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【送り出し事業部】アイセックの海外インターンシップで志を見つける若者にまた会うために

こんにちは!そして新入生の皆さんは、ご入学おめでとうございます。

2020年から流行を始めた新型コロナウイルスは私たちの生活に大きな影響を与え、長らくアイセック・ジャパンの主幹事業であった海外インターンシップも運営を停止せざるを得なくなりました。

しかしそんな中でも、自身の海外インターンシップの体験からその価値を信じ続け、4年間の大学生活を注ぎ込んだメンバーがいます。

彼女は海外インターンシップの何に惹きつけられ、そしてどんな思いで事業停止後も向き合い続けたのでしょうか。

今回は、送り出し事業部の梅村萌香さん(慶応義塾大学商学部4年)にインタビューを行いました。少しでもアイセックの活動の様子や魅力が、新入生の皆さんに伝われば嬉しいです!

梅村萌香
慶応義塾大学商学部4年。1年生でインドネシアの海外インターンシップに参加後、スウェーデンの教育系海外インターンシッププログラムのプロジェクトマネージャーを務め、慶応義塾大学委員会の送り出し事業部統括も経験した。現在はアイセック・ジャパン送り出し事業部で活動中。



大学生になったら、自分の目で見に行こうと決めていた

ーー自己紹介をお願いします!

慶応義塾大学商学部4年の梅村萌香(うめむらもえか)です。
現在は事務局の送り出し事業部で活動をしています。


ーーもえかがアイセックに入会したのはどうしてですか?

海外インターンシップに参加したかったからです。
高校生の頃から東南アジアの社会課題に関心があったのですが、何もできていない自分のことをずっと悔しく思っていたので、大学生になったら絶対に自分の目で見て、自分の手で解決に取り組むと決めていました。
当時新歓のバーベキューで、マレーシアに渡航して現地で行動し続けた先輩の話を聞き、「私がやりたかったことはこれかもしれない」と思って、入会を決めました。


海外インターンシップで得た思いがけない学び

ーー実際に渡航したのは1年生の春だと思うのですが、渡航先やインターンシップ内容はどうやって決めたんでしょうか。

東南アジアに行くことは決めていましたが、内容については苦戦しました。現地の課題が何なのかわからなかったからです。高校生の時に調べていた課題も「自分が勝手に課題と思っているだけなんじゃないか」と迷いに迷った末に、英語教育をすることにしました。

現地に外国人や英語を教える人の数が少ないことが原因で、海外に対する偏見やステレオタイプがあるのだとしたら、それを払しょくしたいという思いでプログラムを作りました。
具体的には、日本の中学生と現地の中学生が、お互いの文化を紹介するガイドブックを作って交換するというものでした。

ガイドブックを作ってくれた、日本と現地の中学生と

実際現地に行ってみても、6週間の滞在の中で外国人を見かけたのはたったの2回で、想像以上に海外に触れることが少ないんだと感じました。
そんな中、普段英語の授業中でもインドネシア語しか使わないような子が、このガイドブックを作るために英語の辞書で単語を調べている姿を見て「自分が届けたかった価値を与えられたんじゃないかな」と思ったことを覚えています。

ーー日本に帰ってきた後も、ずっと送り出し事業に携わっていたよね。

2年生の時は、別の教育系の海外インターンシッププログラムのマネージャーをやっていました。
その傍ら実際にスウェーデンに渡航して受け入れてくれる学校を探したり、インターンシップ生をサポートするマネージャーもしたりと、とにかくずっと送り出し事業に関わっていましたね。

自分のインターンシップで思い描いていた通りの体験ができたこともあり、この頃はアジアに限らずに、純粋にもっとこの経験を多くの人に届けたいと思っていました。


渡航制限による運営停止。それでもまた、アイセックのインターンで志を見つける若者に会いたかった


ーー3年目(2020年)は新型コロナウイルスの影響で送り出し事業が停止されました。慶応義塾大学委員会の送り出し事業の統括として、どんなことを考えていましたか?

