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「息子の不登校」① 〜はじまりと私の反応〜

はじめに

前回のnote「不登校の親の受容過程」を背景に、
数回にわたって、長男が不登校をした時の私の経験を書いてみます。
長男の不登校に直面した当初は、さまざまな感情が入り混じっていましたが特に「怒り」にまみれて苦しかったですが、その時の「怒り」の感情にどのように対応したかも書きました。


無視してきた「怒り」


自分ではどうしようもない程の「怒り」を感じた経験って誰しも、人生を振り返ると、一度や二度はあるでしょうか?

私は、多分、幼い頃にはたくさんあったように思います。
幼い自分には、自分の感情にもその感情を経験するきっかけとなった事情にも、どうしようもできないと感じた経験があって、、、
怒りを感じる事そのものが苦しくて、だんだんと無意識に「怒り」を無視するようにして生きて来たなぁと思っています。

「怒り」を無視すると、怒らなくてもいいし、感情もたかぶらない。。。

でも、その代わりに
自分は何が好きで、何が嫌いで、何をしたくて、何をしたくないのか・・・

次第に、いろんな感覚までもを鈍感にして、生きる歓びや楽しみも薄れて来て、、、
自分にとっての幸せが何なのかも、分からないようになっていたのが、20代前半の私でした。

それでも、みんなの幸せを大切に思って生きているのに自分の幸せさえままならない事に憤りを感じながらも、自分の人生を諦めたくない一心で学びの場を求めていた20代後半に、ある出逢いをした事をきっかけに、少しずつですが、いろんな気持ちも感情も、好きや嫌いの感覚も取り戻して行きました。

それから、30歳を過ぎて結婚し、子どもを3人授かって、幸せな目まぐるしい毎日を過ごしていた45歳の頃、長男が学校に行かなくなりました。


息子の不登校のはじまりと私の反応


長男が不登校を選択した事で、まず私が感じたのは強烈な「怒り」でした。
(過去にnoteに書いた娘の場面緘黙に向き合った時にも直面した感情は「怒り」だったので、私の人生で、とても大切な感情のひとつなのでしょう。)

その「怒り」が、何に対する怒りなのか、すぐには分かりませんでした。

それまでの私の人生経験は、やりたかった仕事が出来、結婚したいと感じて結婚し、子どもを授かりたいと感じて3人も授かることが出来て、忙しくはありましたが、私が望んでいた事がその通りに実現してきた経験でした。
そして、この時も、息子が不登校をしているとはいえ、なぜこんなにも止めどなく「怒り」が溢れてくるのか分からずに混乱していました。

その答えは、後に理解したのですが、、、それは

結婚当初思い描いていた理想が現実の形となる度に、さらに叶えたい想いが内側から沸々と湧き上がってきていたのだと思います。にも関わらず、私はそんな自分の想いに気付かなくて、、、
いや、本当は自分に湧き上がって来ていた、やりたい事や実現したい事に気が付いても、家庭の営みや子育てを優先するあまり無視して後回しにして来てしまい、それがだんだんと私の中で抑えられなくなって「怒り」に変わっていっていたのだと、少し後になってから意識的に理解しました。

「怒り」の矛先

長男が学校に行きたくないと言い出した時、長男は能面の様な表情をしていましたが、なぜ学校に行きたくないかを私に話してくれました。

だから
「長男自身は自分のことがわかっていて、それを素直に表現して行動している。」
そんな風に長男を見ると、そこには特に問題を感じませんでした。

長男にとって、学校や当時の担任の先生との関係性が、良好ではない事は分かりましたが、
当時の長男の様子を見ると、その関係性の改善の前に、息子にとって優先する事は学校に行く行動以前に「家庭の中」にあるのだろうと感じました。
そして、私と旦那と長男の関係を振り返れば、きっと今の私たちにとって大切な、何かについて選択し直すことがあるのだろうと、考えました。

でもこの時の息子を前にした私自身はというと、
自分自身については何をどうしたいのかさえも分からなければ、誰に何を話していいかも分かりませんでした。

ただただ自分に沸き起こっている「怒り」にまみれて、その根源も矛先も捉えられず「怒り」の感情に上手く対応しきれないまま、そんな自分がいるんだということを、長男と旦那に話さずにはいられなくて、訴えるように話しては、日々、時が過ぎていきました。


ようやく、私が引き受けた事


自分ではどうしようもない程の「怒り」に直面した私は、しばらくは混乱していたと思います。
ですが、、、しばらくして
まず私自身が引き受けたのは、自分の「怒り」にまみれた今に対応する事でした。

そこで思いついたのは
次の2つのことを自分に問いかける事でした。


と、この2つを自分に問いかけをしました。

ただただ「怒り」を感じている身体の部分に手を当てて、この2つを自分に問いかけるようにしました。

時間があれば、いつでも自分に問いかけました。

すると、、、

次第に、、、

身体全体にパンパンに閉じ込められていた「怒り」のエネルギーが、スーッと身体の外に抜けて行くように感じました。

しばらくすると、また「怒り」の感覚を感じるのですが、
同じように、問いかけを繰り返して過ごしました。

そうしているうちに、風船の表面から少しづつ空気が抜けてしぼんだように、、、
身体全体にパンパンに閉じ込められていたものが抜けていったような感じで、少し余裕が感じられて来ました。


