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恋愛とは奇妙な勇気のことである。黒沢清「彼を信じていた十三日間」について

「ニューヨーク・タイムズ」に掲載されたコラムを基にしたAmazon Originalシリーズ「モダンラブ」(2019)。その東京版「モダンラブ・東京〜さまざまな愛の形〜」は、廣木隆一、山下敦弘ら、気鋭の映画監督を中心とした演出メンバーとなっており、全7話の出演者は、水川あさみ、前田敦子、榮倉奈々、柄本佑、成田凌、夏帆、池松壮亮、黒木華、窪田正孝と錚々たる顔ぶれ。伊藤蘭と石橋凌という大ベテランが主演を務めるエピソードもあり、連続ドラマでも映画でもない、独特の存在感を発揮する連作短篇集となっている。

中でも注目すべきは、「彼を信じていた十三日間」と題された黒沢清監督による第5エピソード。永作博美、ユースケ・サンタマリアという黒沢監督の『ドッペルゲンガー』(2003年。役所広司主演)の主要キャストを召喚し、胸に残る41分の珠玉作に仕上げた。黒沢清作品の中でも、これは傑出したマスターピースの一つと言っていい。

婚活サイトで知り合った中年男女の、二週間足らずの日々を追う。ある取り違えから出逢った二人は、心を通い合わせる充実した時間を過ごすが、意外な別れが待ち受けている。

まず、謎の男を演じるユースケ・サンタマリアがとにかく素晴らしい。彼は若い頃からとりとめのない魅力を放つ俳優だが、わたしたちが無意識に設定している境界線を次々に消滅させて、その存在の領域をみるみる拡張していく本作は、真骨頂の極みと呼びうる。超然と心許なさ、複雑さと空白、無意識と呆然。それらが鮮やかにシェイクされ、特異な吸引力を放つ人物として、画面の中にいる。なぜか気になる、から、どうしても気になる、へと移行するヒロインの心情に同化せざるを得ない。ユースケ・サンタマリアという芸術品を眺めているだけでも、大変に価値のある映像体験である。

それを受けとめる永作博美も、この奇怪な物語に人物的説得力を与えて圧巻だ。TVディレクターとしてバリバリ働き、やる気の感じられない後輩に苛立ちを隠せない、ジャーナリズムの真っ只中にいる女性が、正体不明の男に傾斜する様を、ほとんど段階を踏まず、瞬間の積み重ねによって表現している。ぎこちない初対面から彼女は主導権を握っている。それは、常に取材する側にいるヒロインの職業病かもしれないし、単にそうした性格なのかもしれないが、いずれにせよ、一度、主導権を握ったからこそ、彼女は最後まで能動的に振る舞い、落とし前も自らの行動で決着をつける。

つまり、これは、永作博美の側から鑑みるなら、ハードボイルドミステリーの趣さえある、一種の活劇だ。そして、ユースケ・サンタマリアを中心に見つめるなら、不穏なSFであり、現代性みなぎるホラーであり、さらに言えば健やかな諦念さえ感じさせるファンタジーでもある。これらの要素は、黒沢がこれまでの作品群で試み、また達成してきたジャンルであり、本作もその複数の交錯でしかない。

「彼を信じていた十三日間」が傑作である理由は、こうした黒沢清らしさにあるわけではない。諸々の要素を、全てラヴストーリーによって統合している点にある。

謎、アクション、ポジティヴィティ、ライフスタイル。不思議さ、ズレ、乖離、不安、諦め、受容、祈念。恋愛は、単一の色彩で染め上げられたシンプルなものではなく、混じり合わないものを混じり合わないままかき混ぜ、それを放置し、何ら解決することなく、それでもただ進んでいく、奇妙な勇気のことなのだ。

黒沢清はよく自分のことを「楽観的」と評するが、彼ならではのオプティミズムがここでは真性の恋愛物語として結実していることに、驚きとすがすがしさを感じる。

幾つもの印象的な場面がある。

だが、ここには恐怖映画のような衝撃さえも吸収してしまう、恋愛の不思議がある。そして、なぜ、人類が、恋やら愛やらを求めてしまうのかについても、わたしたちは、これから考えはじめるだろう。

たかが41分。されど41分。単発ドラマの可能性を感じさせる意欲作の誕生である。

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