見出し画像

建築論の問題群05〈日常/聖〉 建築家 磯崎新と「聖なるもの」(3)

西村謙司(日本文理大学教授)

5.「聖デミウルゴス」が制作したもの
 そのような宇宙はいかにしてつくられうるのか?
 『ティマイオス』は、そのヒントとして、「宇宙は、(略)言論と思慮の働きによって把握され、同一を保つものに目を向けて制作された」(29a)という文章を与えている。宇宙の制作には、「言論と思慮の働き」が大切な要因として機能していることが確認できるが、その「言論」とは、建築作品に照らしてみると「建築論」にあたる。すなわち、デミウルゴスの ように制作を行う<建築家>、西欧の概念に忠実な<建築家>であるには、「言論」つまり「建築論」を欠かすことができないのである。日本でも建築教育において、その制作活動を行う際に「コンセプト」を重要視する基本姿勢があるが、それはこの知的言論を拠り所として制作することの重要性を朧気ながら知っているからであろう。しかし、プラトンは、「言論」のみならず、「思慮の働き」の重要性も説く。つまり、知的に「考えること」が大切だとしているのである。しかもそれは、「同一を保つもの」、「永遠なるもの」、「聖なるもの」に目を向けて「考える」のであるから、終わりの無い思索が求められているということになろう。そのように知的に「考えて」つくる姿勢が「最善のもの」への道程となる。その意味で、磯崎の「途上の建築」は、<建築家>への道のりを明確に示している。
 また、デミウルゴスは、「もっとも善き作品を完成させるために、知性を魂の中に、魂を身体の中に結び付けて万有を形作った」(30b)。自らの魂に知性を注ぎ込み、その魂を有した身体をもって「形」をつくったのである。ただ単に、身体にフィットする「形」を与えればよいわけでもなく、知的遊戯として「形」をつくり出すわけでもない。身体と知的魂が密実に関係をもって出された「形」が期待されているのである。それ故、単に観念的世界でもなく、あるいは、身体的利便性のみを追求する単なる道具世界でもない。宇宙は、「魂を持ち、知性ある生きものとして生まれた」(30b)のである。<建築作品は、魂を持ち、知性ある生きものとして生まれた>と言い換えると、奇妙にも聞こえるが、常に生成・性起する「空間」現象に着眼して建築作品を見れば、言わんとすることは、わからないことではない。
 すなわち、プラトンの言う「宇宙」は、抽象的な知的概念では無く、あくまでも「見られるもの」、「触られるもの」、「身体をもったもの」として措定されている。それ故、「構築者は、火や水や空気や土のすべてからこの宇宙を構築した」(31a)とされ、「宇宙の身体は、(略)、四つのものから、比例によって調和して生み出された」(32c)という。ちなみに、「比例」は「analogíā」、「調和」は「homologéō」の訳語である。磯崎が、その作品の中に徹底して「比例」を織り込み、部材間の「調和」を大切にするのは、これに由来していると解される。加えて、ギリシャ語を見ると、両者ともに、「log」が付いているのを確認することができる。どこまでも、歴史的な「log」が大切にされて、言語(logos)をもって知的に構築されることが期待されているのである。
 そして、具体的な形象行為においては、「言論によって生成されたいくつかの種類の形を火、土、水、空気へと配分しよう」(55d)。「土には立方体を与えよう」(55d)。「正四面体の形をなしたものを火の構成であり、種子としよう」(56b)とし、「空気」には「正八面体」、「水」には「正二十面体」を与え、宇宙を幾何学的立体によって構成することが説かれてい る。
 これらの言論を受け、磯崎は、「プラトン的立体のひとつである立方体や球体は、あらゆる可視空間を律する基準になっていた」(『手法が』)とし、自らの制作活動においても 「単純で、それ以上の分割を拒否するかたちで存在するものは、作品の出発としては、それなり の明確さをもっている」(『建築の修辞』)と捉えて作品を提示した。そのようにしてみると、磯崎のほとんど全ての作品の外形が「プラトン的立体」の構成によってつくられている理由が見えてくる。
 加えて、プラトンの『ピレボス』の「平面や立体(略)何かとの関係で美しいというのではなくて、それ自体でいつも美しくあるような本来的な自然のあり方をしている」という文章を踏まえて、「プラトン的立体と呼ばれるこれらの純粋形態が、プラトンによってすでに美の基準に措定されていた」とし、「自然の構成四元素模型が基本的形態としての純粋立体 であり、同時に美的な基準であった」(『建築の修辞』)と解することによって、自らの作品 の「美的基準」を歴史的に担保しようとしている。
 と同時に、磯崎は常にそうであるが、向き合うべき対象が定まると、徹底して、対立項を挙げ、毅然として敵対していく。「立方体―わが敵」(『建築の修辞』)では、「立方体は、(略)、分節的な限定性を常に要求する」。「それは、場所をつくる。と同時に、その場所を支配しはじめる」。「立方体は、(略)、強烈に存在し、支配し、限定し、圧迫し、固定し、不動のものとならねばなるまい。(略)被覆である。そして、この敵に亀裂をいれること。その透明性を打ち崩すこと。作業はそこから開始する」として、自らの作品の幾何学体に「亀裂」を入れ、そこから空間が現れ出てくるようにして作品を構築していくのである。
 このように、磯崎による建築作品の外観は、幾何学体を大地の上に布置して構成され、そこに「亀裂」を入れてつくられているとして見ると、多くの作品がその言説の通りにつくられていることを知ることができる。磯崎は、東京大学の創設以来の目標である優れた西洋技術を日本に導入するという使命に従いつつ、プラトンが創作した「聖デミウルゴス」の射程において、「聖なるもの」を尊重しながら建築行為を行っていたと見られるのである。

参考文献
・プラトン, 岸見一郎訳:『ティマイオス/クリティアス』, 白澤社, 2015
・プラトン, 種山恭子訳:『ティマイオス, クリティアス』, 岩波書店, 1975
・磯崎新:『磯崎新著作集3 手法が』, 美術出版社, 1984
・磯崎新:『磯崎新著作集4 建築の修辞』, 美術出版社, 1984
・磯崎新:『デミウルゴス 途上の建築』, 青土社, 2023


西村謙司
日本文理大学教授。1992年九州大学工学部建築学科卒業、1994年同大学院修士課程修了/1999年京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士後期課程単位認定退学/2002年同大学院人間・環境学研究科人間・環境学専攻博士後期課程修了、博士(人間・環境学)/2002年日本文理大学講師、2005年助教授、2007年准教授を経て、2016年より現職


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?