まだ、分かんねーよ
父親から、7歳の息子の小学校の運動会に行きたいと連絡があったのは、1週間ほど前のことだった。
父親は県北の日向という町に住んでいて、宮崎市内までは高速道路を運転して1時間と少しかかる。なかなか遠くに行きたがらない父親にしては珍しいなぁと思ったが、来てくれると息子も喜ぶ。「全然いいよ」と返事をした。
当日は快晴。抜けるような青空で、まさに運動会日和だった。
父親からスマホに「着いた」という連絡があったのは、僕が小学校の運動場について30分ほど経った頃。入口の門まで迎えにいくと、どこにいるかはすぐに分かった。身長が180センチ近くあるので、保護者でごった返す中でも周りより頭一つ抜けている。黒いキャップ帽をかぶっているが、白髪の白がよく目立った。
「おう、来たぞ」
父親は軽く片手を上げて笑った。
最後に会ったのはお盆の時期だったと思う。およそ2ヶ月ぶりに会う父親は、元気そうに見えた。折りたたみ式のイスを小脇に抱え、誰よりも観戦体制が整っている。気合十分という様子だ。ただ、予想以上に運動会での息子の姿は豆粒だった。小学生達の安全を確保するためか、保護者が観覧できるエリアはこども達からかなり離れている。
「どこにいる?」
「あー、あれかな」
僕が運動場に散らばっている集団を指差す。
「どれ?」
「あれ!」
父親が僕の真後ろに立ち、指差す方を同じ視点から眺めようとする。
「…分からん」
会話のほとんどは、息子の姿を探すやりとりだった。望遠レンズを搭載したカメラがないと、スマホのカメラでは話にならないくらい息子との距離は遠かった。
「まぁ、元気そうな姿を見られて良かったよ」
息子の出番が終わり、日陰で腰掛けて一休みしている時に父親が言った。
「珍しいね、そっちから声かけてくるなんて」
僕が言うと、父親がふっと笑う。
「見納めかもしれんしな」
「また、そういうこと言う」
僕は意味もなく、地面に生えていた草をむしった。
父親が末期の前立腺癌だと分かって2年が経つ。医者から「あと4年」と言われてからの2年目。今のところ見た目は元気だ。車で宮崎市内まで来ることができる気力もある。父親本人からも、現状は元気だと聞いている。
「まだ分かんないじゃん、あと10年くらい生きるかもしれんよ」
冗談交じりに言ってみる。もちろん、それが本当だといいと思っている。
「いや、分かるよ」
少し遠くを見ながら言う父親の言葉が変に力強くて、その後はうまく茶化せなかった。
息子が絡む運動会のプログラムが大体終わったところで、「そろそろ帰るわ」と父親が言った。僕はこの後、運動会を終えた息子と合流して家まで帰らねばならない。父親とはここまでとなる。
「送るよ」
僕は学校の外まで父親と一緒に歩くことにした。
「アイツ、だいぶ成長したな。頑張ったなって、コレ渡しておいてくれよ」
父親が息子に真っ白なスケッチブックと色鉛筆を買ってきていた。もう退職したが美術の先生だった父親。こういう時に少しだけその片鱗が見えたりする。
「おぉ、ありがとう」
息子へのプレゼントを受け取ると、父親は「じゃあな」と言って近くの駐車場まで歩いて行った。後ろ姿をしばらく眺めていたが、ハッとしてスマホのカメラを起動させて写真を一枚撮った。そこには、運動会の時の息子並みに小さく写った父親の後ろ姿があった。
あぁ、見納めとか言ってるくらいだから、みんなで写真を撮っとけば良かったかな。
そんなことが一瞬頭をよぎったが、いやいやと軽く頭を振った。
まだ、分かんねーよ。
さっきまで手前の看板にとまっていた赤いトンボが、ひらりと目の前を横切って田んぼの方へ飛んでいった。
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