見出し画像

#きおくをつなごう


「戦後76年プロジェクト
 つなぐ、つながる」

生きていると、
「あの時、○○しておけば良かった」
そう後悔することは沢山あります。

高校生の頃、
私の母方の祖母が亡くなりました。

「私がお婆ちゃんにお守りを買って来なかったからだ」
と、泣いたあの日を思い出します。

父方の祖母が亡くなって
その3週間後にTBSから内定をもらいました。

{私が浪人していなかったら、お婆ちゃんにアナウンサーに決まったと伝えられたのかな}
と、どうしようもないことまで。


(父方の)祖母が亡くなり、
95歳の祖父は、もう10年以上寂しい思いをしているでしょう。

祖母の口癖は、
「お爺ちゃんの3日後に死にたい」

強く、心優しい人でした。

そんな祖母の背中から学んだことは、
私の生きる道標になり
今でも、お婆ちゃんに会いたくなります。


だから、より強く思う。
「話せるときに、話そうよ」


祖父と私の #きおくをつなごう
Twitterに載せたものを、noteにも記します。

終戦時20歳だった、95歳の祖父。
16歳から、福岡にある飛行機製作所でエンジンの冷却装置を取り付ける仕事をしていました。

終戦が近づくにつれ、段々飛行機は入ってこなくなる。
だけど何か仕事をしていないと怒られ、叩かれ、とても痛かった、そんな思い出を語ってくれました。

終戦を迎え、地元へ帰る荷物をまとめ汽車に乗るものの、戦争で鉄橋が壊れ、その道のりも楽ではなかったこと。
家に着くと、それはそれは嬉しくて。
もう行かなくていいんだ。
父も母も、「早く帰ってこられて良かったね」と喜んでいたこと。

そんな祖父の兄は、久留米の部隊で何ヶ月も訓練し、ビルマ(ミャンマー)で戦死しました。
遺骨を取りに行くと、あまりにコロコロと音がするので開けてみたら、中に入っていたのは石だったそうです。
それを兄と思い、お墓に納めていることも話してくれました。

戦争が終わって、
良かったと思うしかない。
だけど今度は仕事が何もない。
そこから仕事を作り、みんなで頑張って働いた。徹夜で働いて良かった。
今、そんな日々をありがたいと思っていると振り返りました。

おじいちゃん、今楽しい?と聞くと、
笑って
「今が一番楽しいと思う。
家族がご飯を作ってくれて、何も言うことはないよ。幸せだよ。」

そして電話で話している中で
繰り返し、言いました。
「戦争は二度としてはいけない。
悲しい。絶対に、それは確かに思う。」と。

70年以上前の記憶も鮮明で、
しっかり自分の足で歩き
ご飯を食べる祖父は、
「元気が一番」と話し、

最後には
「愛ちゃんが結婚するまで、子どもを抱っこするまで、生きておかなきゃ」と言い、

祖父の隣で聞いていた母も、思わず声を出して笑っていました。

「つながる」って大切だなぁ。
なかなか会って話せない今がもどかしいけど、離れていてもつながることはできる。
そう感じました。


そして電話を切った後、母に
「愛ちゃんの声は聞きやすくて、さすがアナウンサーだなぁ」と言っていたそうです。(涙)