島田愛加(ブラジル在住)
2014年からブラジル在住。これまでの出来事や、今起こっていることを書きます。全てノンフィクション。
「ブラジルに行きたい!」当時30歳。サックスとスーツケース1つで単身渡伯しました。 半年間の短期留学のつもりが、現地の音楽院に合格し長期留学に。そして現在はブラジル人と国際結婚しブラジル在住です。 思えば大変なことも沢山ありました。そろそろ時効かな~と思い、日記、Googleフォト、そして記憶を探りながら留学日記を書くことにしました。
歴史やエピソードと共に南米音楽を紹介しています。 ブラジル在住の島田愛加が、大好きな南米音楽を毎日聴けるように立ち上げたサイト『南米音楽365日』(2020年5月~2022年6月)に投稿した記事をnoteに掲載することになりました。 365曲更新できるように頑張ります!
お久しぶりです! 最近、仕事を詰め込みすぎてnoteやYoutubeの更新が滞っていました。 「何かを掴みたいとき、両手が塞がっていたらできないでしょう」と随分昔に友人に言われた事を思い出しました。 というわけで、生活スタイルを見直し。 今日からまたライターとして沢山を記事を書きたいと思っていますので、宜しくお願い致します! さて、以前からブラジル音楽界のもう少し社会的な部分をずっとお話したいなと思っていた所、ラティーナさんからとあるオファーをいただきました。 それは
昨日のフンド・ジ・キンタウ事件に懲りずに、今日もライブに行く。 日本にいた頃からよく聴いていたクルビ・ド・バランソというサンバ・ホッキのグループのダンスパーティーだ。 サンバ・ホッキ(Samba Rock)とは、その名の通り、サンバとロックの融合で、踊れる音楽の代表である。ブラジルで大人気というわけではないが(ブームは過ぎ去っている)、今でも根強いファンが多い。 入場料は事前予約をすれば10レアル安くなる。 この日、はじめてポルトガル語でメールを書き、なんとか私と友人(日
前回に引き続き、サンパウロでの家探し(賃貸)について。 今回は内見体験談をお話ししたいと思います。 内見したお部屋は9軒!なかなか面白い体験だったので、それぞれの物件の特徴を書いていきたいと思います。 ちなみに私と夫が考えていた条件は… 1. 2LDKのマンション(夫の書斎が必要) 2. 駅近(エリアはリベルダージ〜パライゾ駅) 3. 日当たり良し 4. 駐車場はなくて良し(車持っていません!) 5. 家賃と共益費合わせて2500レアル以下 古いマンションの方が間取りが広
明けましておめでとうございます!! 昨年はサイト『南米音楽365日』に幕を閉じ、放置気味のブログも再開したい!ということでnoteを始めました。 週に2回ぐらい更新する予定でしたが、やっぱりなんだかんだで忙しくてなかなか書けず… それでも読んでくださっている方々に感謝いたします。 年越しはサンパウロの新居にて過ごしました。 ベランダからパウリスタ大通りの花火がちょっと見えたのが嬉しい(写真)。 ブラジルで年越しは8回目ですが、やっぱり寒いお正月が好きです。 さて、年末年
みなさん!ご無沙汰しております。 引っ越しがこんなにバタバタするとは思っていませんでした。定期的に更新していたnoteも、なんと今月は投稿ゼロ!…とならないように、書き溜めていたネタを書く事にしました(ネタはめちゃくちゃあるんですけど時間がない…泣)。 さて、南米最大都市である「サンパウロで家を借りる」のは簡単か?難しいか? 答えは… けっこう難しいなぁと思いました。 というのも、賃貸契約をするときに保証人制度というのがあるんです。 ブラジル国籍もしくは永住権を持っていて
お久しぶりです。 みなさんお元気でしょうか? ブラジルは大統領選の真っただ中で、毎日ニュースを読むたびにエネルギーが吸い取られていくような感じです。。 私は外国籍なので投票権はありませんが、ブラジルという国が二極化しているのを肌に感じ、ハラハラしています。 大統領選については、ニューズウィーク日本版『World Voice』に寄稿していますので、お読みいただけると嬉しいです。 さて、今日10月17日、私は新しい国家移住登録証(通称RNM)を手に入れました!! 観光以外で
夜21時、今西さん、Kちゃんと3人でピニェイロスにあるライブ会場に向かう。 Kちゃんは日本からきている駐在員だが、ブラジル音楽が大好きで毎週のようにライブ通いをしている。ブラジルのアーティストはもちろん、ショーの日程や場所にも詳しい。 今回のライブ会場カリオカ・クルビはサンバからロック系まで幅広いアーティストが出演する完全立ち見の巨大クラブ。 会場の周辺は薄暗く、既に入場待ちの列ができていた。 セキュリティチェックのために受付でパスポートを提示する。大きいクラブは意外と入
