見出し画像

アートな人生 アートな教育

今年も、紅葉が美しいですね〜。
みなさんも、今年の紅葉はもう目にしましたか?
(写真は、大分県由布市 旧朴の木小学校で撮影)
自然は、ホントにアートだなぁと感じます。

素晴らしいと称される建築物は、そのほとんどが
自然の中に自然に存在する比で構成されているそうですから
人が自然と一体となって生きていることの深さも
感じますね。

しかし、私は人としての人生を振り返ってみて
アートとは無縁な人生だと思っていました。
絵を描くのも苦手だし
音楽は好きだけど
日常的に楽器に触れたり、音楽が生活の一部な程でもないし、、、と。

でも、20年程前にある人から、私の人生について
「40歳代はグッとアートな人生となる」
と言われていたのです。

「アート〜?」

と、その時は思っていたけど
アートな人生と表現されていた40歳代になってからの人生経験は
まさに、アーティスティックな経験と言えるかもしれないなぁ
なーんて、最近思っています。

人生そのものをアートしているように創造したり生み出したり、どう出来るかを周りの人たちと一緒に創るのがとにかく楽しいし、そんな生き方がライフワークにもなっている。

私個人としての人生は、わりと予習などせずに生きて来たから、あまり賢くは生きてこれなかったと思う。
元々、器用でもなく行き当たりばったりで、
ぶつかってやってみて経験から学ぶタイプだ。
そんな私の人生の醍醐味があるとするならば、
慣習的な事がらの素晴らしさから学びつつ、今にある新鮮な情報から
その都度、今の自分や世界に合った人生を、自ら選ぶところだ。

今の時代は、先が読めない時代といわれるが
この人生の歩み方は、時代に合ってる気がする。
ただ、周りの人達は私の人生の展開に驚いたり変化や発想のとっぴさに、落ち着かない気持ちになることもあるかもしれない。。。
それでも、結婚生活も13年以上続いているし、同じ地域に17年以上住んでいて、特にトラブルとなるようなこともないから、それ自体が私の生き方を理解してもらえていると思うと、本当にありがたい。
そして、安定しているといえば、そうとも言えそうだ。


そんな感じの私だが
今年から、大分県下を中心に、一般教育の範囲において教育の連携を実現する活動をスタートした。
この活動の詳細は、あらためて後日ちゃんと記すとして、ここでは話を元の流れに戻すと、、、

私が、この地に住むものとして
「この地域社会で貢献できるアクションはなんだろう?」
と、何年も前から、何度も自問を重ねてきた。
すると次第に、不思議と
私の人生の全ての経験が
この活動につながっているように感じるしかなかった。

イメージ的には
〜私の背景に人生経験のすべてをおいて
今ここに立っているようにしてみると
すぐ目の前に、今やっている活動が見えた!〜
という感じだった。


この教育的活動においても、人生においても
私は今、何かの「形」を創ること(をしないわけではないが)
に、優先して焦点を当てていない。

どういう事かと言うと
今の時代の教育に関わる私として
まず最優先する大切な事は
時代に沿った教育の進化や教育の形の進化が行われる為の
基盤の層への取り組み

であって、
今も、これから先にも
革命や改革を起こす事ではない。

今は、人も教育も、時代や世界の流れと共に
安心して変容し続けることが出来る為の土台が必要だと考えている。

それが、社会の土台に存在することで
時代時代の社会に必要な、様々な活動や連携やシステムが、
その都度、しなやかに更新され続ける可能性があると、思っている。

私の40歳代は、アート的な人生となる、などという表現が、
今の私の人生を上手いこと言い当てているように感じるのは、
今、まさに教育関係の方々と対話を重ねる私の姿勢は
無意識だったが、現在あるみんなの人生や役割、教育の形や社会のシステムの価値を尊重しながらも、それらをこれからも引き続き固定化するものだとは捉えていない。
自然の一部として生きている人が営むシステムが
固定化し続けること等あり得ないと思っている。

あたかも、一般教育という壮大な美しい命の営みが
描かれ続けて行く事を願いながら、そこに私もその一部として存在して
関わっているような感じだ。
私の今の役割さえ、みんなとの関わりの中で明確に浮かび上がって来たもので、必要に応じて流動的に動き変容し続ける。

今行っているのは、調和を響む対話がメインだ。

多様な役割や個性を理解し信頼し合う事を通して生まれる連携ほど
柔軟性に溢れたパワフルな連携はないと私は思っている。

今、教育関係の方々との対話の場には
公教育も民間教育も含む一般教育の範囲の方々が集まるが
みんなとっても温かい、そして美しい。
それは、教育と言う場にイキイキと活きる役割を見いだし
自分として生きることの歓びを体現する姿が放つ温かさと美しさ
のアートのようだと、私の目には映っている。


このようにして、どんな立場であっても、一人の人としての
美しい多様性がイキイキと活きる社会の為に
人生も教育も変容し続けることを、共に感じ合い認め合い
そして、次のアクションに繋ぐ場となりつつある。

私は、これからも教育に情熱を感じる方々と
互いに理解し合いたいし、解り合いたい。
だからこそ、まだそこに辿り着けていない関係性に
無力感を感じる時がある。

でも、そんなこんなの
今にあるすべての営みから、次の今は生まれる。
急ぐことはないが、確実に丁寧に今を重ねながら、
今にあるすべてから必要な何かが生まれる調和を響むことが
今の私にある大切な役割ではなかろうかと、思っている。


私の表現するアートは、目には見えないけど、
日本の一般教育の範囲全体の進化を感じながら
密かに、
自分が住む大分県下の空間一体から繰り広げて行こう。。。

と、これまた密かに思っている私だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?