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AIに よせば良いのに モノ申す

こんにちは!中川治之です。

大阪府阪南市で子育てをしながらフリーランスのイラストレーター/FLASHアニメーターをしています。

今回は、AI画像生成技術について思うところを「よせば良いのに」書こうと思います。

今さらこんなややこしい問題に首を突っ込まなくても良い気もしますが、仕事が少し暇だったので余計なことを考えてしまいました。

…そう、何もかも暇が悪いんです。

現状

AI(人工知能)技術の進歩は著しく、OpenAIが日本に進出してきたり、国も本格的にAI開発を推進するプロジェクトを立ち上げたりと、なにかと話題になっています。

中でも職業がら僕にとって関心が大きいのは、AIによる画像生成技術です。

この技術は著作権侵害の問題もありますが、生成の精度が高くなってきていることもあり、今後、需要が高まっていくのは避けられないようです。

AI画像生成の法的・倫理的な是非についてはSNS等でもよく議論されていますし、関係のある企業も扱いについて試行錯誤されているようですが、僕が言いたいのはそういう話ではないので、ここでは触れません。

僕がAIについていちばん思うのは、「思ってたんと違うなぁ…」ということです。

思い描いていたAI感

僕が思っていた「AIが発達した世の中」とは、人間の仕事の全て(もしくは大部分)がAIに取って代わられており、人間は文化的な活動のみをしている世界です。

手塚治虫先生の描く未来都市のイメージはやっぱり良いな…と思いながら描きました

要するに、人間はほとんど働かなくても衣食住が保証されており、AIに仕事を奪われても構わない世界ということです。

これなら働かずに好きな創作に没頭できるので僕にとっては理想的。

なまじ絵でお金を稼ぐことができる世の中だから、努力して技術を高めてきた人の食い扶持がAIに奪われたり、絵が描けなくてもAIで絵を生成して稼ごうとするなどといった問題が生じてしまいます。

全ての仕事がAIに置き換わることで働くという概念がなくなり、絵でお金を稼ごうという感覚もなくなれば、純粋にやりたい人だけがやる世界になるんじゃないかなと思っています。

もちろん、承認欲求から他人の作品を自作発言する人や、絵柄を真似たりトレパクしたりする人はAIが台頭する前からいたので、結局根絶はされないと思います。

それでも、少なくともそれで稼ごうとする人がいなくなれば、収益だけを目的とした愛のない作品や悪質なパクリ作品、違法海賊版もなくなり、いくらかマシな世界になるんじゃないでしょうか。

『新スタートレック』でも、24世紀にはレプリケーターという装置によって食料などあらゆる物質を完全な無から作り出せるようになっており、それによって貧富の差が無くなった世界が描かれていました。

そこでは人はお金を稼ぐために働くという発想ではなく、純粋に奉仕の精神で労働しています。

未来を描いたSF作品でもしばしばこういう世界が描かれているので、AIの発達によってこんな世界になれば良いなと思っていました。

しかし現実は違い、AIに仕事を奪われた人は別の仕事を探して稼がないと生きていけない世の中が待っているようです。

ここがいちばんAIに関して思ってたのと違うところ。

…まったく、ただでさえ税金やら社会保険やら物価やらは高くなっているのに、仕事まで奪われそうになるなんて、未来の不安は大きくなる一方です。

いつになったら人生のショバ代を払わなくても生きていける世の中になるんでしょうね…

AIにいちばん言いたいこと

ボヤキの矛先が政治に向かいそうになったので、軌道を修正してAIに対していちばん言いたいことを書きます。

僕がAIに対していちばん言いたいのは、

です。

まず、僕は絵を描くこと、アニメを作ること、創作、モノづくり全般が大好きです。

今は幸運なことにイラストレーター/アニメーターとして仕事をさせていただいていますが、それ以前に子供の頃から好きなことをひたすら続けているだけなので、仮にAIに仕事を奪われたとしても、モノづくりを辞めることはないと断言できます。

加えて言うと、僕にとっては作品を完成させるために手を動かすことや、あれこれ工夫しながら少しずつ形になっていく「過程」がモノづくりのいちばん好きなところなので、自動的に作品が生成されてしまうことに対して創作の喜びを感じることはありません。

また、今後AIでものすごいクオリティの画像を生成できるようになっても、手に負えない技術でゲタを履かせてまで身の丈に合わないハイクオリティな作品を作りたいとも思いません。

発表して承認を得ることだけが目的の人は、過程をすっ飛ばして早く作品を完成させ、世に出したいと思うかも知れません。

でも、僕にとっては「過程」こそがモノづくりの醍醐味。
これがなかったら作品を作る意味がないし、自分の作品という意識も湧かないのでは、と思います。

もちろん、早く完成させたい気持ちはありますし、作りたいものがたくさんあってどんどん制作のスピードアップをはかりたい人の気持ちもよくわかります。

そして、作業効率化・合理化のための工夫や、作業を早くできるための修練は必要なことだし非常に尊いものだと思います。

ですが、今のAI画像生成は、そういった工夫や修練の範疇を超えた、モノづくりの意味や楽しみを無くしてしまう使われ方をしているように思います。
これが何とも寂しい。

なので、仕事は奪ってくれても良いけど、モノづくりのいちばん楽しいところを奪って無意味化するのはやめて欲しい、ということを言いたいわけです。

余談:AIに関する納得できないCMたち

ところで、AIに関するCMで、僕が思うAI感と明らかに異なることを言っているため、「納得できないなぁ」と思っているものが2つあります。

納得できないCM①

あるCMで、「将来、今ある仕事の数十%をAIやロボットが担うようになるという予測があるので、まだ見ぬ新しい仕事と出会いましょう」みたいなことを言っているものがあります。

…何でやねん。

仕事が減っていくのに、仕事をしないと食べていけない世の中のシステムはそのままで、無理やり新しい仕事を作ってでも働き続けないとけないって、おかしくないですか?

AIやロボットが仕事を担えるようになったら、それまでその仕事を生業としていた人間の生活を保証する仕組みづくりもAIの開発と両輪で進めてくれないもんですかねぇ。

納得できないCM②

またあるCMでは、「さいきん、AIの方が必死で勉強してないか?」みたいなことを言っています。

…何でやねん(2回目)。

AIがプログラムに沿って自動的に学習していくことと、実際のクリエイターが技術を磨いたり作品づくりを研究することは、時間も労力もまったく次元の違う話でしょう。

こう言って煽ることで、これから学ぼうとする人に発破をかけようという意図かも知れませんが、そうだとしてもあまり好きなやり方ではないです。

…ちょっと言い過ぎたかな…?
ごめんなさい、本当はみんなのことが大好きです。

結び

AIにまつわる今の時流は僕が思っていた世界とはずいぶん違いますが、まあ急に全部の仕事がAIと取って代わるわけではないので、すぐに社会のシステムも変われというのは無理なことも理解できます。

なので、今は最終的に理想の世界になるための過渡期なんだと信じて頑張りたいと思います。

あと、AIが自動で生成する絵やアニメには魅力を感じませんが、AIそのものを作ることは非常にクリエイティブですごいことだなと思っています。

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