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「分かる人には分かるのよ」上から目線⇨アート一般化の時代。今後のアート界の動向。


「分かる人には分かるのよ。」

「説教くさいのはおやめなさい。」

これは私が、「いかにアートがおもしろいだけではなくて、人を助けるすごいパワーがあるか。だからアートをもっと色んな人に広げたいんです!」と熱く語っていた時です。
60か70代位の、アートに携わってらっしゃる方に言われた言葉です。

「え!?私達一般ピーポーのこと、あたかも能力がないみたいに決めつけて諦める感じですか!?」
「難しい言葉ばかりで一部の限られたコミュニティのみにしか宣伝してないんやから、そりゃそうやん!」

・・・って口に出して言ってはいないですが、このような悲しみと多少(?じゃないかも?)の怒りがこみあげてきたのと同時に笑、

「あ~。。。そっかぁだからやぁ。だから(アートが)広がらんねやぁ。」

と、ものすごく納得したことを覚えています。

見ただけでは一体何なのか意味の分からない系のものや、園児でも描けそう(作れそう)なアート。

どうもアートさんはじめまして!の人がハマる訳ない。

タイトルの写真なんて、
「馬があんなことになって!かわいそうじゃない!一体何をしたいわけ!?動物虐待を支持している訳!?」

となりますよね。

だって、どう見ても意味分からない!

何度も繰り返してますけど、「意味が分からないのが多すぎる!」

なので以前の私も含め、「アートに対して距離を感じる。全然おもしろみが分からない/興味がわかない。」と思ってらっしゃる方々。

それで当たり前です。全然悪くありません。

でも本当はとてもたくさんの魅力があって、アートは一部の特権階級の人々のみではなく、本当は皆のためのものなんです!!

という記事は以前執筆致しましたので是非そちらをご覧下さい。⇩


そして現在、「アートの魅力をもっとたくさんの人に。」という活動をしている団体・企業もどんどん増えてきており、アート界にも少しずつ変化の兆しが見えてきました。

そこで本日は、
・なぜ一部の特権階級の人のものになったのか
・現在、そして今後のアート界の動向について
・あの馬の作品をどうすれば良いのか??
についてのお話です☆


分かる人=特権階級=賢い人の為の時代


<アートを買うのは賢い系の人々。>

アーティストが生きていく為には、もちろん作品を買ってもらわないといけません。でもアートって、食料品のように生活必需品ではありません。ということは、お金に余裕のある人しか買うことはありません。

そして、富と教養は結構比例しています。お金に余裕のある人は比較的、教養/学歴があります。

(もちろん例外もたくさんありますけど、皆さんの周りにもそのような社会の縮図は見てとれるのではないでしょうか?理由はありますが長くなるので省かせて頂きます。)

また歴史的にみても芸術作品は、教会が文字の読めない人に普及をする為に聖書のお話を絵にしたり、権力を持った人の娯楽や自身の肖像画を描かせるためだったり、とにかく昔から芸術作品は権力者のもの。

これらのことから、昔から基本的に作品を買うのは富と権力のある特権階級の人々だったのです。

そして特権階級の人々は、教養を小さい時からたたきつけられます。

つまり、アートを買うのは賢い系の人々。

<まとめ。基準がかなり賢い。*別名:小難しい>

以上のことから、昔も今でもなお、アーティストが生きていく為にはお金を持っている人=教養のある人(もしくは教養あると思われたい人も含む。)に買ってもらわないといけない。

そしてそのような人々は、難しいトピックが好き。(本当に好きなのか、難しい事を知ってる自分が好きなのかはその人次第。)

だから、その作品の価値をお客さんや作品を展示してくれるギャラリー/美術館に伝え、彼らから評価されるためには、難しいテーマを難しい言葉で壮大に表現される必要が昔からあったのです。

なので、芸術作品はそもそも全て基本的に、

「ターゲット=教養ある人。」

だから、説明も内容も理解も難しい。

お客にならない人=一般ピーポーが分かるように説明しようと思ったら、時間がかかります。それで気に入ってもらえたとしても、きっと予算が無くて買ってくれないでしょう。それではビジネスとして成り立ちません。

