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『虎に翼』が終わってしまう。

朝ドラが最終週にはいると、毎クールしくしくしている気がする。でも、今回の最終週はどこか今までと雰囲気が違う。今までの伏線回収が怒涛のようにされている。そして、今日もあれが回収された。

それにしても、朝ドラを観て、自分ごととして涙を流す日が来ると思わなかった。私にとって朝ドラで描かれる物語は、いつもどこか遠くにあった。


『虎に翼』は、すべての差別に本気だと、誰かがツイートしていた。その意見には深く同意する。差別にはどんなものがあるのか、法がなぜ存在するのか、社会ではどんな問題が起こっているのか………。それらを半年間、毎日伝え続けてくれた。エンターテイメントの偉大さを感じながら、日々胸を躍らせた。


でも、「私のことは決して描かれることはないんだろうな……」と、どこかで高を括っていた。私たちみたいな、親から受け継いでしまったしがらみを解くことができずに、本来であれば親が背負うべき罪を背負ってしまった子どもは、どの差別構造からも見放されていると感じてきたから。


だから、美佐江が寅子に突き放されたとき、すごく悲しかった。「どんなに良い人だと世間から言われてきた人でも、美佐江のような子を突き放すんだ。」 「救うことはできないんだ」って思ったら、悔しくてやりきれなかった。手を差し伸べておきながら、手を放す大人を嫌というほど観てきた私は、寅子にも同じ感情を抱いた。


最終週に近づくにつれて、美雪が姿を現すようになった。この子は誰なんだろう。誰の“娘”なんだろう。そんな想像を膨らませながら、もしかしたら“母と娘”の問題が描かれるのではないだろうかと期待した。


最終週に入り、美雪が美佐江の子であることが発覚した。寅子は、美佐江が残した文章を読み、自分の過去の過ちと向き合い、美雪に美佐江を救えなかったことを謝罪した。そして、美雪を“特別”として扱うのではなく、他の子と変わらない態度で“平等”に向き合い続け、それでも、美佐江の存在に自分を投影し、自分の輪郭を見つけ出せずにいる美雪に、「あなたはどうしたいの」と問いかけた。この、


「あなたはどうしたいの」


という台詞は、作品の中で寅子が何度も何人ものひとたちに問いかけてきた言葉だ。

親の存在から逃れられずにいるひとたちは、自分の意思を自由に述べていいことを知らない。その自由を封じ込められてきたから。それどころか、自分が本当はどうしたいのかが分からない人が多い。そんな中で、美雪に向けられた「あなたはどうしたいの」という台詞は、何よりも温かく、美雪に寄り添った言葉だったように思う。そして、ここで、この台詞が回収されたことが、何よりも嬉しかった。



今朝の私は、嫌な夢を見て過呼吸になりながら目覚めた。そんな日は決まって布団から出ることができなくなってしまう。まるで、現実で経験したかのような恐怖で身体が固まってしまい、疲労感も相まって起き上がる力すら残っていない。そして、どうしたって“母から離れられないんだ”ということに絶望する。どんなに物理的には離れても、私の記憶からは消えない。これからも、このトラウマに一生蝕まれて生きていくなら、私の人生に一体どんな意味があるのだろうと本気で思ってしまう。

それでも、悪夢を見る回数ははるかに減った。心がゆっくりと変化していくのを感じる。でも、心が変化していく過程に、麻酔は存在しない。その過程は、まるで意識のあるままに腹を切られ、縫われるような痛みに似ていると思う。それくらい痛い。痛くてたまらない。だけど、寅子が美雪にしたように、どんな話でも無条件に耳を傾け、他の子と変わらず平等に、目の前の自分を“特別”に扱ってくれる人物がいたら、それはきっと痛みを伴う中でも麻酔になりうるはずだ。


私たちは私たちの人生を歩んでいい。何も背負わずに生きていい。そんな簡単なことがなぜこんなにも難しいのか。私たちは、親に、母に、女に、一体なにを投影しているのだろうか。自分のことなのに分からないことが世の中には多すぎる。でも、これだけはわかる。「母と娘」の問題は、家父長制の産物だ。だから、肩の荷を少しずつおろしていい。その闘いを続けなくていい。だって、“わたしたちだけ”が背負うべき問題ではないのだから。

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