見出し画像

地獄、時刻、自国。星野源、不思議。

星野源「不思議」

コロナ禍にもっとも必要な芸術は、和歌なのではないか。未知のウイルスによってわたしたちは、和歌を発見しつつあるのかもしれない。星野源の「不思議」という楽曲は、いまの世にもっともふさわしい和歌だ。もともと、文節をくぎって歌い、語尾を伸ばさず、装飾めいたシャウトを排し、穏やかに読みきかせる歌い手である彼の唱法=話法が、沈黙を豊かな品に昇華するサウンドアプローチと、現実(具体)と夢想(抽象)を突き詰めた詞の珠玉を得て、いよいよ和歌の次元に到達した。星野源は歌っているのではない。詠んでいる。 
 世界的非常事態宣言下のラブソング、と記すと、物々しく大袈裟で泣き叫ぶような恋情を想像するだろうが、ここにあるのは和歌が有する時間と距離を慈しみ、こころをそっと差しだす落ち着いた風情。しかし、日本語を至極大切に取り扱っているからこそ、魅惑的かつ創造的な転倒が起きている。恋人たちの出逢いの場である「水」が「蜜」にも「密」にも聴こえる。「正座」が「星座」にも、「檻」が「澱」にも聴こえる。それは言葉遊びではない。無限の可能性だ。白眉は後半の「きらきらはしゃぐ この地獄の中で」における「地獄」の発語。「地獄」が「時刻」にも「自国」にも聴こえる。痛切にして痛烈。他人同士だから恋ができる、と讃えながら、わたしたちが生きている現実を「地獄」と表現し、ぎりぎりのところでどうにか抱きしめる。誠実にして切実。いまからでも遅くない。この和歌は『万葉集』におさめるべきだ。事態は急を要する。急げ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?