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ぼくと新世界国際劇場

2019年 10月22日 ぼくはこの日人生で1番の経験をした。普通に生きていれば経験する事が出来ない、そんな経験となった。初めにこれだけは強く言っておく、トラウマである。

いつも通り宝物を探すみたいに映画を観ては次の観たい作品を探してた。その時に出逢った。「ハウスジャックビルト」他国ではR15指定での放映しか出来なかったらしく、なるほどーと眺めてた時に目に入ってしまった。「あの映画界の問題児ラース・フォン・トリアーが産んだ問題作!日本では異例のR18指定での公開になる!この作品があなたにとってのトラウマ作品になっても責任は一切取りません」興奮。この感情しか湧かなかった。

filmarksで上映をしている映画館を探そうと思い検索ボタンを押しハウスジャックビルトと入れた。なるほど、確かにこれは刺激が強そうだ。興奮状態のままぼくは上映館を探した。あの時は宝の地図を見つけ支度をする映画の主人公になった気分だった。非常に興奮して「上映館はどこだー!」と1人で言葉を発した記憶が今でもある。しかし見つかった上映館は1館。さすがに大阪には無いだろうと諦めた自分もいた。しかし携帯の画面にはしっかりと「新世界国際劇場」と表記してあった。ぼくは興奮と同時に恐ろしくなった。そう、冒頭で伝えた通りここが後にぼくの最高のトラウマスポットとなるのだ。

「ん、映画館でトラウマ?」となる方が殆どだと思うから簡単に説明しよう。そこは発展場なのだ。同性同士が愛し合うスポットにぼくがどうしても観たい映画が上映されているのだ。なんせ当時のぼくは19歳で服も抜かりなくキメていて無駄な隙が無かった。「観たい!」「辞めておこう」この2つの感情が2日程ぼくの頭から離れてくれなかった。心から楽しみにしている感情と心から恐れている感情の2つが戦うと人間は無になる。そしてぼくは決めた。「行かなくて後悔するのはぼくらしくない」

ぼくは気合いを入れて身支度をした。しかしここでとんでもない失敗を冒した事にその時は気付かなかった。どんな思考になってたのかぼくは全身白の服を着てヒールブーツを履き髪の毛をマンバンにして行ったのだ。何に気合いを入れてたのって?そんなの知らない。

新世界国際劇場に到着した。辺りからは異臭と異様な雰囲気が漂ってた。場違いな腕で手描きされ作られた映画のポスター、それは吸っても大丈夫なやつなのかと言いたくなるご老人、瓶ビールを持ち千鳥足になっているお姉さん。中にはどんなディープさがあるのかと怯えながらもぼくはお金を払い昔ながらのの防音扉を力強く開いた。扉を開けると最後列に座っていたおじ様方が一斉にぼくを見た。逃げるようにしてぼくは前から3列目の真ん中付近に座った。よし、映画だ!

映画が始まった。ラース・フォン・トリアー監督の絶妙に薄暗く何かが起きるぞというムードに一瞬で呑み込まれた。人の顔がハッキリ分かる程の明るさの新世界国際劇場。そしてその瞬間は来た。ぼくは開始30分で左肩に違和感を感じた。ん、と思い後ろを振り向くとそこには少し微笑んだおじ様がぼくの肩を優しく撫でていたのだ。「予習してたやつだ!これは強気に丁寧にお断りをしないといけない!」と怯えながらも「すいません、ぼくは今日映画を観に来たんです」そう伝え再びスクリーンに目を向けた。すると数分後そのおじ様はぼくの頭を撫でてきたのだ。冷静さがぼくの中から消えた。「それは求めてないです」と強く発しもう大丈夫だろうと思い再びスクリーンに目を向けた数分後、そのおじ様はぼくの首を生温い手で触ってきたのだ。ぼくは激しい恐怖と怒りが爆発しておじ様を殴った。おじ様はやっとぼくの近くから離れてくれて映画に集中できると思った。

しかしぼくの考えは中学生の恋心程に甘かった。その体験をして恐怖の感情になぶり殺しにされぼくは人生で初めて自分の心臓の鼓動が人に聞こえてしまうと思った。そう、ぼくは今あくまでも映画館にいるのだ。そこからぼくは10人程のおじ様にアプローチを受けた。何も言わず隣の席に座ろうとする人、キスの合図を向こうから送ってくる人、素早く隣に座り太ももを掴んでくる人、様々なおじ様がぼくを狙っていた。スクリーンの前で物色する人もいた。そこら中にいる若いナンパ男が女性を物色するそれとはかけ離れていておじ様の様子は野生そのものだった。「目を合わせたらヤラれる」これを常に意識していると心臓の鼓動は更に緊張感を持ち激しい音を立てた。

ぼくに直接関わろうとしなかった方、つまりお客さんの中で若いカップルがいた。まあ割愛するが女性の姿が急に消え映画館で聞こえる筈のない音が響き渡っていたのは事実である。映画の終盤に40過ぎのスキンヘッドで体格も素晴らしい強面の男性がズカズカと最前列に行きどっしりと椅子に腰をかけた。「ん、この人はどっちだ。観に来るにはかなり意味の分からないタイミングだよな」と思っていると弱り果てているそこら辺から拾ってきたようなキャップを被ったおじ様がその人にゆっくりと近づいた。「おっと」と思いあまり見てはダメだと思った矢先おじ様の影は消え明らかにファスナーを下ろす音が静かに鳴った。

映画を観終わり辺りにいるおじ様に警戒をするまでの状態になりボレロを聴き魂心家のラーメンを食べ胃がもたれたまでがぼくの2019年10月22日だ。

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