それよりも、お金と教養のある人のみをターゲットに絞り、彼らに好かれる方法でマーケティングをした方が効率的ですよね。

そういうことから、「アート=難しくあるべきもの=一般人には分からない」という図式が出来上がってしまったのですね。


<*以下、私の考察ABOUTコンテダンス界。>
現在もこの名残があるからこそ、アーティスト自信でやけにこねくりまわした表現をして、「分からない人には分からなくて良いんですよ。」みたいなスタンスを取る人がいるのではないかと思います。
特にコンテンポラリーダンスの作品についての説明が、日本語であっても、中退はしたけど一応国立大学に入った私の頭でも、何を言いたいのか全く分からない時があるんですよね、、、。

いや、良いんですよ!色んな作品があって!そもそも、扱うテーマ自体が哲学的で難しいこともよくありますから!

でも、そもそもなぜアーティストが作品を作るのかと言えば、きっと何か伝えたいこととか、シェアしたいこととか、「どうとってもらっても良いですよ~好きに解釈してもらうのがゴールなんで。」とかでも、とりあえず何かしらの意図があると思うんですよね。

その意図を、誰にでも分かる言葉ではなくて、
”なんだかカッコ良さげだけどやたら難しい、普段絶対使わないような言葉”
を使う。なのに本人の意図と違う捉えられ方をしたら「分からないんですね。」的な態度を取る。

それもやはり、昔に出来上がった「アート=難しくあるべきもの」という基準による、「難しくしないと!」というプレッシャーから発生してしまっているのかなと思います。

私も今、躁鬱病がテーマのビデオ作品を撮影中です。真剣に、真面目に取り扱われるべきテーマです。ふざけた言葉使いをしてはいけませんが、だからといって、普段使わない言葉で説明する必要は無いと思うのです。
普段使う言葉で、しっかりと語る。
それがスタンダードなアート界になれば、もっとアートが広がるのではと思っています。


アートの一般化/民主化


さて、ここからは今後のアート界についてです!

<市場のターゲット=一般人に!>
SNSやインターネットの出現により、誰でも簡単に無数のアート作品を観れたり情報を収集したり買う事も出来るようになった現在。

「アートの魅力をもっとたくさんの人に。」という活動をしている団体・企業・アート作品の出店販売ECサイトもどんどん増えてきています。

ということは、アートの情報を得るには専門誌や美術館に書かれている説明書き(=専門教育機関で学んだ、専門知識溢れる美術評論家や学芸員の意見)に頼るしかなかった以前の時代は終わり、

一般のSNSユーザーやインターネットユーザー(=つまり誰でも)が感想や口コミ/レビューを共有しあえ、それらが作品の価値に影響を与える時代になってきたということです。

つまり、ターゲットにもっと一般人が入ってくるのです。

そうなると、もちろんマーケティング方法も、一般人に合わせるように変わってくるでしょう。
時代に流されずに自分の信念や作風を貫き通すアーティストもたくさんいるでしょうが、時代に合わせて変えていくアーティストも自然と増えてくるでしょう。

すると、色んな変化が起きると予想されます。
どんな事が起きるか、私なりの観点で見ていきます!


<考えられうる影響4つ>

①身近になり、値段が下がり、もっと身近に。
SNSやインターネットなどで誰でもどこででも見れるようになるので、アートがもっと身近なものに感じられるようになります。
すると、一般の人も作品が欲しくなる。⇨でも高級なものは手が出せない。⇨お手頃な作品がより売れるようになる。⇨価格競争が起こり、全体的なアートの価格が下がる。⇨もっと手に入れやすくなり、アートが身近に。多くの人がアートを楽しんで買えるように。

➁作品のテーマや作風なども身近なものに。
上記の①にありますように、一般人がお客さんとしてどんどん入ってきます。そしてTik Tokや今時の歌の歌詞などに見られるように、詩的で難解なものよりも、ズバッ!と分かりやすいものが好まれる社会になってきています。
つまり、もっと直観的に心にささる=感動/共感出来る作品=身近で分かりやすいものやエンタメ要素の強いものが、昔よりも好まれるようになるでしょう。

