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aikoになりたい

 このエロさ、なんかこう、もっと見ていたい。YouTubeでmilkのPVをひと目見たときから、どこか引き込まれるものがあった。どうしてそこに行き着いたのかはあまりよく覚えていない。ただ、そのギャップにやられた衝撃は鮮明に覚えている。僕のそれまでのaikoのイメージは、カブトムシと花火の人くらいの、恐らく世間一般の人々が持っているであろうイメージとまったくの同程度でしかなかった。ところがmilkのPVとの出会いを境に、そこから貪るようにaikoを聞き始めた。CDを買い揃え、DVDを買い揃え、ファンクラブに入り、LIVEや番組観覧にも行くようになった。(この文章ではファンだからこそ、あえて敬称をつけずaikoと表記としたい)

 そもそも僕は、人とのコミュニケーションに向いていない人種だ。物心ついたときから気付いていた。現象を観察し分析することが人より少しだけ得意な一方で、他人の気持ちを汲むことや人の顔を覚えることが苦手だった。幼少の頃から友だちを作ることが苦手だった。典型的な転勤族に生まれ、4年おきに転校するのがたまらなく嫌だった。物心がついて自身の能力の欠如を認識するにつれて、僕は徐々に人との関わりを捨てるようになっていた。残念ながら、僕の強みはそこになかったのだ。小中高どの年代においても僕は大人しく息を潜めてやり過ごし、卒業まで僕は異物のままだった。でも、いや、だからというべきか。羨ましかった。誰とでも仲良くなれる人や、いつでもクラスの中心にいるような人が。彼らは僕が選べなかった道を歩んでいた。神様はその代わりを授けたのか、僕は勉強と長距離走が少しだけ得意だった。学校という環境は非常に守られていた。大学ですらそうだ。他者との関わりを捨てていても、難なく卒業することはできる。ところが、大抵の仕事は他者と関わることで始まり終わる。他者と関わることなく、カネを稼ぐ手段など本当にごく僅かだ。僕が生き残るために投資という手段に行き着いたのは、ある意味で必然だった。

 2012年、東日本大震災から1年が過ぎ去り、オバマ大統領が再選を果たし、EXILEのHIROさんと上戸彩さんが電撃婚が発表されたあの頃。僕は社会人2年目を秋葉原で迎えていた。大学生の頃から投資で食っていきたいという想いがあった。というと格好が良いが、その実、働きたくない、もっと言うと他者と関わりたくないという、どちらかというと負の感情からカネに異常に固執していた。労働の対価としての給料を上げることよりも、株式投資のパフォーマンスを1%でも上げることに必死だった。自己資金5,000万円が手元にあれば、たとえ年利5%でしか運用できなかったとしても250万円。税金のことは考慮していないにしても、一人で細々と生きていくくらいはできる。5,000万円を達成したときに会社勤めを辞めるかどうかはそのときに判断するとして、まずはその状況を早く達成したい。大学生の頃からそう考え、行動してきた。そうして、ひとまずは大台の1,000万円に載せたのが、この年、2012年だった。

 1,000万円を達成したとき、僕は迷子になった。これまでカネという価値観をひたすらに追ってきた。特に贅沢をするわけでも、したいわけでもない。自由な時間が欲しい。ただそれだけだった。思い立ったらすぐにでも沖縄でもハワイでもいける、それが幸せなのだと信じていた。そのために色々なものを切り捨ててきた。その末に、ひとまずの目標に手が届いた。その延長線上には5,000万円も見えている。その意味で、カネという価値観を追う姿勢としては間違っていない。間違ってはいないけれど、そこでふと思ってしまった。その延長線上に幸せはあるのかなって。僕が1,000万円持っていようが、5,000万円持っていようが、僕以外の人間にとってそれはどうでも良い話だ。同じくカネという価値観に重点を置く人間が集まってきたところで、それは僕に魅力があるわけではないし、それが僕である必然性もない。他者になるべく関わらないでも生きていけるように始めた投資だったけれど、他者との関わりがなければ、一緒に喜んでくれる誰かがいなければ、僕は本当の意味で幸せになれないのだと気付いてしまったのだ。僕が今までの人生で切り捨ててきた何かを拾いにいかなければならないというその必要性だけは認識しつつ、ただ具体的にどうアプローチすれば良いのか分からずにいた。人間力という言葉がある。コミュニケーション能力という言葉がある。どちらも就活のときにやたらと聞く言葉だ。具体的に定義されていないその漠然としたイメージに、僕は自身を守るために嘲笑するしかなかった。その得体の知れない何かに、今や僕は真っ向から挑む必要が出てきてしまった。路頭に迷っていたときに出会ったのがaikoだった。

