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履歴が教えてくれること

旅をした時の「最高の一枚」を選んで?と言われたら、

私は間違いなく「食べ物」の写真を選ぶと思う。
スイーツでも、パスタでも、コーヒーでもいい。そこに"私"は写っていない一枚を。

美しい景色も、ピースサインのTHE・記念写真も好き。

友達が不意に撮ってくれた後ろ姿の一枚も雰囲気がある。

だけどやっぱり、その旅先でしか会えない食事の写真を、何度も何度も見返してしまいます。

写真フォルダも食べ物ばかり。
そうなると必然的に、noteの写真も美味しそうな一枚を選ぶ頻度が高いのです。
(中身と関係ないのに)


そう。noteでよく読む記事だって「グルメ」が多くて、おすすめされる記事をスクロールすれば、出てくる出てくる、皆さんの食の思い出。

食から学ぶ恋愛のあり方だったり、作ってみたくなるレシピだったり。

お芋のことを「君」と書く、この方の感覚。好きだなぁとか。


食べることはもちろん、文章や写真、
もはや、食べ物の"存在"そのものが気になる私には、

たとえお腹を満たしてくれなくても、昔から好きだったことがあるのを思い出した。


「食べものシール」を集めること。

ハンバーガーに、ドーナッツ。
お菓子の『TOPPO』が『TOPPA』になった駄洒落シールも宝物で、
うさぎのシール帳に集めては、ただ眺めるだけ。

もはやシールじゃなくてもいいその子たちは、使われることのないまま、今も実家の引き出しに眠っているはずです。

好きなものってずーっと変わらない。



でも最近は、その一枚しかないシールを
手紙の封に貼るのが好き。

大切な手紙に貼るようになった変化。

「あのシール可愛かったです」と後輩が言ってくれたら、なんだかすごく嬉しくなる。

「大切な絵葉書を愛さんに送れば、葉書も喜ぶんじゃないか」と手紙をしたためてくれた友人がいる。

だからシールだってそう。
誰かと共有する意味に、この頃気づいたよ。


ちなみにこのパフェの写真は、東京に来た母と行く場所のひとつ、フルーツパーラー。

食べたい。行きたい。

いや、会いたいなぁ。
これが一番だと思うんだ。