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ヘアゴムはどこへ消えた?

 ある日、ヘアゴムを毎日使っているヘア子とゴム太郎が、朝の支度をしていました。二人は仲が良く、毎朝ヘアゴムで髪を結ぶのが日課です。ところが、ある朝、ヘア子が言いました。

『ゴム太郎、ヘアゴムが見つからないよ! 昨日、どこに置いたか覚えてる?』

 ゴム太郎は考え込み、こう答えました。

『ヘア子、それは大問題だね。でも、ヘアゴムは『頭の外にある』と信じればきっと見つかるよ。だって、シュレッダーで細切れにしたり、燃やしたりしない限り、ヘアゴムは物理的にどこかにあるはずだからさ!』

 ヘア子は納得しながらも、もう一つの疑問を持ちました。

『でもね、ゴム太郎、例えばヘアゴムが燃えてなくなっても、私がヘアゴムのことを考えているときは、ヘアゴムは私の頭の中に存在しているんじゃない?』

 ゴム太郎は困惑しながらも、こう答えます。

『それはちょっと変わってるね、ヘア子。でも、もしかしたらヘアゴムは頭の内にも外にも同時に存在しているのかも。確認するまで、どっちにあるか分からないんだよ!』

#なんのはなしですか

唯物論と唯心論

 ゴム太郎は、物理的にヘアゴムが存在していると信じる唯物論者です。一方、ヘア子は混乱し、『ヘアゴムはどこにあるの?』と考え始めました。なぜなら、彼女は自分の意識の中でヘアゴムの存在を決定できると信じる唯心論者だったからです。

 二人は一緒に探し始めました。ヘア子は、『ヘアゴムは頭の中にある』と意識すれば、それが真実になると考えていました。だって、ヘアゴムが洗面台に置いてあるか、ポケットの中に入っているかを想像しているのは、すべて頭の中で起こっている現象だからです。しかし、ゴム太郎は、ヘアゴムが実際には頭の中にないことを知っていたため、『ヘアゴムは物理的にどこかにある』と信じて探し回ります。

ヘアゴムが見つかる瞬間

 ついに、ゴム太郎がヘアゴムをバッグの中で見つけます。

『見て! ヘアゴムはここにあった!』とゴム太郎は得意げに叫びます。

 ヘア子は驚いてこう言いました。

『でも、それはおかしいわ。私の意識では、ヘアゴムは頭の中にあるはずだったのに。どうしてここにあるの?』

 ゴム太郎は笑いながら答えました。

『ヘア子、結局、ヘアゴムはどこかに存在していたんだよ。でも、確認するまでは本当にどこにあるかは分からなかったんだね。』

学び

 この物語から、ヘア子とゴム太郎はこう学びました。ヘアゴムのような小さなものでも、探す前には曖昧で、見つけるまでどこにあるか確定しないのです。唯物論でも唯心論でも、現実をどう捉えるかで真実が変わるように感じることがありますが、観測し、確認することで初めて真実がわかるのです。

 そして、ヘア子とゴム太郎はこう結論づけました。

『ヘアゴムがどこにあろうと、意識しながらもちゃんと探さないと見つからないんだね!』

 ところが、話がまとまりかけたところに、突然、懐疑論者の懐疑之助が現れました。

『ヘア子もゴム太郎も、そこにいると思っているかもしれないけど、君たちは本当に存在しているんだろうか? もしかしたら、武智倫太郎が書いている作品の虚構上の存在かもしれないじゃない。しかも、その武智倫太郎も実は架空の著者で、子育てアイデアを考えている人かもしれないんだよ?』

#どうかしているとしか

 ヘア子は懐疑之助をツンとした表情で見下し、答えました。

『ふん、あんた! いきなり登場してきて、あんたこそ本当は存在していないんじゃないの? それに、子育てアイデアって何よ?』

 ちょっとマゾっ気のある懐疑之助は、ヘア子のサドッ気のある台詞に悶えながら、どこか嬉しそうな表情で答えました。

『こ、子育てアイデアっていうのは、例えば、ヘア子とゴム太郎というイマジナリーな子供を作って、文章でシミュレーションすることなんだ。だって、本当の子育てをアイデアだけでやったら大変なことになるからね。』