2014年2月15日、サンパウロ2日目。 ブラジルの土曜日は楽しみが多い。 良いコンサートも沢山あるし、無料イベントも沢山ある。 また、この日は私の大好物フェイジョアーダの日でもある。 フェイジョアーダはブラジルの代表的な料理。 黒インゲン豆と、干し肉や豚肉のソーセージ、豚の足や耳の部分を煮込んだもので非常に脂っこい。 しかし、豆との組み合わせなのか、食べるとそこまで脂っぽく感じない。つい食べすぎて体が重くなり、その後は何もやる気が起こらない。 だからと言うわけではな
今年5月、Discoteca Básicaというブラジルのポッドキャスト番組の企画にて「音楽関係者の選ぶブラジル音楽ベスト10」が発表されました。 70年代強し!! その中でも72年は多くのブラジル音楽の名盤が生まれたと言われています。 このランキングで堂々の1位に輝いたのはミルトン・ナシメントとロー・ボルジスによる2枚組アルバム『Clube da Esquina』でした。 このアルバムがブラジル音楽史の中で、こんなにも大きなインパクトを残したのは、楽曲の良さだけでなく、
30時間以上の長旅の末、朝7時にサンパウロの東洋人街にある教会のゲストハウスに到着した私は、部屋に入った瞬間ベッドに横になり眠ってしまった。 目が覚めると、約束の時間まであと少しだった。 急いでシャワーを浴びる。 部屋で簡単にメイクをしていると、吹き抜けのロビーで牧師さんと誰かが話す声が聞こえてくる。 どうやら私が約束していた友人が早く着いたようだ。 今西さんと出会ったのは、2010年1月に私が初めてブラジルを訪れた際だった。 と言っても、同じツアーに参加したためブラジ
2014年2月13日、私は羽田空港を飛び立った。 実家のある青梅市からどうやって羽田空港に向かったかは覚えていないが、まだまだ寒い日だったので、ダウンコートを着ていたのは覚えている。 なぜならそのダウンコートが「常夏」のはずだったブラジル滞在に非常に役に立ったからだ。 まず、トランジットのためにミュンヘンに向かう。 ルフトハンザ航空のエアバスA340-600はトイレが地下についていたのを今でもよく覚えている。 トイレの近くには「ご自由に」とスナックや飲み物が常備されてい
さて、8月に聴いたアルバムリストいってみましょう!! 今回も殆どブラジル、南米が中心です。 基本的に初めて聴いたアルバム、たまに久しぶりに聴いたアルバムも載せています。 ① Eu Tenho a Senha - João Gomes 「ピザジーニャ」*というブラジル北東部で人気の音楽が、2019年あたりから大ヒットを起こしているんですが、ついに全国的ヒットしてきたのを肌で感じております。 というのも、私が住んでいる「セルタネージョの首都」であるゴイアニアの街中でも、セルタ
Bom dia! おはようございます! ブラジルでは持ち寄りパーティーに参加する機会が多くて、そうなると毎回「日本食つくって~」って頼まれるんです。 私は料理が苦手なんですけど、頼まれると頑張っちゃうタイプなので毎回かなりの時間とエネルギーとお金をかけていました。 で、日本食って言われても何つくればいいの?? ネット上では、「外国人が喜ぶ日本食」みたいなブログはよく見かけるんですけど、その逆の情報はあまりなくて(外国人に納豆がウケない話は有名ですが)。 ということで、
幼稚園に通っていた頃、自分の「将来の夢」を紙に書く機会があったんです。 男の子はパイロットとか、戦隊ヒーローとか。 女の子はお嫁さんとかお花屋さん、お姫様って人もいました。 今考えれば、性別による役割分担がはっきりしている時代だったなぁと思います(ちなみに1984年、昭和59年生まれです)。 私は、すごく考えた挙句、 「ケーキ屋さん」 と、1mmも興味がなかった職業を書いたんです。 本当は「探検隊」になりたかったんですよ。笑 でも、そんなこと書いたら恥ずかしいって、幼
日本にいた頃は、けっこう濃いメイクを毎日していました。 少しでも目を大きく見せようとアイシャドウをグラデーションしたり、マスカラ3本使ったり。笑 いろんな人種が混じるブラジルでも、美の基準は白人寄り。 ゴージャスな目元と、鼻筋の通った彫の深い顔立ち…。 でも最近は #自分らしさ というのが注目され、かなり変化していると感じます。多民族国家なので、多様性に関する運動には非常に敏感です。 例えば、以前は「真っ直ぐなストレートヘアが美の象徴*」とされていたので、家電量販店はスト
2010年に初めてブラジルを訪れてからは、ボサノヴァだけでなくMPBやサンバ、更には日本であまり知られていない北東部の音楽や最新ヒット曲まで聴くようになりました。 日本で手に入るブラジル音楽に関する書籍や評論家たちのブログやコラム(すべて日本語)は読み漁っていたので、サンパウロで本格的に生活することになった頃には、本質を理解できていなくても、“知っている”という意味では詳しい方だと思っていました。 しかし、そこには落とし穴があったんです。 ポルトガル語を全く理解できなかった