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あなたの「幼いころの夢」は何でしたか?

幼稚園に通っていた頃、自分の「将来の夢」を紙に書く機会があったんです。

男の子はパイロットとか、戦隊ヒーローとか。
女の子はお嫁さんとかお花屋さん、お姫様って人もいました。
今考えれば、性別による役割分担がはっきりしている時代だったなぁと思います(ちなみに1984年、昭和59年生まれです)。

私は、すごく考えた挙句、
「ケーキ屋さん」
と、1mmも興味がなかった職業を書いたんです。


本当は「探検隊」になりたかったんですよ。笑

でも、そんなこと書いたら恥ずかしいって、幼いながらに思ったのを今でも覚えています。
周りが書いた職業を参考にしようと盗み見しますが、動物のお医者さん(獣医)は動物と触れ合う機会がなく苦手だったから違和感あるし、花にも興味がなかったのでお花屋さんも却下。

「あ、自分は花より団子だな!」ということで、一番違和感がなかったケーキ屋さんを選んだわけです。

今度は小学校2年生の時。
同じように紙に将来の夢を書く機会がありました。
この頃、音楽が大好きでしたが、習っていたピアノの先生が大嫌いで、ピアノはあまり好きじゃありませんでした。

当時、音楽以外で私の心をワクワクさせていたものって、父親がいつも観ていたテレビ番組『世界ふしぎ発見!』だったんです。

なので、本心はミステリーハンター(番組レポーター)になりたいと思っていました。
でもやっぱり恥ずかしいと思ったのか、無難に「ピアノの先生」と書いたんですよね。笑

確かに探検隊もミステリーハンターも現実的じゃないけど、【人にどう見られるか】を心配する癖は、その後も私を苦しめることになりました。

特に、「女性らしく」というのに違和感を持っていたんですが、それに気が付いたのは…
なんとブラジルに来てからでした!

これまで何度も書いている通り、ブラジルはいろんな人(人種だけでなく境遇も含め)がいますから、どんなシーンでも選択肢が多いですし、どんな選択をしても周りは気にしていません。
もちろん、マシズモと呼ばれる男尊女卑は根強く残っていますが、少なくとも私のまわりの女性たちは自分の意思をしっかり持っていました(友人は殆ど芸術関係なのでフェミニストが多いのもあるかもしれませんが)。

そこから、私は「青色が好き」とはっきり言えるようになりました。
女性だからピンクが好きじゃなきゃいけないという呪縛から逃れられたんです。
大袈裟に見えるかもしれませんが、長い間、自分の中に閉じ込めてきた感情を引っ張り出すって意外と大変なことなんですよね。

そうそう、なぜ自分の「幼いころの夢」を思い出したかというと、昨年からコツコツやっているYoutubeで、『ぶらりブラジル旅』という企画を始めたのがきっかけでした。

ブラジルの街を歩きながら、ローカルな面白さを伝えるっていうのが目的で、途中で地元の人にインタビューしたり、歴史を追ってみたり、ナレーションを入れたりしています。

脚本を書いている中で歴史や文化を調べたり、撮影で街を歩いて地元の人と触れ合っていると、
「そうだった!私、ミステリーハンターになりたかったんだっけ!!」
という、恥ずかしくて言えなかった幼い頃の夢を思い出したんです。笑

初回は、私が暮らしているゴイアス州の首都ゴイアニアという街を取り上げました。
ブラジル内陸部のこの街は、年中暑くてブラジル人が好んで行く観光地*ではないので、正直ブラジル人にもあまりよく知られていない場所です。
*ブラジル人に人気の観光地はやっぱり海沿い!!

この企画は東京に住んでいる友人に協力してもらい、数ヶ月かけて温めてきました。
コロナ禍で海外旅行が難しくなってしまった今、日本から最も遠い南米のリアルな映像を配信することで、誰か一人でも楽しんでもらえたらと思っています。残念ながら再生回数はあまり伸びていないんですが、コメントやメッセージに励まされますね。。

目標は年内にチャンネル登録者数1000人を突破して、収益化する事。
そうしたら、もっといろんな街をレポートしたり、撮影/出演/編集を一緒にしてくれる人たちとチームを作りたいな…なんて夢を膨らませています!
応援していただけると嬉しいです。

最後に…
リサーチ・プラスというサイトで20〜60代以上の男女、合計1,000名を対象に「幼い頃の夢」についてのアンケートを行った結果を見たのですが、幼い頃の夢が叶った人は全体の12.5%だそう。

もしよろしければ、あなたの「幼い頃の夢」は何だったか、コメント残してください😊

現在、フリーランスで活動しています。今後も活動を続けていくために、サポートいただけると大変嬉しいです! いただいたサポートは、取材や制作の費用に使わせていただきます😊