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月見団子に飽きた話

05:10 執筆スタート

おはようございます。今日もここまできました。

昨日は十五夜でしたね。みなさんはお月さま、見れましたか?うちの方は一瞬雲の間から覗いたくらいでした。それでも十分綺麗でしたけどね。食い意地が張っていたので、団子はちゃんと食べました。

12個入りのお団子だったんですが、私と妻、2歳の息子には多すぎます。お米の量としては、1合半くらいあったと思います。ご飯は軽めに済ませておくことにしました。

毎年買っているのですが、ここの月見団子は最高なんです。事前店頭予約限定なので、都度お店に行かなくちゃいけないんですが、それでもいい。毎年買っていて、顔見知りなのでお互い近況報告のご挨拶も兼ねて通っています。

今年の月見団子もふわふわで大変おいしい。他の団子はよく知らないですけど、ここのは特に舌に残らない。口溶けがよくて最高でした。あんこはそんなに得意じゃないのですけど、添えてあったので、使ったり使わなかったりして楽しんでいました。

そんな美味しい月見団子でも、それ自体は味がないので飽きるんですよね。だんだん、あんこをつける頻度が増えてきます。飽き対策です。

私は、この「飽きた」っていう瞬間を自覚するのを心待ちにしています。最近、飽きたって思うことが少なくなっているからです。病的に飽きっぽい人なのに、飽きを感じなくなっているのは危険です。飽きない状態が継続しているとそれはそれでまずいからです。

何度同じことをやっても飽きない状態。「夢中になっていていいじゃないか」と思う人もいるかと思いますが、自分にとっては逆。脅威です。それは、夢中ではなく、過集中だからです。

過集中を調子に乗ってしばらく続けていると、いつかその反動がきます。そういう病気だからです。だから、不意に飽きを感じるのが結構嬉しい。自分でわかっていて飽きを味わいに行くのは違います。それについては、朝の原稿用紙で間に合っているので。自然体で感じる飽きも時には必要なんですよね。

私にとって、食事は飽きを感じる絶好のチャンスです。まぁ贅沢な話なんですけど。感じてしまうのでしょうがありません。

普段、晩ごはんはテレビを見ながら食べることが多いのです。これも一つの飽き対策ではあるのですが、昨日はお団子が本当に美味しかった。だから、お団子に集中していました。でも飽きた。理由は明白です。味が単調だからです。単調なのと、量が多いからですね。

自分としては、団子1串分。3個で十分だったんでしょう。不思議なもんです。串に刺さっている団子は2本食べたい。色々味のバリエーションが楽しめるからでしょう。月見団子は3つで十分でした。

でも、12個あります。三人で分けても、5個は食べないといけない。お団子はすぐ固くなってしまうので、その日中に食べきらないとそれはそれでがっかりします。八方塞がりです。まいったまいった。

すると、妻がすりごまと、砂糖を混ぜたものを持ってきました。きなこは大豆ですけど。その白胡麻バージョンです。最高かよ。飽きてきたところだったんだよ。と思って。もう3個食べました。また違う楽しみができてよかった。最後まで食べ切りました。

私は味が単調だと飽きる。その味は単純に味覚というわけでもない。テレビでグルメ番組を見ながら食べるご飯。鰻の蒲焼をみながら食べるご飯って、鰻の味がするんですよね。だから、舌で感じなくてもいいみたいです。脳でもよい。何かしら刺激があるとごまかせる。

毎日の食事が、飽きを感じる行為だなんてなんか嬉しくなります。私は今日は何に飽きちゃうんだろう。飽きれば、飽きた時に取る行動が他に生きるんです。過集中を避けて、ゆらゆらと生きることができる。

ちょっと変わった、そして食事に対しては大変失礼な話ですが。自分の身を守るために必要な行為なんだと思います。こんなことを思いついたのは、この連載を始めたから。毎日の食事がこんなに楽しめるのは、この朝の習慣があってこそなんですよね。

ちょっと短いですが、今日はこんな感じで終わります。50日連続投稿を目前にして、この連載にも少し飽きがきているのかもしれません。飽きの正体が言語化できれば、また書けるので。貴重な飽きを味わってみようと思います。

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