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自分は自分に対して常に言葉足らず

05:32 執筆スタート

みなさん、おはようございます。アイダです。今日も、ここまできました。

Vol.050_自分は自分に対して常に言葉足らず
1️⃣書きたくないと思った朝

2️⃣「書きたくない」何を?
3️⃣自分が一番わかっているという思い上がり

では、続きをどうぞ

今日は昨日より、いい感じです。原稿用紙を書いてて、最後の最後に思いついたことが良かった。いろいろ腑に落ちたんです。シェアしますね。

自分は自分に対して、常に言葉足らず。

という話です。

私は心身ともに体調が悪くなる瞬間があります。昨日一昨日は特にそれが強かった。もしかしたら今朝もそれを引きずるのかなぁと思っていたんです。やはりでした。書きたくないな。と思ったんです。

毎日原稿用紙10枚を日課にしていますが、それでも「書きたくない」と思うことはあるんです。そういう時は、書きたくない。と原稿用紙に書くことにしています。

書きたくない。という感情の通り書いているんですけど。書きながら、第三者としての目線もあるんですよね。不思議と。で、じゃあ、「“何を”書きたくないのか書かないと。。」と思うんです。「書きたくない」という言葉には、「何を」というものがないと成立しませんから。

書きたくない。この主語は自分です。私は書きたくない。何を?それは、今までルーティンでやってきた、昨日のメモからの振り返りをしたくないってことだったようです。昨日はイマイチだったんで、イマイチな日を振り返りたくない。至極真っ当です。

「じゃあ、別のこと書けば?」って思える様になります。書きたくない。って書いちゃっているわけです。言葉遊びみたいですが、そうですよね?本当に書きたくないなら、「書きたくない。」とすら書けないはずです。

じゃあ、今回は特に人に伝えることも、自分でまとめることも考えずに、めちゃくちゃに書いてみようか。衝動のままに。別に支離滅裂でもいいから。書いてみよう。と思いました。

そしたら、めちゃくちゃかけたんです。1時間で、5枚くらいバーってかけました。ほとんどノンストップです。呼吸も忘れて。6枚目に差し掛かるあたりで、ふーっと深呼吸をしました。そして、なんだ俺書けるじゃん。って思えたんです。

「自己否定文にはカッコをつけろ」というのは坂口恭平さんの躁鬱大学の教えです。否定文だけでなく、その前。自分の感情にも使えるなと思いました。

友人と話していて、いきなり「書きたくない」って、言われたら。何を?って必ず聞くと思うんです。でも、自分に対しては、何を?を聞こうとしない。自分だから、自分のことくらいわかって当然だと思っているんです。すごい思い上がりです。

もし、自分のことをちゃんとわかる様な大した人間なのであれば、こんなに数日も悩み込まないんです。だから、自分に対してもちゃんとわかる様な言葉で伝えてあげないと。この思い上がりが、言葉足らず。自分に対してのコミュニケーション不全を起こしているんですよね。

自分は自分のこと絶対に察してくれませんから。主語はともかく。ちゃんと言葉にして、文字にすると。これをやる。今日はいろいろ気が晴れそうです。

05:45 執筆終了

少し上向きになってきました。1週間くらいかな。軽症で済みそうです。年末までこの感じで行きたいですね。

病的に飽きっぽい人
アイダ

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