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2年半働いたユアマイスターのインターンを卒業しました

大学2年の夏からインターンとしてずっと働いていたユアマイスター株式会社をこの3月で卒業しました!

このnoteではユアマイスターでの思い出をふりかえろうと思います。

入社に至るまで

入社のきっかけは、夏休み限定の2ヶ月インターンを探していたことでした。

そこで見つけたのが他の募集とは一風変わった文面が特徴的だったユアマイスターの2ヶ月限定サービスページ作成インターンでした。応募の決め手は「インターン生の1日」のコーナーに「僕のあだ名はクックドゥーです。好きな食べ物を聞かれたときに麻婆豆腐と答え、2番めに好きなものを聞かれたときに回鍋肉と答えたからです」と書いてあったことです。

応募しようとしたらESに「将来の夢を教えて下さい、ちなみに僕の小さい頃の夢はみかんをまるごと1個食べることです」とあったので大喜利系の設問だと思い「ステーキを塩で食べることです(塩で食べられる肉は相当いいものだから)」と回答しました。

面接に行った当時、ユアマイスターのオフィスは創業の地である渋谷のオフィスで、分厚い鉄壁を勇気を出してノックしたら威勢のいいお兄さんたちが20人くらい「こんにちは!!!!」と挨拶してきたので、その熱量に圧倒されました(若干怖かった)

狭いオフィスの隅の方にある会議スペースで面接官を待っていたら入室した時トーストにかぶりついていた取締役と第一印象がいい感じのお兄さんが来ました。

面接で「あ〜、君か、変な回答をしてきた子は」といわれたのでESの設問は大喜利系のものではなかったようです。

こうして面接を終えその日に内定が決まったのでさっそく次の週から働くことになりました。

滑走路期間

ユアマイスターのインターンには、30時間の試用期間があり、その期間にメンターと仕事の基礎を学んだり各部署の基本的な仕事の体験をすることができます。30時間後に再度面談を行い、本当に入社するかどうかを決めます。

私のメンターは優しそうな女性のディレクターさんでした。メンターさんとお話したときがユアマイスターに足を踏み入れてから一番ホッとした瞬間でした。

ちなみにユアマイスターでの2日目の仕事の日は月の終わりの「締め会」の日でした。夕方に1ヶ月間の振り返りや表彰などを行います。その月の締め会でははじめに周りの人と話す機会があり、たまたま隣りにいたのがうさんくさそうな営業インターンのお姉さんでした。話し方が異常に明るく会ったことのないタイプの人だったので「この人とはたぶん仲良くなれないかもな...」と思いましたが、今ではそのお姉さんとは休日に一緒に出かけるほど卒業されてからも仲良しです。

ユアマイスターで出会ったインターンの仲間はこれまでで100人くらいだと思うのですが、本当にいろんなバックグラウンドを持ったメンバーがいて、これまで愛知県の片田舎のコミュニティしか知らなかった私にとって新しい仲間と出会っていくのがとても刺激的で楽しかったです。

その後30時間の滑走路期間を終え、無事に30時間面談の日を迎えたのですが、その時何を思ったのか30時間で感じた会社について疑問に思ったことや提案などまとめて全部面談してくださった方に言ったことを覚えています。

別にユアマイスターのことを嫌っていたわけではないのですが、尖ったことをしてみたかったのだと思います(笑)社会を知らない学生の分際で今思うと結構とんでもないなと思うことを多々言ってしまったのですが、メンターのお姉さんに「ありがとう」と言われたことに驚きました。私はその瞬間にユアマイスターのことがさらに好きになったような気がします。

RELIVERS(メディアチーム)

滑走路期間を終え、私はメディアチームに配属されました。

サービスページの作成をする営業インターンに配属されなかったのは、私が「企画をやりたい」と言ったからです。今思うと、「2ヶ月で企画をやって去る」というのは都合が良すぎる話で、あまりにも自分が社会を知らなかったことを実感しています。(笑)

メディアチームに配属されてからは夢中で記事の作成やリライトをやっていました。

ある日取締役に「お前は今から秋元康だ」と言われ、OSG48というお掃除グッズ48選を書くことになりました。この記事で私は初めて敢闘賞を獲得することになります。

この頃には本当に仕事が楽しく、毎日出勤するのが楽しみで仕方がなかったです。大学1年生の私は高校4年生というような感じで変化のあまりない1年をすごしていたので、ユアマイスターの渋谷オフィスで働いた日々はとても刺激的でした。

「ワクワクしなかったら疑えよ」
取締役の言葉のまま自分のワクワクを信じ、ワクワクしない自分を疑い歩んでいきました。

RELIVERSでは夏休みが終わってからも働き続け、たくさんのインターン仲間と、1人の社員(もう1人の面接官、最年長OLと呼ばれる男性)と多くのことを経験しました。

自分の記事がスマートニュースに取り上げられ、2日で10万PVまで到達したり、TikTokアカウントを開設し、試行錯誤で毎日動画を撮り、自分の作った動画が300万回再生されたりし、0からみんなで育てたTikTokアカウントのフォロワーが1万人になった瞬間は感動で忘れられません。

RELIVERSで学んだコンテンツ作成のノウハウはこの先ずっと役立つと思います。

そして2年生の3月、ずっと「プロダクトの開発に関わりたい」「このメディアを開発という面からより良くしていきたい」と思っていたこともあり、希望を申し出てエンジニアインターンに異動することとなりました。