 懐疑之助にマゾっ気があることを見抜いたヘア子は、『な~んだ。要するに、『子育てアイデア』から『下書き再生工場』に無茶振りしたかったんだ。』と内心思いつつも、実は変態だったので懐疑之助を放置プレイすることに決めました。

 放置プレイされると話が進まなくなってしまうので、この話はここで終わってしまうのでした。

武智倫太郎

自己解説:唯物論と唯心論の違いが分からなかった方のために

『子育てアイデア』の技法を駆使して、イマジナリーな子供の前にヘアゴムを置き、『どうしてヘアゴムが見えるの?』と質問すると、どのような答えが返ってくるでしょうか? ありがちな答えは、『だって、そこにヘアゴムがあるから』でしょう。あるいは、子供によっては、『お母さんがそこに置いたから』や『目があるからだよ』と答えるかも知れません。これらのすべての答えに共通しているのは、物理的にヘアゴムが存在していることを前提にしている点です。これが素直な子供らしい唯物論の考え方です。

 一方で、物理的にヘアゴムが存在していても、もし観測者がいなければ、そのヘアゴムは認識されません。ヘアゴムが認識できるのは、観測者が生きていて、その観測者に判断力があることが前提です。つまり、観測者の意識や心が存在するからこそヘアゴムが観測できる、というのが唯心論の考え方です。

 この考え方は、例えば『故郷は遠きにありて思うもの』という表現で説明すると分かり易いかも知れません。子供の頃に見た故郷の景色は、たとえ今ではその場所がダムの底に沈んでいようと、乱開発でかつての姿とは全く異なるものになっていようと、心や記憶、あるいは脳の中には昔の故郷の景色が残っています。これが唯心論的な考え方です。

胡蝶の夢

 多くの読者の方は、小・中学生の時に『胡蝶の夢』という、中国の古代思想家である荘子の寓話を学んだことを覚えているでしょう。この話は、現実と夢、自己と他者の区別についての哲学的な問いを投げかけ、多くの解釈が存在します。話の概要は以下の通りです。

胡蝶の夢の物語
 ある日、荘子は夢を見ました。その夢の中で、彼は美しい蝶になり、楽しく舞い踊り、自由に空を飛び回っていました。その時、荘子は自分が蝶であることを完全に信じ込み、全く疑いませんでした。しかし、目が覚めると、自分は蝶ではなく、荘子であることに気づきました。ここで荘子は深く考えます。

『今、私は荘子として目が覚めた。しかし、果たして私は荘子が夢の中で蝶になっていたのか、それとも、今の私は実は蝶が夢の中で荘子になっているのか?』

 つまり、現実が荘子で、夢が蝶なのか、あるいは現実が蝶で、夢が荘子なのかを考え始めたのです。この物語は、現実と夢の区別や、自己の本質に対する深い問いを象徴しています。

『私たちは本当に現実を生きているのか、それとも夢の中にいるのか?』という問いは、荘子が提示した哲学的なテーマであり、彼の思想の重要な一部です。

『胡蝶の夢』は、自分の存在がどこまで確かであるか、現実と夢の境界が曖昧であることを示唆しており、西洋哲学におけるデカルトの『我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)』といった自己認識のテーマとも共鳴します。

 この話は、人々が現実をどのように認識し、自分自身をどう理解するかについて考えさせる重要な寓話です。

胡蝶の夢と懐疑論の関係

『胡蝶の夢』は懐疑論を説明する上でも適した寓話だと言えるでしょう。懐疑論とは、私たちが確実に知っていることなどなく、あるいは、知識や現実についての確実な根拠を持つことは難しいという哲学的立場です。『胡蝶の夢』の物語は、このような懐疑論的な問いを象徴しています。

『胡蝶の夢』では、荘子が夢の中で蝶になっていると信じ、その時には自分が荘子であることを忘れていました。しかし、目覚めた後に自分が荘子であることに気付き、『今の自分が本当に荘子であるのか、それとも、蝶が荘子になった夢を見ているのか?』という問いに直面します。

 この物語は、現実と夢の区別が曖昧になる瞬間を描いており、懐疑論の中心的なテーマである『私たちは何が現実で、何が幻想なのかを本当に知っているのか?』という問いを反映しています。

懐疑論者は、次のような疑問を提起します。

・私たちが現実だと思っているものは本当に現実なのか?
・夢と現実の違いを確実に知る方法はあるのか?

