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ありがとうの無限地獄
5:36 執筆スタート
みなさん、おはようございます。アイダです。今日もここまできました。
Vol.028_ありがとうの無限地獄
1️⃣頑張っているを自覚するのはムズい
2️⃣仮説「頑張っている=ありがとうを言われすぎている」
3️⃣ありがとうは用法用量を守って使おう
今日も今日とて思いつきを書きます。病的に飽きっぽいんですからしょうがありません。みなさんも、ぜひ鵜呑みにせず、自分に合うかどうか判断しながら読んでいってくださいね。
どうせ、次に会ったときは、「そんなこと言ってたっけ?すっかり忘れたわー。」とかなんとか言っていますから。間に受けないように。
さてさて、みなさん。みなさん、頑張っていると思うんですよ。私も頑張っています。でも、頑張るって何かよくわからないんですよね。
私は夢中で取り組んでいるとき、人から「頑張りすぎだ」と言われることがあります。夢中で取り組んでいるときは、頑張っている自覚はないんです。「楽しいんだから、頑張っているのではないんで。ほっといて」とか言って、そのままやってます。
でも、面白いことに。人から「頑張りすぎだ」と言われた翌週くらいには、飽きたり、疲れたり、そういう兆候がでてきます。そこで、ようやく頑張っていたことに気づくんです。
ちなみに、自分で頑張っているなーっていうときは、すでに飽きが真後ろに来ている感じなので、ダメなんです。
なにが言いたいかというと、自分が頑張っているって、本当にわかりにくい。しらずしらず、頑張ってしまって潰れたりする。どうしたらいいのかわかりません。
で。思いついたんです。いつもの仮説です。
頑張っている=ありがとうと言われすぎている。状態
全てのことに気づきと感謝を。みたいな自己啓発本をめちゃくちゃ読んできました。感謝されると嬉しいし、もっと褒められたいと思う。ひどいときには、「ありがとうと言ってくれて、どうもありがとう」なんて、感謝返しをされてしまうこともあります。
自分がありがとうという場がないと。つまり、自分が何も動かず、他力本願で、周りが動いてくれて。こころから、ありがとう。と言えるときにようやく頑張っていない状況が作り出せるんです。
つまりですね。ありがとうって。麻薬なんです。実際ドーパミンが出るらしいですし。拍手もそうですね。おめでとう、もありがとうも。麻薬です。
だから、そういう場にはあまり近づかないようにする。安易に感謝するような人とは近づかないというのも、時に大事なんだと思いました。類は友を呼ぶとありますが。ありがとうの無限地獄にいくと。みんなが頑張って、みんなが潰れてしまう気がしてなりません。
ありがとうは、用法容量を守って使いましょう。では。
05:50 執筆終了
最後まで読んでくれて、ありがとうございます。
病的に飽きっぽい人
アイダ
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