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比嘉の投球に泣いてしまった

内山荘真の打球がレフトスタンドに吸い込まれたときも、比嘉幹貴はブルペンにいた。
その日、彼は何度もブルペンのマウンドに出ては肩を作っていた。

それは、勝ちパターンではない中継ぎ投手の宿命である。特に比嘉のようなサイドスロー投手には、ワンポイントリリーフの仕事がイニングの途中に舞い込んでくることもある。
ピンチの芽を摘む、その仕事は「火消し」と称される。

日本シリーズの初戦。火消しの仕事は突然やってきた。

先発のエース山本が左脇腹の違和感を訴え、5回途中でマウンドを降りた。

グラウンドには不穏な空気が充満していた。

試合が壊れてしまうのではないか、という気配すら感じる中、マウンドに立った比嘉は何事もなかったかのようにキンブレル、塩見、山崎を淡々と打ち取ってみせた。

わずか7球のできごとだった。


そして、2戦目。

9回表、3点差を追い付くスリーランホームランが飛び出した。

またも異様な空気になった。

その後もどこか落ち着かない展開が続くなか、11回裏に比嘉が2連投となるマウンドがやってくる。
4番の村上に打席が回ってきた。

混沌とした試合を決定付ける一振りを期待したファンたちの間に、奇妙な高揚感が高まっていた。

この日もまた、比嘉は淡々と仕事をこなした。

緩いカーブを織り混ぜた投球で、史上最年少三冠王を手玉にとって空振り三振、続くオスナからも三振を奪った。

見事な火消しだった。


プロ入りが27歳と遅かった比嘉幹貴は、39歳で12年目のシーズンを迎えた。

浮き沈みの激しいプロ生活だった。

肩にメスを入れ、一軍のマウンドから遠ざかったこともあった。

今年の12月に比嘉は40歳になる。

黒田博樹は40歳のとき、メジャーリーグからカープへの復帰を決めた。

復帰のさい、残り少ない野球人生の限られた球数をカープで投げたい、という気持ちを口にした。

比嘉も同じく、投げられる球数は限られている。

その残り少ない球を、今日もまたプルペンキャッチャーに投げ込んでいる。

また一球、また一球と限られた球数は減っていく。

そこで刻まれた-1、-1は記録には残らない。

ダイヤモンドの中央で投げられた数球で、その積み上げが無意味でなかったことを証明し続けるしかない。

そんなことを思っていたら、なぜか泣けてきてしまった。

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