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「信じている」ものこそ「疑え」 第5節 A.鹿島戦

分からなくなってしまった。

どうすれば勝てる?とか、ポステコグルーは良い監督なのかダメな監督なのか?とか、そんな具体的な話じゃ無い。

どう批判すれば良いのか分からなくなってしまったんだ。

7月18日、A.鹿島アントラーズ戦において屈辱的な敗戦をした後僕はTwitterでこう呟いた。

これは試合が終わった直後に思ったこと。そんなにおかしな事は言っていないと思う。
ポステコグルーという監督は2019に破壊的なアタッキングフットボールサッカーでJ1リーグを制覇した名監督と言って過言は無い。
しかし、今年に入ってからは結果が振るわずスカッドとしては潤沢過ぎるほどあるはずなのにそれもほとんど活かせず、また同じような失点パターンを3試合連続でしてしまっている状況にある。だから彼には「建物を建てる力」はあるが「傾いた建物を修正する力」は無いとしてポステコグルーを解任するのは正に今が適切なのでは無いかと考えた。

他のクラブで同じような状態にあったら僕みたいな考え方をしている人は間違いなく、もっと多いはずだ。

でも、マリノスというクラブにおいてはこういう苦しい時に「信じる」という言葉が使われる。
「信じる」ってなんだ?サポーターである僕たちが一体何を信じるのか?
多分僕は分かっているようで分かっていなかった。

そしてその「信じる」が何かについて自分の中で腑に落ちてしまった時、ポステコグルーに解任を求めるという行為自体が間違っていることに気付いてしまったんだ。

「普通の監督」なんて多分どこでも定義されていないだろうし、監督という人種は千差万別なのであろうがそれぞれの中にやはり理想の監督像というものはあるはずだ。
僕の中で監督というものはいわゆる「勝負師」であるべきだと思っていたし、上手くいかない状況でも監督の決断1つで盤面がひっくり返ることは往々にしてある、監督はゲームを俯瞰して見る中で選手には出来ない修正をするべき人物だと思っていた。

しかしポステコグルーという監督はどうか?
A.鹿島アントラーズ戦を例にとってみても、例えば入りの10分はゲームの入りに失敗しなおかつ失点もしてしまったが、一点取り返すとマリノスの選手に覇気が戻り鹿島を押し込むが点は取れず。
後半に入って再び突き放されるが、ポステコグルーは「とりあえず選手を入れ替える」だけでピッチに放り出された個と個達が必死にコラボしようとしてる姿しか見て取れず、しまいにはその日唯一調子が良さそうだったマルコスを下げ、トップ下の位置にわざわざそのポジションが不慣れな水沼を入れた。

別に今始まった話でも無いだろう。ポステコグルーという監督の試合中の選手交代でもろにハマった事例なんて2シーズン通して一度もなかったんじゃ無いだろうか。もちろん個で押し切った試合はあるけど。彼はいつも事前からこの交代するって決めてました〜みたいな交代しかしない。
そもそも鹿島アントラーズがどういう風にプレスに来るかも予想できていたのなら、最初の入りが上手くいかなかったことも「準備不足」だったのでは無いか?1週間空きがあったのに選手のコンディションが整ってないように見えたのもフィジカル調整に問題があったんじゃ無いのか?批判なら色々言える。

じゃあポステコグルー監督は無能なのか?それに対するアンサーが今のマリノスで散々言われている「Brave&Challenging〜勇猛果敢〜」という宗教じみたスローガンなのではないだろうか。

ポステコグルー監督はそういった修正が「出来ない」のではなく「しない」のだ。

「俺にあまり答えを求めるな」という言葉は結構有名だと思うが、状況に応じた交代をせず当初から決めてたような交代をするのも選手になるべくシンプルに盤面を把握してもらい対策を打ってもらうためなんだろう。試合中のサプライズな行動は極力避けてるように見える。
ポステコグルーは選手の邪魔をしないのだ。選手達が勇気を持って挑戦出来る様に。

ポステコグルーは普通の監督では無い。
彼は選手達に大枠しか与えない。
初年度はその大枠を実行させるために何度も失敗させた。
次の年は大枠を選手達に実行させた上で結果を出させ、成功体験を植え付けた。
そして今年。最初は2018年の再来か…と思っていたが違った。「大枠で成功出来るという経験を得たにも関わらず『コンディションが整ってない』などの数個の要素を大枠にアジャスト出来ない選手達を見て」監督が怒っている。というのが今の状況なのだろう。

主人公はいつだって「ピッチで戦う選手」だ。そして主人公達はピッチの上でそれぞれが「大枠に沿った戦い方をするために」「仲間と協力して」「相手にアジャストして」「100%の力、一切手を抜かずに」戦うことが求められているんだ。

それが出来れば優勝出来る。それはもう過去が証明してる。だから負けるとポステコグルーは「怒る」のだ、
「出来てない」
「やれていない」
と。

以下は昨日の夜、Twitterでウサギが如くさん(@kuzulaser_)と会話してた際、例え話として登場した「マリノスをポケモンに置き換えてみる」というものですが、ちょっと面白い話になったので貼っておきます。


この話が正しいとして、僕は1つの疑問を持ってしまった。

「マリノスがどんなに勝てなくても、内容が良くなくてもそれは選手が『やれてないから』という理由で片付けられるため、ポステコグルー監督を責める事は出来ないんじゃないか。」

成功体験がある以上、やるべき事(大枠を守る)をやったら勝てるのに勝てないのは選手がやっていないからだ。という理論。

だからこそポステコグルーを解任できる理由が1つも思いつかない。

別にポステコグルーは無能だ!とか彼をマリノスから追い出したい!とかそんな話では無い。

僕は、彼がマリノスに来てくれたお陰で十何年ぶりのタイトルが取れたと思っている。その手腕は疑っていない。
ただ、マリノスという僕らが好きなクラブを彼に任せている以上、気付かぬうちに彼の立場が絶対的で揺るがないものになっていたということにはどうしても不安になってしまうんだ。

丁度チームが連敗して不穏な空気が流れているし、サポーターはどう考えようが自由なので、皆さんも「Brave&Challenging〜勇猛果敢〜」という3年間繰り返し言われ続けてきたスローガンと、僕らが信じてきたポステコグルーという監督を今一度「疑ってみる」のはどうだろうか。盲目的に「信じる」のではなく、いろいろ考えた上で信じるという決断ができたらそんな美しい話は無いんじゃないか。そこに答えなんて無いし、僕もその答えを知りたいくらいだ。

でも、その先に2020のマリノスがあるのかもしれない。

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