『胡蝶の夢』も同じ問いを投げかけています。荘子が現実の中で自分を蝶と認識したことも、今、自分が荘子であることを認識していることも、どちらが『本当』なのかを確信することができません。この物語は、現実がどこにあるか、あるいは現実そのものが疑わしいという懐疑論の基盤を描写しています。

懐疑論の視点

 懐疑論の立場からは、知識の確実性に対して常に疑いを持つべきだと考えます。『胡蝶の夢』は、私たちが通常『現実』として認識しているものが、実は夢や錯覚かもしれないという可能性を示しています。

 例えば、夢の中では、その世界が非常にリアルに感じられることがあります。それが夢だと気付かない限り、夢を現実だと信じてしまいます。同じように、今の私たちが生きている『現実』も、何か別の錯覚や夢の一部ではないと言い切れる証拠はありません。この点で、『胡蝶の夢』は現実の確実性に対する懐疑論の疑問を象徴しています。

『胡蝶の夢』は、懐疑論のテーマである『何が確実に存在するのか?』という問いを非常に象徴的に表現しています。私たちが今体験している現実が本物であるかどうか、あるいは私たちが信じているものがどれほど信頼できるのかを再考させるものであり、懐疑論の核心に触れる哲学的な寓話です。

 これは映画『マトリックス』にも通じます。青いピルを飲むか、赤いピルを飲むかによって、どちらが現実で、どちらが仮想現実なのかがわからなくなります。しかし、そもそも論として、映画鑑賞者にとっては『マトリックス』自体が現実ではないのです。

唯心論が分からなかった人のためのさらなる補足説明

 もし私が唯物論者の脳外科医で、患者が『頭の中にゴムバンドが入っています』と症状を訴えてきたら、まずその主張が物理的に可能かどうかを判断し、その上で適切な処置を決定するために、以下のプロセスを実行するでしょう。

詳細な問診
 患者が『頭の中にゴムバンドが入った』と感じる具体的な理由や状況を確認します。例えば、頭部への外傷、事故、手術後の経過などが関連しているかを調べたうえで、痛み、圧迫感、異常な感覚、頭痛、視覚異常などの症状や、他の身体的な不調があるかどうかを確認します。

精神状態の評価
 ゴムバンドが物理的に頭の中に入ることは通常あり得ないため、精神的な要因が関与している可能性も考慮し、この訴えが現実に基づいているか、あるいは錯覚、強迫観念、幻覚などの精神的な問題によるものかを見極めるため、精神的な評価を行います。

画像診断
 患者の訴えを確認するために、CTスキャンやMRIなどの画像診断を行い、頭部や脳内に異物が存在するかどうかを確認します。もし実際にゴムバンドなどの異物が確認された場合、その位置と影響を評価し、外科的処置が必要かどうかを判断します。

必要な処置
 画像診断で異物が確認されなかった場合は、神経的または精神的な問題が原因である可能性が高いです。この場合、神経科や精神科の専門医と協力し、根本的な原因を探りながら治療方針を立てます。必要に応じて、精神科医の鹿冶梟介先生にセカンドオピニオンを求めるか、別の医師に患者さんの紹介状を書きます。

 しかし、レントゲンや他の画像診断で、実際にゴムバンドが頭蓋骨内にあることが確認された場合、いくつかの重大なリスクが考えられ、緊急手術が必要になる可能性が高いです。以下のリスク要因が考えられます。

感染症リスク
 ゴムバンドのような異物が頭蓋骨内に侵入していると、感染リスクが非常に高まります。脳や髄膜は非常にデリケートで、髄膜炎や脳炎のような感染症は速やかに深刻な症状を引き起こす可能性があります。ゴムバンドは体内に異物として認識されるため、周囲の組織が炎症を起こす可能性があり、これは脳圧の上昇やその他の合併症を引き起こすことがあります。

圧迫による神経損傷
 ゴムバンドが脳の組織や血管、神経を圧迫することで、神経機能に障害を与えるリスクがあります。例えば、脳の一部が圧迫されると、その部位に対応する運動、感覚、視覚、聴覚、認知機能などに障害が生じる可能性があります。圧迫が続くと、神経損傷が不可逆的になることもあり、早期の除去が必要です。

