意見の押し付けは悪だと考えている人たちへ

「こうすべき、だというのを無理やり押し付けるのは相手にとって良くないのではないでしょうか」
「ん」


「こうしろ、こうすべきだという言い方をすると、相手がもし違う意見を持っていたら、それに対して反発しますよね?コミュニケーションは双方向であるべきですから、それだと一方通行の無益な押し付けになってしまうのではないでしょうか」
「はぁ」


「相川先生はよくそのような物言いをされるように思うんです。私は弟子なので、そう言われた瞬間に『聴く』を徹底しています。でも、世間の一般の人たちからすればそれは、容認できない独りよがりな考え方だと捉えられかねないと思うんです」
「そうね」


「誰だって『自分はこう思う。だからこうするんだ』と思いたい。でも実際は『こうしたほうが責められない。だからこうした方が無難』で行動する。それはわかります。誰だって炎上したくないし、周りから責められたくないし、みんななから認められたい。それは当たり前のことだと思うんです。人間は社会的な動物である、って西洋の哲学者も言ってます」
「そうだね」


「しかし、僕は思うんですが、1万人中9999人がノーと言ったとしても、自分がイエスだと思うことというのは、たとえそのイエスを実行に移さなかったとしても、その人の中ではイエスのままであり続けるんじゃないかと」
「その通り」


「しかし、ほぼ確実に否定されるような選択をするなんて馬鹿げていませんか?!絶対できませんよ!だって、絶対失敗するんですよ!よくいうじゃないですか。世間を味方につけろ。世間様に感謝しろ。世間様のニーズに答えろって。にもかかわらず、世間様から怒られるような選択をするなんて正気じゃありません。ありえないですよね。絶対してはダメなことで」
「で」

「で・・・・と言われても」
「・・・」

「先生、わかりました」
「ああ」


「目がこわいです・・・先生はこうおっしゃるんですよね。やりたいことをやれ。思うことをやれ、と。いや、いや、無理、でも、無理、いや、ああ」
「うむ」


「リアルな話をするとですね、家族がいるわけです。家族を守らないといけないのです。それに職場の人を裏切れません。ローンを組んで買ったマンションに住んでるわけですよ。まだ車は買ってませんけど、、貯金を減らしたくはないというのが本音です。やりたいことをやりたい。望む人生を生きたい。そりゃそう思います。でも、それを選択してしまったら、後戻りできないだろうと思うんです。こわいです。果たして自分がそれを乗り越えることができるかわからないんです。どうでしょうか」
「知らん」


「え」
「知らんわ」

「ええ!!できる!って言ってくれないんです」
「お前はどこのバカたれなんだ?できるって言われたいんだろ?しってるよ。庶民どもは大きな存在に頼りたいんだろう?自分に自信がないから、誰かすごい人にアドバイスをもらいたいんだろう?クズだなお前らは。マヌケだよ。あきれはててものも言えんな」

「・・・」
「人心掌握術?コミュニケーション論?心理学?ああ、知ってるよ。だがな、そんなものは無意味なんだよ。この場において重要なことは何か。たった一つしかない。君が『自分の人生を生きる覚悟があるか』それだけだ。それ以外は何もないよ。他人がいいって言えばいいのか?違うだろう。論理、打算、妥協、オーケー。死ぬまで言ってろよ。で、どうしたいんだ。その問いに答えているのか?そうじゃないんだったら君はただのブタ野郎なんだよ」


「・・・ぷひ」
「プロシュートにしてくるわ」

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