 aikoは僕と真逆の人間だ。たいていのあらゆる面において、aikoと僕は両極端だと言って良い。だから夢中になってしまった。僕に欠けているもの、僕が持っていないものは全部aikoが持っていた。aikoが作る曲はいつも「あなた」と「あたし」の関係性とその変化を描く。「あなた」はもちろん、「あたし」から見て他者であり、どんなに関係が近づいても「あたし」と同化することはない。

あなたはあたしじゃないから 全てを同じように感じられないからこそ

(戻れない明日、AIKO作詞、2010年)

だ。抽象度が比較的高い歌詞が多く、コード進行も独特でいわゆるaiko節の曲が多いから、ファンの間でaikoの曲はスルメソングと呼ばれている。聞けば聞くほど味が出て、中毒性があるからだ。aikoが徹底して「あなた」と「あたし」を追求しているのは何も曲の中だけではない。マスになりがちなLIVEですら、aikoとファンが1対1でコミュニケーションする要素がふんだんに盛り込まれている。aikoはお客さん1人1人をすごく良く見ているし、顔を覚えている。正直に言って、毎回、本当に文字通り毎回その点で感心させられる。MCでは観客と会話するのが通常営業で、aikoとファンの距離感も非常に近い。歌っているときも会場の隅から隅まで目線を合わせて、1人1人に歌ってくれていると感じる。「男子!」「女子!」「そうでない人!」でおなじみのコール&レスポンスも、観客にもっと参加して楽しんでほしいという想いからaikoが最初に始めたものらしい。

 aikoの曲を聞いていると、垣間見えてくる価値観がある。それは、幸せなときやうまくいっているときほど、いつか来る終わりに不安を覚えるというものだ。aikoは永遠などないことを幸せの絶頂の中でさえ意識してしまう。だからこそ、「今」に価値があり、今を全力で楽しむことができるのだ。「みんなでこれからも一緒に歳を重ねていきましょう、皆さんこれからもよろしくお願いします!」という結びをLIVEでよく聞く。無駄に歳を食ったり取ったりするのではなく、重ねる。いつか来る終わりに後悔しないように。一緒に歳を重ねられることは決して当たり前ではないし、それが長く継続できることはすごく幸せなことだと思う。

 aikoが僕の日常に溶け込んではや11年が過ぎた。その間に僕は会社を作ったり、結婚したり、子供ができたり、本当にいろいろなことがあった。2023年現在、僕は従業員数名の小さな会社の代表をしている。二児の父でもある。僕に突出した能力があるかというと残念ながらそうではないので、いろいろな人に負んぶに抱っこだ。そういう意味で、僕は他者に関わりまくりである。この方向性の始点の1つにaikoとの出会いがあるのは間違いない。最近、取引先の社長が神奈川から来られて飲みに行った際に嬉しいことをおっしゃって頂いた。

「君の一番の強みはコミュニケーション能力だよ。別に口が上手いだけがコミュニケーション能力じゃない。長期的に付き合っていける、いきたいと思えるかどうか、そういう観点で君のコミュニケーション能力は唯一無二だと思うよ。」

 最初こそaikoの曲を聞くことそのものが目的だったが、今では曲はもちろん、それ以上にaikoという人間が大好きで、尊敬していて、すっかり僕の日常に溶け込んでいる。「僕」にとって「aiko」は他者である以上、僕はaikoにはなり得ない。だからこそ、僕はaikoになりたい。

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