インタビューとインタビュー原稿は別々の人間が担当している。

インタビューとインタビュー原稿書きはまったく違う仕事である。もちろん意識しないわけにはいかないが、インタビューがインタビューとしての自由を得るためには、原稿というものに向かうベクトルをある程度消さなければいけない。あるいは忘れたふりをしなければいけない。なぜなら、インタビュー原稿というのは、結局のところ言文一致に他ならないからだ。「言」と「文」を最低限一致させなければ、音のない世界は成り立たない。音のある世界の段階で、音のない世界のことを考えているのはとても不健康である。音のある世界を、音のない世界に、作りかえることを宿命づけられているのがインタビュア=ライターだとすれば、音のある世界をまずは音のある世界として肯定してみるべきだと思う。落差があればあるほど、音のない世界にも、なにかしら反響のようなものが残っているかもしれないから。わたしは、インタビューしているとき、それを原稿にまとめる人間のことは考えない。そして原稿にまとめるとき、そのインタビューを行った人間のそのときの想いにとらわれないようにする。ただ、バトンが渡されただけなのだ。そのバトンを手から離さず、落とさないようにして、走ればそれでよい。もし、バトンを落としたら、拾って、また走り始めればいい。それだけのことだ。前走者がどんなふうに走っていたかなど、後走者が気にしていたら、全力で走れるわけがないではないか。

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