③アート作品レンタル事業が活発になる。
・「高くてもあの作品が欲しい!でもやっぱり高すぎて手が出せない!」という人向けに、期間限定の作品レンタルサービス
・「たくさんのアートに触れたいけど頻繁に買う余裕はない!」という人向けに、”毎月違う作品とお取替え!”みたいなサブスクリプション
このようなサービスが、今後の市場のニーズとマッチして活発になっていくのではと思います☆

④アーティストの独立
上記にもありますように、一点当たりの値段は下がるかもしれないが、買う人の数が増えるので売れる回数が増える可能性が存分にあります。
そして今では初心者でもちょっとがんばれば自分の作品を売るECサイトを作る事が出来ます。
もちろん生計を経てるまでになるには簡単な話ではありませんが、確実に昔よりは簡単に、創作から広告(SNS利用)に販売まで、全て自分でオンラインで出来る時代になりました。
今までは「美術関係者やギャラリーに気に入られてなんぼ。」だった世界が、大きく変わるのではと期待しています☆



あの馬の作品、、、何?どうやって楽しむのよ?

さて、もう少しで本日の記事も終わりです!
の前に、タイトル写真の馬の作品について。

この作品は、数々の大仰天な作品で現在世界的に注目を浴びているコンテンポラリー・アーティスト、マウリツィオ・カテランの作品。

数年前に、ニューヨークのグッゲンハイムで実際に使える18金の黄金のトイレを披露したのもこの人。

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なんと1300万円で売れ、昨年グッゲンハイムに収蔵されたこちらのバナナの作品の作者も彼。

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本っ当に、普通のバナナとテープ。彼は、作品に何か直接答えを与えるよりも、見ている人に疑問を抱かせ、一体何なのかと想像させるスタイルなのです。

なので、馬の作品(タイトルは”無題”)ですと、このような想像をする事ができます。

「動物虐待サイコパス?」
「馬が人間社会から逃げようとしている悲しい末路?」
「外の景色を見たくて興奮のあまり壁ぶち破っちゃった?」
「”あらまぁかわいそうなお馬さん達だこと”と下から見ている観客に、う〇ちをかけてやろうとワクワクしている、人間よりも賢い馬?」

いくらでも想像は膨らませると思うのですが、それがマウリツィオ・カテランの意図するところ。

何よりも、”想像する事” それが楽しい。

私達は、学校で完璧な答えをもらい続けて育ち、大人になっても「皆がそうだと納得する」答えを探し続けることがスタンダードになっています。

それが良い悪いは別として、たまには想像を大いにふくらませて、自由奔放に、「自ら」なにかストーリーでもなんでも作りあげてみるのも楽しいのではないか、それもたまには良いのではないか。

で、一人でゆっくりとでも良いし、一緒に見に行った人とストーリーをシェアしあって、

「いや、私はこう思ったわぁ!」
「なにそれウケる~!」
「確かにそう見えてきたかも!」

と、ワイワイするのも、楽しみ方の一つではないかと思います☆

以前の、「一人突っ込み漫才」の時にも書かせて頂きましたが、

”誰にも採点されず”、思う存分に想像/妄想できる。

それが、今回も然り、意味の分からない系アートの楽しみ方の一つです☆

皆さんは、馬からどんな想像をしましたか(^^)?是非私にもシェアして下さい☆


終わりに

「分かる人には分かるのよ」という言葉。
今となっては、逆に今の私の活動の燃料となっているので感謝していますが、そんな社会は終わりにしたい。

私は大きな団体や企業のような影響力は全くないですが、こうやって地道に、新たなアートファン層を増やしていけたらなと思っております☆

LGBTQIA+、もしくはダンスを通して、たまたま私のアート記事にたどり着いて下さる方もいらっしゃると思います。
そんな方々にとって、私の記事がアートに興味を持ち始めるきっかけとなればと願い、これからも色んなアート記事を書いていきたいと思います☆

今後とも、よろしくお願い致します!

本日もありがとうございました☆

Aika.


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