当時はこんなに長引くと思っていなかったこともありますが、多くの人にインターンシップに参加してもらうために計画していたし、そのためにやることもたくさん考えていました。

事業停止が決まった時はすごくショックだったけど、それでも今までアイセックの海外インターンシップを通じて志を見つけて来た人は、慶応義塾大学委員会だけじゃなくて、世界中にたくさんいる。そんな事業を簡単に途絶えさせるわけにはいかないし、いつかまた海外インターンシップを届けるために、準備をしっかりしようと思っていました。



ーー今年も再開することはできませんでしたが、どんな思いで大学生活最後の1年もアイセックに関わることを決めたんでしょうか。

自分が持っているスキルや知識、そして何より送り出し事業が好きだという熱量が、今のアイセック・ジャパンの中では貴重なものになってしまっているということに気づいたからです。
それをきちんと活かせないと、アイセック・ジャパンから送り出し事業が無くなってしまうと思いました。

そしてやっぱり、送り出しが再開した時に「アイセックの海外インターンシップで志を見つけた」と言ってくれる若者に会いたいと思ったからです。


正直委員会時代には想像もつかなかったような複雑で専門的な事も多く、楽しいことばかりではありませんでしたが、とにかくその一心で最後の一年は送り出し事業に携わっていました。



同じ体験はあり得ない、だからこそ「宝もの」になる


ーー改めてもえかが送り出し事業にこだわる理由を聞いてもいいですか?

今後もしアイセックの海外インターンシップが無くなってしまったとしても、海外に行くことはできます。新型コロナウイルスの流行さえ収まれば、以前と同じように留学にも旅行にも気軽に行けるようになると思います。
それでも私がアイセックの海外インターンシップにこだわるのは、そこにいい意味での余白とか不確実性があるからです。

海外インターンシップに参加した当時の私は、商学部に入学したはいいもののお金について勉強するモチベーションがあまりない状態でした。

それを変えたきっかけが、渡航先のホストファミリーです。

ホストファミリーと


彼は大学時代に会計学を勉強していたのですが、その知識を活かして中学校の経営や、街の立て直し、ケーキショップのアドバイザーまで、本当に色々なことをしていました。
そんな話を日々聞きながら初めて「お金って良い想いのもとで使えば確実に社会を変えて行けるものになるし、口先だけで色々言うんじゃなくて、確固たる知識を持って行動、実現している人ってかっこいいな」と思うようになりました。


インターンシップ内容としては英語教育だったけど、一番の学びはそれだったんですよね。

そんな自分の体験を思い返した時に改めて、アイセックの海外インターンシップは本当に「コピーが不可能な体験」なんだなと思ったんです。
海外インターンシップより成長できたり、直接的に社会課題解決に貢献できたりする経験はたくさんある。でもその中でもやっぱりアイセックの海外インターンシップが素敵なのは、参加した学生がその時持っている感性で受け止めたものを得て帰ってくることなんじゃないかと思います。

繰り返しになりますが、アイセックが無くても海外には行けます。
それでもやっぱり、アイセックの海外インターンシップは人生の宝ものになる
と思うんです。

「大学生のときあの時そういえば海外行ったな」じゃなくて、「あの時に自分は夢を見つけたんだ!」と思えるような体験。そんな体験を、これからも日本の若者に届けてほしいと思っています。


ーーこれから送り出し事業に携わる人に伝えたいことがあれば、ぜひ教えてください!

アイセックの海外インターンシップの良さは、その余白や不確実性だと思っていて、その特徴がいい意味で残っていってほしいなと思っています。
でもそれは裏を返せばただ設計が甘いということにもなり得ると思うので、守るべきところは守りつつも、バランスを取ってそういった良さを上手く残してほしいというか、創り出していってほしいです。

また気軽に海外に行けるようになった時、なぜ海外に行きたいのか、その体験によってなにを学びたいのかがすごく大切になってくると思います。
その時にアイセックがただただ「海外に行ける」手段として海外インターンシップを見せていたら、やっぱり悲しい。そうではなく、自分達の届けたい価値にプライドを持った送り出し事業部であってほしいと思っています。

海外インターンシップって、参加する学生がかける時間もお金も、他のオンラインのプログラムとは比べ物にならないし、日本の生活と完全に切り離される本当に特殊な体験です。
でもだからこそ、その人のこれまでの18年、19年という人生で培った価値観に与える影響はとても大きいものになる。

そんな大きな、一生忘れられない宝ものになるような体験を日本の若者に届けていきたい。
そこに志を抱ける人に、これからの送り出し事業部に携わってほしいと思っています。


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