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日々の体温測定みたいに、自分に立ち戻る時間

一列に並ぶ下書きたち、写真だけを入れているものもあるのだけれど、その数は今日時点で244。何をそんなに書くことがあるのだろう、私。公開記事もちなみにこのnoteを更新して256。1日だけ、記事は書いていたけど、更新するのを忘れてしまった日があった。その日は1日に2記事あげて、去年の8月末から約7ヶ月、200日以上更新している。

塩谷さんが書いていたこのnote、「書くことはセラピー」
私が毎日更新するのも、この感覚に近しい気がしている。おこがましいけれど、私にとって毎日更新する内容や、画面に向かう気持ちを体温測定のように思っている。いちばん最初は、読んだ本の記録や昂ぶった気持ちを落ち着けるためにネット上に日記は書き連ねていた。
けれど、あるイベントに参加した時のレポートに、自分史上最多の反応をもらえたことをきっかけに、発信してその先にいる誰かとつながり、心のうちを見せることに対して、少しずつ怖い気持ちと楽しい気持ちの割合が変化していった。

今でも、もちろん怖い。noteというプラットフォームは温かいし、私個人のいち意見が世の中に大きな影響を与えるわけはない。そう思っても、どこかで誰かを傷つけてしまうんじゃないか、笑われるんじゃないか、自分も傷ついてしまうんじゃないか、そういう気持ちはなくならない。それが責任だとも思っているし、ネット社会で言葉を投げかける重さだと感じている。

イベントにたくさん足を運んでインプットの量が膨大になり、自分のなかに渦巻く言葉や考えをアウトプットする形で自分のためにも残したくて始めた。こんなふうに続いて、繋がっていくなんて思ってもみなかった。
どちらかというと熱しやすくて冷めやすい、継続が苦手な人間だと思っていたから、こんなに書くことができていて自分にも驚いている。(でも、全くもって頑張っている気持ちはなくて、やっぱりセラピー的感覚なのだ。)

その瞬間、思った気持ちとか、言葉とか、自分自身の感情の揺れを逃したくない。noteを続けていくことで、そういう感覚は前よりも強くなったし、メモもさらにとるようになった。有益じゃなくても、自分のために、あとから取り出すような意味で、メモをしている。

そこから、始まる人とのつながりや、認識してもらえること、誰かを応援することにとどまらず、過去の自分を未来の自分が見つめることができて、ありがたい。そして、変わらない部分も変わったなという部分も、どちらも認めて前を向こうとする時間を1日のうちに30分程度でも取れていることが今の私にとって救いになっているのだろう。
誰といても、そこはブレたくない。ちゃんと自分に立ち戻る時間。

改めて、書くこと、そして読むことが苦じゃない人間で幸せ者だなって思う。今、この文章を目にしてくださって、ありがとうございます。これからも、気が向いたときにどうぞよろしくお願いします。

#毎日 #なんでもないこと #noteでよかったこと

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