彫刻具座(2018.12.1展示より)

 「先生、植野さんが彫刻刀をまた忘れています。」

 余計な告発をする男子がクラスに一人はいる。この告発をした井上駿もその一人だ。 先生は、やれやれまたかと心底めんどくさそうな顔をして私の席までやってきた。

「植野さん、また彫刻刀忘れたの?先生が貸すのはこれで最後だよ?」

加納先生はそう言って、版画の製作で黒く汚れた彫刻刀を私の机に乱暴に置いた。

「すみません、ありがとうございます」

と申し訳なさそうに言い終わった時、私の席の後ろに座っている『告発系男子井上』が大 きな声を出した。

「あーーー先生、植野さんの机の中に彫刻刀が入ってます。」

やばい・・・ばれてしまった・・・

先生は怪訝な顔をしながら、かがんで私の机の中をのぞいた。そして、私の彫刻刀を発見 したのだろう。

「植野さん、彫刻刀忘れてないじゃないか、自分のを使いなさい。」

そういって迷惑そうな顔をしながら、黒く汚れた彫刻刀をもって教室の左前方にある先生 の机まで行ってしまった。
井上さえいなければあの彫刻刀を使えたのに・・・と奥歯を噛み締めた。だが、ばれて しまった事実は変えようがないので、授業が終わるのをひたすら待つことにした。 なぜ私がこんなにも自分の彫刻刀を使いたがらないのか、理由は簡単で、『汚したくな い』からだ。
版画のまっさらな板を彫るときは自分の彫刻刀を使った。
 ある程度板を掘り終わったら、一度黒いインクをつけて紙に写し、微調整をしていくのだ けれども、その時黒いインクが自分の手に付き、その汚れた手で彫刻刀を握ることで、彫 刻刀のゴム製のグリップが黒く汚れてしまうのだ。
ゴム以外のところだと、洗えば綺麗に なるが、ゴムのところはいくら洗っても綺麗にならないのがたまらなく嫌いだっ た。 
彫刻刀に限らず持ち物が汚れるのが嫌いだ。

旅行好きの父や、知人からのお土産のストラ ップや知人からの誕生日プレゼントから、買ったばかりのウォークマンやCDまで、傷が入 った瞬間に血の気がうせる。この前も、大好きなバンドのCDを買ってもらって、家で聞こ うと思い、コンポにCDをセットして、夜寝る前に聞いていたら、テンションが上がってし まい、なぜか床においてあったCDケースを見事に踏んづけてしまったのだった。
テンショ ンの下がりようは、何時も厳しい母が、寝る時間を削り家中のCDケースを引っ張り出し、 交換できそうなものはないかと探してくれたぐらいだった。
物がきれいであることは当た り前であり、それを汚したり、壊してしまうのはその当たり前から逸脱する行為だと私は 思っている。
とえらそうに語っているが、小学生の私にはこの異様な執着が、どこからや ってくるのかは、わからなかったし、気にもしていなかった。

そんな私が、自分の異様な執着について考えるきっかけになったのは、高校生の時に初 めて彼氏と名前の付く存在が出来てからだった。初めての彼氏に浮き足立っていた私は、 彼が言うことなら出来るだけ叶えてあげようと必死だった。
学校が一緒だったので、部活が終わるまで待って欲しいだとか、髪の毛を伸ばして欲し いだとか、大切だったからこそ、彼の私への愛がなくならないように必死だった。だが、 その甲斐もなく、付き合って半年、髪の毛が長くなる前に、 

「お前怖いよ、別れよう」 

そんな短い言葉で、大切にしていたものが簡単にいなくなってしまった。もともと彼とは 仲の良い友達だったのだが、仲の良い友達にも戻れず、一気に友達と彼氏を失ってしまっ たのだ。
ショックが大きかった私は、色んな人に、なぜこうなったか分からないと話し回っていた。そんな中

「いや、なんていうの、お前、物とか人にすごく執着するよな、物は綺麗なままでなけれ ばならない。人は、このままの関係でなければならない。みたいな感じ、それがいけない んじゃないの。」

かつて告発系男子だった彼、井上駿は高校生になって、私が隠していた彫刻刀を見つける という、その観察力を武器に、様々な人のお悩み相談をしていた。
井上駿の的確すぎる指摘にひるみながらも、自分の中に他人本位で生きている部分や物 を異常に大切にしている自覚があったので、逆に、皆がどのように人と接して、どのよう に物を扱っているのか気になった。結局高校生の私の行動力では解決せず、そのまま忘れ 去られたかのように大学生になった。