分かった事


「怒り」の感覚が少しずつ抜けていった時に、だんだんと自分に、何が起きているかがわかって来ました。

まず一つは、それまでの私が、
どれだけ頭の思考で「怒り」に対応しようとしていたか
それを理解しました。
頭が、思考でいっぱいで、今自分がどうであるのかにさえも気づく余裕がなかった状態だったと思いました。

そして、
自分自身に問いかけをしてからは
身体の感覚に焦点が当たって、怒りを感じている感覚そのものを感じる事が出来たのだと思います。
頭と身体に少しの空白ができた感じでした。

私はこれまで生きたい人生を選択して生きてきたつもりが、いつの頃からか
家族の人生を優先して、私の人生を後回しにしていた自分に「怒り」を感じていた
という事が分かりました。

本当は、
私はもちろん家族みんなが幸せに生きる選択をしたい私がいた、、、という事に
この頃に、もっと深いところで気が付いた
のでした。

ここまできて、ようやく、私自身の現状が把握できた感じがしました。


現状が把握できた!次の目的地は?

「怒り」を感じて、問いかけをして
そして、余裕が感じられて来たところで
今の自分の現状が分かりました。

そうすると今度は、次の自分の目的地はどこか?
という事が気になって来たのです。

今回の私の例で言えば
『どうありたいか?』の答えが、目的地でしょうか。

目的地を知りたくなってきて行ったことについては
次の機会に書きたいと思います。


まとめ


今日の話の中に「怒り」にまみれて感じたと書きましたが、この「怒り」の矛先を私以外に見つけようとすればいくらでもあり得ましたが「怒り」を感じているのは私以外の誰かではなく私だったので、、、そこに対応するのは私である事は明らかでした。

まず、最優先したのは
「私は怒りを身体のどこで感じているだろう?」
「私は(身体の)ここで怒りを感じている事を、認めます。」
の、2つの問いかけでした。

読んでくださっているあなたに、どうしようもない程の「怒り」に出会ってほしくはありませんが、
「怒り」以外でも様々な感情を感じてどうしようもなく感じた場合には、今回の問いかけを提案します。
頭の中が一杯な自分から、頭よりも余裕の感じられやすい身体の感覚へ方向づけるきっかけとして、いつでも誰でも自分でやれる事のひとつとなりますし、コレを知っている事で、生きる上で大切な情報を運んでくれている自分の感情を無視したり抑えたりする事なく、生きる力として使う為のはじめの一歩にする事も出来るからです。

「怒り」だけではなく、いろんな感情を日常のいろんな場面で感じる事があると思いますが

感情という文字は

じる


と、書きます。

もし
あなたの生きたい人生や叶えたい人生から、逸れていっている時に

あなたの
感情
が、発動するのだとしたら、、、、、、

感情は5歳くらいの子どもに例えられる事があります。
今回の私のように「怒り」にまみれて
「感情からの知らせ」を聞き入れるまでに時間を要したとしても、いつの時でも、生きる上で大切な何かを伝えてくれているあなたの感情を、5歳くらいのあなたの声として、あなたなりの方法で大切に扱って欲しいなぁと思います。

補足


子どもの不登校は今日本全国で増えている現状がありますが、その個別性は高く多様で、学校に行くことや行かないことだけで、現状を評価判断することは到底出来ないなぁと思います。
今回は、長男の不登校を機に私が感じた感情で、誰でも経験する事があり得る「怒り」について触れましたが、私はこれまで、自分自身の感情や気持ちを扱う事を仕事でも扱ってきましたが、こんなに苦しく感じる感情に直面したのは初めてて、正直本当に疲れました。

心も身体も疲弊して苦しく感じる時、自分の感情よりも先に、経験している事情自体を変えたり変化させたくなります。
もちろん、その事情において、もたらしたい結果に向けての行動を同時に行って行くのですが、、、
誰しも「怒り」のような感情を感じる事情に出会った時、その感情に対応する事ができるのは、いつの時も自分自身です。

もしあなたが苦しみの真っ只中でしたら、このような問いかけを活かす事と同時に、身近な信頼する誰かに、あなたのタイミングで、お話ししてみる事を提案します。
そこから抜け出す一歩となる可能性があるからです。
そこで、誰かと話をしたとしても、その話をどのように受け取り解釈して、今の自分や事情に活かすかはご自身で選択する事でしょう。

ですから、今回のような簡単な問いかけをしつつ、誰かと話してみる事で、あなたとあなたの大切な方にとって必要な気づきと行動に、より楽にアクセスしやすくなる事に繋がればと思います。


〈不登校の親の受容過程〉今井愛まとめ(前回のnoteのコピペ)


1、依存期
1)自分と子どもの同一性
子どもの現状を問題として解釈する
子どもの何かを変えようとする
子どもの何かを知ろうとする
2)移行期(親役割り認識の崩壊)
生きる気力の減退
『問題解決思考』の限界に直面
子どもに対して『問題』から『健全』の解釈へ移行
自分に対して『問題』から『健全』の解釈へ移行

2、自立期
1)自分と子どもの分離性
自分を生きることに100%焦点を当てる
自分として生きる人生を柱に、自分と子どものありたい関係性を選択する
2)創造期(親役割り認識の再構成)
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれの現状を把握する
子どもと自分、べつべつの視点からそれぞれ今の目標を明確にする
子どもと自分の日常生活で優先する行動を優先する生活を試す

3、関係性の継続期
生存と親子家族である意味や喜びの拡大
現状把握
目標を明確化
日常生活で行動を試す
上記の定期更新


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