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備忘録 9月9日(土)

昨日のことについて忘れたくないので記録。

話した側から

昨日のラジオのテーマで取り上げたのは、星野源さんの「必要とされなくても、楽しく生きられる人になりたい」という言葉だった。これはLIGHT HOUSEという、オードリーの若林さんとのトーク番組で星野源さんが放った一行日記のひとつ。
この言葉は噛み締めるほどに芯をくった言葉で、今週この言葉についてあれやこれや考える時間が多かった。

生きていると必要とされない場面はどうしたって出てくる。なぜなら必要とする・しないは他人が決めることだからだ。必要とされない場面に出くわすことは避けられない。でもその都度自分に軸を置き直して、自分の楽しさでやっていくことが大事ですよね〜、という話をした。

そういう話をしている最中に、まさしく「必要とされてない」と私が感じる場面に出くわした。
ラジオはYouTube配信をしていて、同接人数がわかるようになっている。昨日は同接が殆ど「ゼロ」だったのだ。誰も見ていないことが、私にとっては「必要とされていない自分」に結びついた。

ありがたいことに、私がラジオをスタートしてから毎回数人は同接してくれている方がいらっしゃるので、この同接ゼロという状況は実は昨日が初めてだった。
「ゼロか、、、」盛大に狼狽えて、話すのが辛くなった。

こともあろうか「必要とされなくても楽しく生きられる人になりたい」と話した側から、楽しく生きれていない自分がいた。「私は必要とされてない」そんな思いが全身を駆け巡った。自分が用意してきた話がまるで無価値に感じた。話す自信がなくなって内容を変えようかとも考えた。でも数秒前に「都度自分に軸を戻して、楽しくやることが大事」だって偉そうに話した自分がいる。恥ずかしくなった。

逃げたくない

放送中に殴り書き

逃げられないし、逃げたくなかった。それに言ったことを体現するのは今この時だと。それを実践する自分なら私は自分で自分を肯定できると思った。
そもそも私は「ラジオ」をやっていて、例え数字として見えなくてもラジオの前で聴いてくれている方はいるかもしれないし、お店でラジオがかかっていてたまたま耳にしている方だっているかもしれない。そういう人たちに対してとても失礼だとも思った。

夜空の下で

そんな葛藤入り混じる時間だったから、ラジオが終わった後は数時間使い物にならず、時間が経ってもモヤモヤがなくならないから、夜走った。これが正解でゼーハーゼーハーきついので、しばし昼間のことを忘れることができた。私のような頭が常にうるさい人間は、体を使って没頭する時間を作るのはとても有効だと思う。

沖縄の真っ暗な道路で1人座り込み、見上げた空は晴天だった。晴天の夜空には無数の星が散らばっていた。主張の強い星もいれば、微かに見える星もある。ここはとにかく空が広い。生まれ育った土地と全く違う空に、遠くに来たもんだと今更思う。

夜空の下、これからどうしよう?と自分に問えば「まだ頑張りたい」の自分と「もういいじゃない」の自分がいて、2人がせめぎ合っている。こんな落ち込んだ日には「もういいじゃない」の自分を採用したいし、もちろんそれは間違いでもないけど、でもやっぱり「まだ頑張りたい」の自分が強いもんな〜と苦笑い。私はもう少しだけ頑張りたい。やれるところまでやってみたい。

リプラン&リスタート

今回のことを通して、私自身の未熟さや浅さを身をもって実感した。それは必然だったように思う。どこか慢心している自分を自覚することができた。見てくれる人がいることは決して当たり前ではないのだと、目の覚める思いをした。しっかり反省して反芻して自分に落とし込みたい。その上で、私はどんなラジオをしたいのか、今後どうしたいのかをしっかり考えていきたい。

これほどに堪える時間はなかなか味わえないから、総じて今回のことは私にとっては良かったと思っている。すぐすぐポジティブに変換するつもりもないから、傷の痛さをじっくりと噛み締めて立ち上がりたい。

まだまだモヤモヤは引きずりたい、自分のためにも。




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