「雪はさー何かなりたいものはあるわけ?」

バイト先の常連の大田さんが日本酒を片手に話し始めた。

「んー今は、とりあえず大学行ってる感じですかね?」

やりたいことは対してなくて、ぼんやりと本にかかわる仕事が出来たら良いなとおもって いた。 

とりあえずかぁ。でもな、物と人は大切にしたほうが良いよ。人の縁だとか物の扱いで その人が見えてきたりするからなぁ」

大田さんはサラリーマンをしながら、休日にはバンド活動をしている。家族や家庭を持ち たいと言うけれども、それは口だけで、今の現状に満足しているのではないかと思う。

「物は大切にしますが、人を大切にするってのが、いまいちぴんと来ないんですよね、物 は綺麗に使ったら良いですが、人は基準がないので、私には難しいです。」

機嫌よさそうに日本酒を飲んでいた大田さんの動きがぴたりと止まった。 

「雪、大切にする方法ってのは、対物も対人も同じじゃないかなって俺は思うよ」 そういっている大田さんの目はどこか遠くを眺めていた。

「物も人も同じって・・・それは人に失礼じゃないですか?」 

私の頭の中では勝手に生活の中のカースト制のようなものがあって、人刃物より上の立場 だと思っていたので、ついつい反論じみたことを言ってしまった。

「言わんとしてることは分かる。でも、俺は思うんだ、物を大切にしてるかって聞いて、 綺麗に保管して大切にしているって言われても、物は何かをするために存在しているので あって、使われず保管されたところで、物は嬉しいのか?ってさ。」

私とは違う考えだったので、少し考え込んだが、大田さんの言うことはもっともだと思っ た。そしてふと、小学生の時に彫刻刀が汚れるのが嫌で、先生のを借りていたことを思い 出した。

「そうですね、ふと思い出したんですが、昔彫刻刀が汚れるのがすごく嫌で、わざと忘れ た振りして先生のを借りてました。結局ばれて彫刻刀を汚す羽目になって心底嫌でした が、彫刻刀的には使っておくれよってなりますね。」

私も、大田さんの様に遠い目をして、居酒屋のホールという仕事を放棄して思い出に浸っ た。

「そう、そうなんだよ、人も同じで、そいつの良さとか才能をつぶさずに、生かしてあげ る。それが人を大切にする事だって俺は思う。あ、もし、その彫刻刀今でもあったら見て みなよ、きっと汚れなんてそんなに気にならないと思えるよ。」

その彫刻刀の話から井上駿に言われたものや人に執着しているというのを思い出した。

「そういえば、私、小さい時いように、物や人に執着して、どんなものでも汚さないよう にって神経すり減らしていたんですよね。大切にしているのに、物は汚れるし、人は離れ ていくし、なんだか辛かったな。人に関しては未だにそうですけどね・・・」

大田さんはなんだかニヤニヤしながら私の話を聞いていた。

「だから物と同じだって言ってるんだよ。自分では大切にしているつもりでも、それは他 の人には余計なお世話だってこと多々あると思う。それもあって俺は音楽をやってんだよ な。観察力とか、空気読むとかできないから、みんなを大切にしたいって気持ちを、音楽 に乗せれば、それぞれで好き好きに解釈してくれる。んで、すっきりしたり、ホッとした りしてくれる。合わないならそれもそれであり。」

なんだかいつも迷惑な酔っ払いの大田さんだが、今日はとてもかっこよく見える。
あのときの私の異様な執着は、大切にしようとして空回りしていたんだなと思うと笑えて しまう。物にも、人にも大切という皮を被せた価値観の押し付けをしていたんだなとなん だか反省した。 きっと大田さんの言っていた大切にする方法は自分を大切にするにも有効だと思ったの で、まずは、世間体や地位を気にせず自分が今やりたいこと、に耳を傾けようかな。なんて思っていたら

「おい、雪ぼーっとしてないで、3番テーブルに料理運んで!」

と厨房から叱咤された。
ふと大田さんを見るとカウンターに突っ伏して寝てしまってい た。 あぁ尊敬しかけたんだけどな・・・と思いながらも心は軽くなっていた。


ちょうこくぐ座  特にぱっとした由来はないので、ちょうこくぐと聞いて思い出した彫刻刀から連想して

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