脳出血リスク
 ゴムバンドが血管に近い場所にある場合、血管を傷つけたり圧迫したりすることで脳出血のリスクが生じます。脳出血が起こると、血腫が形成され、脳の圧迫やさらなる損傷が進行します。これにより、生命を脅かす危険性があります。

脳圧上昇リスク
 異物が脳内に存在することで脳圧が上昇し、脳ヘルニアなどの危険な状態に至る可能性があります。脳ヘルニアは脳組織が圧迫されて正常な位置からずれる状態で、即座の手術が必要です。脳圧の上昇は、頭痛、吐き気、意識障害、さらには昏睡状態に至ることもあります。

長期的な神経学的後遺症リスク
 異物が脳内に長期間存在することで、局所的な脳の損傷が進行し、後遺症として麻痺、視覚障害、記憶障害、言語障害などが残る可能性があります。このため、脳の重要な部分を圧迫するような異物は、できるだけ早く除去する必要があります。

髄液漏れリスク
 ゴムバンドが頭蓋内に侵入している場合、髄液が漏れ出す可能性があります。髄液漏れは脳と脊髄を保護する髄液の減少を招き、脳機能に重大な影響を与えるほか、感染症のリスクも増加させます。

緊急手術の必要性
 以上の理由から、頭蓋骨内にゴムバンドが存在することが確認された場合、これを早期に除去するために緊急手術が必要だと判断するでしょう。つまり、唯心論者の主張は、そのまま受け止めると大変なことになりかねません。多くの方が唯心論者の主張を理解できないのは、このような現実と理論のズレに原因があるかもしれません。このズレをコントにすると以下のようになります。

唯物論者の脳外科医と唯心論者の患者

脳外科医『さて、レントゲンやCTスキャンを確認しましたが、驚いたことに本当に頭蓋骨の中にゴムバンドが入っていますね。』

患者『ほらね! やっぱり『シュレーディンガーのヘアゴム』が正しいんですよ。私の意識がゴムバンドをどこにでも存在させるんです。今は頭の中に存在しているんです。』

脳外科医『ええ、確かにゴムバンドは今あなたの頭の中に物理的に存在していますね。でも、それは量子力学の思考実験の話ではなく、非常に現実的な問題です。今すぐ緊急手術が必要です。』

患者『手術ですか? でも、ヘアゴムはただ私の意識の中にあるだけですよ。頭の外にあると意識すれば、それで解決です。手術なんて必要ないでしょう?』

脳外科医『いやいや、これは唯物論的には実に簡単な話です。ゴムバンドが脳を圧迫して、血管や神経にダメージを与えるリスクがあります。意識の力でどうこうできる問題じゃないんですよ。』

患者『でも、量子的な重ね合わせでは、このゴムバンドが頭の内にも外にも同時に存在するんですよ。手術なんてしなくても、外に意識すれば済む話じゃないですか?』

脳外科医『理論上は面白いですが、現実の脳は量子的な重ね合わせにあまり協力的じゃないんですよ。例えば、脳出血や感染のリスクがあるんです。このまま放置すると、ゴムバンドが脳圧を上昇させて、あなたの意識は混乱するどころか、意識を失うことにもなりかねません。』

患者『でも、私の意識がゴムバンドの存在をコントロールしているなら、どうしてそんなことが起こるんですか?』

脳外科医『うーん、これはまさに『唯心論 vs. 唯物論』の対決ですね。残念ながら、唯心論であっても脳には物理的な限界があるんです。だから、ゴムバンドを取り出さないといけません。観測するまでは曖昧だったかもしれませんが、観測した以上、今はしっかりと頭の中に確定しています。』

患者『じゃあ、手術でゴムバンドを取り除いたら、それで全て解決ですか?』

脳外科医『ええ、少なくとも物理的にはね。その後、唯心論的な視点で、ゴムバンドが頭の中にないことを意識していただければ、量子的な混乱も解消するでしょう。』

患者『わかりました。唯物論に従って、とりあえず手術を受けます。でも、手術中にゴムバンドが頭の外に移動したらどうするんですか?』

脳外科医『その場合は、私も量子的に驚かせてもらいますよ。』

武智倫太郎

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