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夕暮れに、手をつなぐ。side空豆

夕暮れに、手をつなぐ。

複雑で、ビターな味わいの幕切れだった。

空豆と音が積み重ねてきた轍をおもえば、ふたりは結局、ピークで結ばれることはなかったのだと気づかされる。

まわり道、ではなく、喪失。それを受け入れることで、二人は一気に老けこんでしまった。

ラストカットの空豆と音は、もはや老後。

すれ違いの代償は、邂逅のときめきをもってしても、どうにもならなかった。

お互いの諦めの上に、今がある。そのひりひりとした感触もまた強調されることなく、そっとドラマは終わる。

最後、初めて出逢った時のように、同じ曲を二人で聴く。

人生の夕暮れに、確かに手はつないだ。

しかし、その瞬間も凝視することなく、あっさり終わる。

空豆が音にもたれかかる後ろ姿が、なぜかせつない。

空豆は才能を手放した。紅白の衣装もイケてない。

彼女が、かつてのように、ひらめきを手にすることはもうないのではないか。

久遠とのやりとりにかなり時間をかけている。わたしは降りる、と彼女は言う。引き留める久遠。ギフトを説く。だが、彼女は、要らない、と言う。かつて闘っていたはずの彼女は、もう闘いたくない、と言う。

これは才能の喪失のドラマでもあった。

そして、それを恋愛が救済するわけでもない。この真実を示すために、型通りのハッピーエンドが用意された。

セイラが空豆に告白したことで、もはやBPMの存続は難しい気もするが、音が音楽の世界から降りることはまだないだろう。ソロになってもある程度までは売れ続けるだろう。

しかし、空豆がファッションの世界にいるのはもう残りわずかなのだろう。

響子がそうだったように、空豆もまたギフトをてばなす。久遠のようにはなりたくない、ということも大きいのかもしれない。その久遠は、響子のことも、空豆のことも引き留めることができなかった。だから彼は、これからもファッションの世界に居続けるしかない。這いつくばってでも。

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ゆっくり生きる音と、反射神経で生きる空豆。亀と兎、アリとコオロギの恋物語はビターだった。

『マチネの終わりに』では、スランプの真っ只中、恋愛する音楽家が描かれた。そして、その恋愛は彼のスランプを救わなかった。彼は恋に破れた後、カムバックする。

「夕暮れに、手をつなぐ」最終回は、さまざまなことを想像させる。

音がスランプに直面した時、空豆はどうするのだろうか。

セイラが非常に危うい歌姫であることもひとつの予兆だ。人気があっても消えていった前例を、ドラマは具体的に描いている。

才能は永遠ではない。

「久遠」という名前が、それを示唆する。

夕暮れに、手をつなぐ。

現在形のタイトルの過酷さに、あらためて気づく。

音は、空豆の帰還の意味について問わない。

では、空豆はパリでおこなわれたであろうコレクションに音を招待したのだろうか。

おそらくしていない。音に見てもらいたいコレクションではなかったのだろう。ここに不幸がある。

音は、空豆を招待した。しかし空豆はライヴを観なかった。

「場違い」と彼女は言う。

つまり、二人はもうクリエイター同士ではないのだ。

空豆は3年間、パリで才能を燃やし、その結果、パリではなく、ファッションの世界と「合わなかった」ことを知る。母親との邂逅も、彼女の才能の窮地を救うことはなかった。

パタンナーの彼もまた、空豆の決断の前では無力だった。

音は、ファッションのことはわからない。
空豆は、音楽のことはわからない。

だが、空豆がクリエーションについて伝えたい時、喜びではなく、悲しみを、怒りを伝えたい時、彼女の前に音はいなかった。

セイラが邪魔をしたのではない。

音はあの時、空豆の前にいなかった。

逢いたい時に、あなたはいない。

この過酷な体験で、空豆は「伝えたいこと」「相談したいこと」を喪った。

セイラの告白に、空豆は、もういいよ、と言う。昔のことだ、と言う。

久遠に盗作された悲しみや怒りを、音は聴いてあげられなかった。

自分の「好き」を伝える前に、聴く機会がなかった。

わかってくれるかどうかわからないけど、それでも、空豆は音に聴いてほしかったのだ。

音は、その切実さを知らない。

自分たちの恋愛のすれ違いしか認識していない。

あの時の空豆を知らない。

そして、もう空豆はあの時の空豆ではない。

最終話は広瀬すずにアングルがあっていた。だからさらに悲しさが際立った。

永瀬廉はタフだった。最後までタフだった。彼にしか出来ない音だった。

空豆と音が互いの才能のピークで結ばれてほしかった。あるいは、互いに才能を失っても一緒にいる、そんな結末を見たかった。

だが、それではロマンティックすぎるのだ。

こんな悲しい結末をおもいつく北川悦吏子に震撼する。考えに考え抜いた選択だろう。おそらくだが、タイトルの意味も彼女の中で刻一刻と変化していったのではないだろうか。

北川悦吏子は、覚悟を決めて、この物語を紡いだのだとおもう。

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