明かりが見え、その外壁を沿うように目線を上げても部屋の電気は全て消えている。僕の中の夜が深くなる。
 誰かが寝静まっている部屋を想像しながら煙草を咥える。ライターの歯車が二回空回りしたあとに、やっとのことで火がつく。長く吸い込み吐き出すと白い煙が目の前に広がり、知らない人の見ている夢に自分も参加したいとふと思う。
 砂漠を歩むらくだのこぶの間におさまる貴方はスフィンクスが見たいと言う。ここからだともうすぐだと僕は応えるが、GPSもないのによく分かるねと笑われる。砂漠の地図は頭に入っているから僕には分かる。ただの砂浜に見えるかもしれないけれど、西の方に隆起が見えるでしょう、右肩下がりの急な坂になっている、東の方角の遠い向こうには小さい隆起が双子のように並んでる、ということはここは砂漠町クフ十七丁目ってことになる。納得したような顔の貴方は安心してらくだの紐を強く握ったのだった。
 これじゃあ気が狂ったみたいだ、と我に返る。
 そして、こんな空想はいつものことだと胸を撫で下ろす。現実逃避ではなくインスタントな娯楽だ。
 知らない部屋の窓から視線を前に戻すと、どうしたことか砂漠が広がっている。晴れ模様だった空想とは違ってすっかり夜が砂浜を覆っており、一等星がポツポツと空に張り付いて、半分の月がアクセントを加えている。隣にラクダも貴方もいない。孤独な砂漠を一人行く。
 目的地は何処だったろうかと考えるが、軽く吹いた風に答えが奪われて分からなくなる。不安がつのる。目的地はきっと素晴らしいところだった筈だ。それこそ、そう、スフィンクスが待っていてくれるような、そしてそいつが「人間」が答えになる質問をしてくれる場所だった気がする。
 曖昧なままでも、向かう先が何となく定まり心がほんの少しだけ安らぐ。まったくの暗中模索よりは、何処か向かう先があって、しかしどうすればよいのか分からない、というほうがいくらかましな気がする。闇雲に歩いていた足取りがほんの少し前に定まる。
 どうすればよいのか、を考えればあとはどうにかなるということだ。そう結論付けたところで砂漠の風景は消え失せて、鈴虫の声が耳につく。
 空を見上げると大きなオリオン座が見え、冬が近づいてきたなと思う。本当に冬になってしまう前にスフィンクスに辿り着けるだろうか。現在地を示すGPSを手に入れられるだろうか。
 分からないが、分からないなりに煙草を吸って、分かったふりして煙を吐き出し、現実の家路をぽつり歩いた。

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