相応しい3月

毎年,3月になると特有の感覚になる。3月の空気に包まれる。別れの季節だからだろうか。集大成の季節だからだろうか。昔の「卒業」を思い出すからだろうか。

最近,思ったのは不思議と3月はその1年の成果や課題が凝縮されたように表れることだ。がんばったらがんばった分だけ。さぼったらさぼった分だけ。

その1年に相応しい1か月となるのが3月のような気がする。

今年度1年間の育休を取得させてもらったぼくに,相応しい3月が訪れている。この11か月を凝縮したような3月になっている。

4~7月くらいにかけて2つの資格取得の勉強をしたが,それを使うような出来事も起きた。

普段会えない友人から連絡が入り,育休だからこそできたことの集大成にもなっている。

数年前に関わったある人物からそれこそ数年ぶりに連絡がきて会うことにもなった。

3歳の子は4歳になり,大きな成長を感じられるようになった。0歳の子は1歳になる中で,寝返り,はいはい,離乳食,つかまり立ち,歩く,発話など毎日多くの時間を過ごす中で実感させてくれた。

育休中に掲げた目標のほとんども達成してきた。3月はその1年のありのままの姿を表せてくれる。称賛も反省も。

やり残したことはないだろうか。3月までにやり残しがないようにとがんばってきた。次回はそのことについて書きたいと思う。

3月はゆったりと過ごしている。時間から解放されるべく,何かに追われることなく,目の前のことをただ受け入れ,流れている。

そろそろ復帰だ。心を含めた準備に入ることができている。やりきったからだ。まだ終わっていない3月を,何をどうすることに時間を費やしたいかと問われれば,むろん,できる限り家族といたい。


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