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自称進学校は木の葉隠れの里にある

1. 田舎の自称進学校

私が通っていた高校は、田舎に位置する自称進学校だった。一般的な都会の学校と比較して、生徒間の偏差値の幅が顕著に大きい。
学年全体の進学先といえば、東大に行く人が5人、専門学校へいく人が4人というものだった。
最上位と最下位の差でいえば20どころではない。

専門学校に行った人は、進みたい道があるというよりは受験戦争からの脱落や諦観が見え隠れしていた。
私の学校は、偏差値の幅だけ多様性があった。
私は、自分の学校を気持ち悪いと思っていた。

教師のほとんどはコッコウリツという神様を崇拝し、国公立大学への進学を一貫して推し進めていた。もしくは、その気がなくても信仰させられていた。私立への進学希望者は異端児扱いだった。
進路希望書に私立の名前を並べた私は、次の日書き直せと言われ白紙を渡された。
それまでの経緯が白紙に返るとはよく言ったものである。シュレッダーを使えば都合の悪いことは存在ごと消滅するらしい。隠滅秘密道具のひとつである。

この信仰心は、効率的な勉強法や過去問の分析よりも、長時間の勉強や、塾より授業を大切にしろと膨大な課題を遂行することを重要視する教育方針に反映されていた。
つまりは、熱心に修行をした敬虔な信者だけが受験に受かると言っている。教師は、努力は裏切らない!とよく口にしていた。

特に際立っていたのは「特進」の存在だろう。
各学年には1クラスだけ「特別進学クラス」略して特進というクラスが、難関大学や医学部を目指す生徒のために設けられていた。この制度自体は珍しくない。難関大を目指す人を1クラスにまとめた方が教師としても効率がいいのだろう。
他のクラスは毎年クラス替えがあるが、特進だけは数名の入れ替わりはあるものの3年間クラスが変わらない。そのため他のクラスより団結力が高かった。


特進クラスと普通クラスには格差があった。
文武両道を掲げているため、生徒は部活への入部を強要されるのだが、特進だけは帰宅部を許されていた。
スカート丈を規定より短くしても(成績が良い間は)怒られなかったし、特進だけ修学旅行の行き先が違った。

もちろん特進にだって良いやつはいたのだが、集団として「俺たちは特別だ。お前らと違って」という雰囲気があり苦手だった。中には成績を鼻にかけて馬鹿にする人もいた。
教師は彼らを「優秀な生徒」だと持ち上げていたし、普通クラスからは疎まれていた。

2.受験は団体戦

自称進学校頻出ワード「受験は団体戦」という言葉が大嫌いだった。
そんなわけあるか。クイズ$ミリオネアじゃないんだぞ。受験にはライフライン「テレフォン」で電話で助けてもらうことも「オーディエンス」で観客が予想を教えてくれることもない。
個人戦だ。だから辛いのだ。

教師たちは「受験は団体戦」という言葉を盾に生徒をコントロールしようとした。
特進の点数が良いと普通クラスを馬鹿にし、普通クラスの点数が良いと特進にハッパをかけた。(オブラート100枚)
生徒を競争させることで成績を向上させようという魂胆は分かるが、これを団体戦というのなら辞書で切磋琢磨という言葉を引き直してほしい。

普通クラスは優秀な一部の生徒を育成するためだけに存在した。必要なのは「優秀な生徒を選別すること」だった。入学時点で普通クラスは二等市民同然、お役目は終わりなのである。特進が特進以外を馬鹿にするのはしょうがないことだった。

私は模範的な生徒ではなかった。放課後補習を放棄し、模試をサボることもしばしばあったので「お前が和を乱すせいでみんなを邪魔してる」とよく怒られていた。
しかし、私としては邪魔をする意図は全くなく、私立に行きたい私がコッコウリツ対策の補習に出ても意味がない、ただそれだけだった。
信仰する宗教が違うと迫害されるということを私は17歳の時に知った。

特進は特別だった。市内で最も優秀な生徒たちの集団だ。「○○さんちの○○くん、△△高の特進コースらしいわよ!すごいわねえ。」
井戸端会議でいくら人気でも、特進なんて全然羨ましくなかった。

彼らのストレスとプレッシャーは半端なものではないと知っていた。
教師、親からの期待、判定を気にするだけでなく、クラスの順位が半分以下だといつでもクラス落ちの可能性があった。特進落ちは「都落ち」だ。
クラス替えもなくずっと同じメンバーだったのにいきなり他のクラスで馴染めるかもわからなかった。
そして、都落ちの先は自分が下に見ていた普通クラスだ。同じになるのが怖かった。

みんな、落ちこぼれないよう必死だった。

彼らは、自分たちは成績が優秀で、何者かに選ばれた特別な存在だと信じていた。
成功したらそのままの自意識、挫折したらボロボロになった。あの学校が彼らを特別にした。

3. 木の葉隠れの里


最近、同級生とこういった思い出話をした。
特進ってなんかダルかったよねって。
田舎で自分より上を見ずに育ち、親にも教師にも特別だと言われ育てられたら、そら歪むよねって。

「こんなの、普通クラスがヘイトを溜めるような設計だよね」

「特進が他のクラスを馬鹿にするのはしょうがないとしてもね〜」

「あれ、私たちは特進が特別扱いされるその格差に不満をもってきたけれど」

「実は全く逆で、特進は普通クラスがヘイトを集めるために設計された集団だったとしたら……?」


………

「うちは一族と一緒だ」

「どういうこと?」
何の話か分からなかった。被せるように尋ねる。

「NARUTOの話なんだけどさ。
うちは一族は写輪眼と呼ばれる特別な才能を持っていた。彼らは村から離れたところに住んでるんだけどね。
村の人たちは、優秀で特殊な能力を持つ一族に敬意を払っていた。

でも、彼らが持つ特異な能力のせいで争いに利用されたり、国に戦禍をもたらす存在となって村の人たちから畏れられるようになるんだよ。

彼らは、特別だから離れたところに住んでいる、と思っていた。でも本当は逆。あれは部落差別の話なんだよね

.

そんなことあるわけがない。考えすぎだ。
でも、私は否定できなかった。本当のところがどうかなんて誰にも分からない。

確かにあの学校には格差社会の縮図があった。
あの時は分からなかったけど、特進の彼らも犠牲者だった。学校が創り出した特別な存在として、期待とプレッシャーに苦しんでいたことは今ではよく分かる。

もし、似たような環境にある人がこれを見たとしたら。君たちはこれからずっと比べられ続ける。卒業してからも。ずっと。
だから、はやくその比較競争から抜けてほしいと思う。
私は、レールを踏み外してからの方が、生きるのがずっと楽だ。


そして、風の噂で聞いた今の母校の話。
今まで特進クラスは成績優秀者+希望者で成り立っていたんだけど、近年は定員割れしているらしい。
成績優秀者を勧誘しても辞退されるそうな。

そこで、学校は上位40名を強制的に特進クラスに入れることに決めた。考えうる限り1番の悪手である。

私の在学中から時が経ち、生徒たちは気づき、特進クラスを避けるようになった。それでも学校は何も変わらない。私は学校が気持ち悪い。


念の為言っておくと、この学校は、宗教団体ではない。宗教に絡んでもいない。
教祖もいないのに、あのコッコウリツ信仰という宗教の核は何処にあるのだろうか。


2024/03/31

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