エンジニアチーム

3年生からエンジニアインターンがスタートしました。

正直メディア時代にユアマイスターのエンジニアとはほぼ話したことがありませんでした。理由は席が離れていることもありますが、あまりメディア部(当時)とプロダクト部との接点が無かったからです。

エンジニアチームの社員の方々は、実務での開発経験がまったく無い私にOJT形式でWeb技術の基礎から学び方まで様々なことを教えてくださりました。

また、メンター制度でインターンの成長を応援し、一緒に目標を設定し歩んでくれるメンターがという存在がとても心強かったです。

そのおかげもあり、かんたんな文言修正などの開発から行っていたリリースも徐々に0からのLP作成や機能追加などの仕事も任されるようになりました。

エンジニアの仕事で一番印象に残っているのは、私がメディア時代に感じていたRELIVERSの改善案を自分で開発して直したいと言ったところ、「どんな目的なの?」「それをやることでユーザーにとって何が良いの?」とエンジニア社員の方に何度も何度も聞かれたことです。実際自分が開発をしてみるとその理由はよくわかりました。私の出した改善案で、結局「ユーザーのためになる」ものはほんの1握りでした。エンジニアは、そのプロダクトを一番良く見て、空想からできあがったものを一番最初に目にする職業でもあります。「それって本当に必要なんですか?どんな目的で作るんですか?」を常に考えよ、と言われ続けたことで、「忘我忠客」(プロダクト部部長の造語)の意識が確かに私に芽生えました。

ユアマイスターのエンジニアはとてもピュアな人たちで、誰よりもユーザーのことを思い自ら提言していく姿勢がとても素敵でした。

チームに対する様々な改善を推し進め、日々進化しているチームでもありました。タスクカンバンとFunDoneLearnを合体させたホワイトボードやGitHub上に1ヶ月に1度書くRetrospectiveなど、プロダクト部長が提案する改善やメンバーの自発的な改善のアクションをポジティブに受け止めてくれる雰囲気がとても心地の良いチームを作っていたのだと思います。チーム自体がプロダクト同様にどんどん改善を繰り返しながら成長しているようでした。

この時期にエンジニアインターンをし、開発のプロセスを実務経験を通して学べたことは一生の財産です。

「自分でものづくりができる人になれ」という一言で進路についてのアドバイスをくれ、異動を応援してくださった取締役やプロダクト部長、メディアの社員の方にとても感謝しています。

余談ではありますがインターホンがなかったオフィスにSlack通知機能の付いたインターホンを作成して設置したこともエンジニア時代の思い出です。自分の作ったものが人に喜ばれ、使われるという「ものづくり」の醍醐味を感じられた、思い出に残る経験でした。

(インターホンの詳細)
https://qiita.com/Aika-Murakami/items/c34626243554ca665cc1

広報チーム

4年次の9月頃、マーケティング部と協働で仕事をやることが多くなっていたこともあり、今度はコーポレート部の広報インターンとして働くこととなりました。

ここでは主にマーケティング部のお手伝いや、ユアマイスターのエンジニアチームの魅力を発信する技術広報やコーポレートサイトの改善を行う業務を行い、メディアで培ったコンテンツ作成能力とエンジニアチームで培った技術力を活かすことのできる仕事でした。

ユアマイスターのエンジニアチームや会社自体のことはとても好きで、その魅力を多くの人に伝えたいとずっと思っていたので、その魅力を伝える仕事は業務というよりは趣味のように感じられとても楽しかったです。

この時期、ユアマイスターが東京でCMを放映し、自分の家のテレビではじめてそのCMを見ました。

私がはじめて渋谷のオフィスに言った時、エアコンクリーニングなどの予約が入るたびに「○○(パートナー名)さん、予約!」と言いながら拍手が巻き起こっていました。(今それをやると手が痛くてたまらないでしょう。)その光景を思い浮かべながらユアマイスターの成長を実感し、胸が熱くなりました。

2度のオフィス移転を経験したのも、成長を実感する材料です。
1つ目のオフィスはとにかく狭くて、椅子も足りずに発泡スチロールに座っていたときもありました。

2つ目のオフィスは、新築の最上階。トイレを見てみんなで綺麗さに感動したのを覚えています(笑)しかし、スペースに余裕ができたことで他チームとの関わりが薄くなってしまったことに若干の寂しさを覚えたりもしました。

そこからさらに三宿のオフィスに移転し現在に至ります。会議室が3つもあり一番端から反対の端の人と目を合わせられないような広さになりました。

また、私が入社した当時、社員は10人ほどだったのに対し、インターンは30名ほど在籍していました。しかし気づけばその数も大きく逆転し、今では社員60名ほどに対してインターン15名ほどになっています。こんなに社員が増えても、なぜインターンを採用するのですか?と創業メンバーであるHR室長に伺った時「ユアマイスターのインターンがすごいということを僕は信じているから」と言われたのをとても鮮明に覚えています。

おわりに

ユアマイスターでいろいろな仕事に関わっていく中で、さまざまなことを学びました。

言葉には力が宿ること、貰うより与えるほうが楽しいこと、応援が人の成長を作ること、そしてなにより、仕事は楽しいものであるということです。

私はこの会社に出会い、約2年半会社の成長を目まぐるしい日々の中で実感し、在籍させていただけたことをとても感謝しています。

大学卒業と同時に私はユアマイスターを卒業しますが、これからのユアマイスターの成長がとても楽しみです!

2年半本当にお世話になりました。本当にありがとうございました。


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