#001【はじまり】なんでnoteを"書く"のか

note始めてみます。

理由は尊敬する先輩や好きなクリエイターさんが使っているから、とか色々あるけど、基本的にブログやらSNSで自分の頭の中をアウトプットすることを避けてきた人生で、note始めてみっか!というタイミングが自分に訪れたのはなぜなんだろうか、まずはそこから。

「忘れる」と「慣れる」に抗うため

ここ1年くらいで楽しい人達とたくさん出会った。まず、みんな思想を持っているし、世の中とか日常に落ちてることに自分なりの見解を持っていて、それを面白くわかりやすく話せる人ばっかりで、ついつい飲み会が深夜まで続く。笑

時には、はたから見たら意識高い感じに見えちゃうような、なに飲み屋で議論白熱させてんだよ、という白い眼を向けられそうなネタ(キャリア教育やら、宗教論やら、ビジネス論やら)をいつでも、どこでも雑談トーンで話せるこの環境は病みつきになる。

この素敵な環境で、刺激をもらう毎日を送っているけど、いかんせん人間の脳には「慣れる」と「忘れる」っていう機能が備わっているから、少しでも自分の脳のキャパを補うためにnoteを始めてみようと思ったのが最初のきっかけ。

まずはnoteを”書く”ことから始めてみる

noteには文章だけじゃなく、写真や図や漫画、いろんな情報の載せ方があるらしいが、まず僕は文章で「書く」ことから、始めてみようかと。
僕は仕事でコピーライターとしての役割も担うことがあるけど、仕事で言葉を扱うとき、僕は誰かの「代弁者」でしかない場合が多い。
クライアントがサービスや商品を通じて伝えたいこと、伝えるべきことをより良い言語表現で代弁する、そこに僕の技術はあっても、僕の意思はほとんどない。だから、僕の意思だけで受け手のことを100%無視した文章が自分の中から、どれくらい出てくるのか実験してみようと思う。

「書く」+「描く」で「つくる」にするかも

僕は言葉(特に日本語)が大好きだけど、描くのも大好きだ。ちなみに絵は描けない。描くのはだいたいフレームワーク。もし、これから自分の脳のキャパを補うために、文章を書くだけじゃ足りなくなったら、フレームワークを使って「描く」ことも考えている。そのときは「書く」+「描く」で僕のnoteは「つくる」ものになってると思う。(そこまで頑張れよ自分、という自戒を込めてこの文章を書いています)

「つくる」は3種類ある

ちなみに、ちょっと前に仕事で「つくる」について整理した。
(なんの仕事だよそれ)

国語辞典によると、以下の3種類の「つくる」は材料・素材などに手を加えて、もとと違った価値あるものに仕立てることらしい。でもそこには少し違いがある。

【作る】有形・無形を問わず、対象規模は小さい場合に使われる。(折り紙を作るとか)
【造る】有形かつ、対象規模が大きい場合に使われる。(船を造るとか)
【創る】有形・無形を問わず、対象規模が大きい場合に使われる。「新しく生み出す」という意味合いで使われ場合が多い。

たぶん僕のnoteは、そのうち「描く」が加わっても、まだなんの価値もない「つくる」だ。僕にとって脳のキャパを補えている、と思える日がきたら、「作る」に進化するんだろう。

どうしたら、「創る」ことができるのか

国語辞典によると3種類の「つくる」はどれも、「材料・素材に手を加えて」とあるから、0からは生まれないらしい。

じゃあ「創る」を目指すには、集める「材料・素材」の量を増やす、質を上げるか、「つくる」プロセスで何か新しい価値を生み出す努力をしないといけないはず。でも、僕の「創る」ための努力は本質的にはnoteではなく、会社のサービスやプロダクトのほうに向けられるべきだと思う。

だから…

当分は、飽きないようにほそぼそと「書く」か「描く」くらいで、自分の頭の中の材料や素材を整理して「作る」を目指してみようかなーと。(あとは素材集めのために沢山人と会って、TV見て、本読んで、仕事しよう)






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