吐き溜め(ハイパーグラフィアについて)
はきだめとは一般的に『掃き溜め』という漢字が当てられて、辞書にはゴミを掃き集めて捨てておく場所、ゴミ捨て場。という意味や、雑多な人や物が集まってる場所という意味を持つ。
私がこれからここに書く『吐き溜め』とは、私のオリジナル用語であり、煩いほどに溜まる独り言を紙にただひたすら書き出して行くという行為のこと。特に誰かとコミュニケーションを取ろうとしている訳でもない言葉たちの集合であり、私はこの紙を資源ごみになげることの方が多いので、そう呼ぶことにした。
何んのことかさっぱりの人もいると思うので写真を載せておく。今日の吐き溜め。言葉で説明するより、見てもらう方が早いと思うのでね。
初めはこんな文字数ではなかったと思う。中学の頃、辛いとか、死にたいとか、ノートの端っこに書く癖がついたのが最初。段々と板書以外の言葉でノートが侵食されていって、ノート一面独り言で真っ黒になった時は正直自分でも気色の悪さを感じたし、人に見られないようにしてその紙を持ち歩いていた。陰口も自分の情けなさも嫌いだった。誰かに話すほどでもなかった。この紙の上なら、誰も、傷つかないし、誰にも知られない。私が出来る最大の自衛だったのかも知れないし、自分に向かって死ねだのバカだのと書き殴ることもあるので、一種の自傷行為なのではないかと疑うこともある。
取り憑かれたように文章を書くというのは、「ハイパーグラフィア」と呼ばれることもあり、統合失調症や双極性障害と繋がりのある病状の一例らしい。私は鬱になってから、未だに精神科に行ったことがないので、私のこれが、病気かどうかはよく知わからない。ただ安心したり、心の中に溜め込むよりは消化している感覚でとても楽になる行為。普通に楽しい。デジタルで今、タイピングをして文章を書くよりもサラサラと書き続けられて簡単であるのもやめられない理由の一つだとは思うけれど。やっぱり、見た目は心地の良い物ではないことを、書き終わってからつくづく思う。
小学生の頃から文章を書くのは好きだったので、一週間に一回は自習ノートに「毎週新聞」という名でびっしり、一週間の思い出を書き連ねていたのだけれど。高校で短歌や俳句を描いて、昇華できたのもとても嬉しいけれど。
私の言葉は私のために書き続けてばかり。
もっと、何か有意義に。掃き溜めとは呼ばれないような、何かを創れるようになりたいなと思ってる。今日は私の特殊な行為についての紹介的な記事でした。読んでくれた人ありがとう。
藍色
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?