昔の話 Part3

こんにちは。

日に日に新型コロナの感染者が増え、不安も増していくばかり。若いからといって重症化しないというわけでもないみたいなので、本当に全ての人達が気をつけていかなければいけませんね。


さて、前回の続きと参ります。

家族にカミングアウトをしてから、特に何か変わるわけでもなく、家族とは過ごしていました。一人称を『俺』に変えたりとかは特にしてませんでした。というか、恥ずかしくてできませんでした。(笑)  何分、シャイボーイなもんで…(笑)

ただ、やっと親に『ナベシャツ』(胸を潰すシャツ)を買ってほしいということを伝えられて、それからナベシャツを着用していました。その時は高校生だったので自分でネットショッピングできなかったため、親に頼むしかありませんでした。それも頼むのにすごく勇気が要りました(笑)

そんな頃、何のタイミングでかは忘れてしまいましたが、母から、

「じじばば(母方の祖父母)にはこのこと言わない方がいいよ、絶対わかってくれないから」

と言われたことがありました。その時は僕も、

『もちろん言えるわけがないし、ずっと秘密にしておくつもりだ』

と思っていたのですが、いつだかそう言っていた母親が祖父母にカミングアウトをしてくれていて、その時はびっくりして戸惑っていたようですが、名前も改名した後はすぐにその名前で呼んでくれたり、今となってはとても応援してくれていて、結婚したことを伝えた時は、泣いて喜んでくれました。他の親戚もみんなそんな感じで、否定的なことを言う人は一人もおらず、本当に良い家族に恵まれたな~と思います。

そして、高校2年の終わりに初めての彼女ができました。同じ部活の後輩でした。その子が高校入学したてで部活の見学に来た時から『かわいいな~』と思っていた子で、まさか入部するとは思っていませんでした(笑)

それから僕が一方的にアタックし続けて、付き合ってくれました(笑) まさか付き合ってくれるとは思ってなかったし、初めての彼女だったもんだから、付き合いたての頃は授業も耳に入ってこないこともしばしば…(笑)

もちろん付き合っていることは周りには言えなかったので、誰にも見られないように一緒に帰ったり、部活中に意味深なアイコンタクトをとったり(笑)

今考えてみると、なかなか青春でしたね~(笑)


そんなこんなで高校3年に上がり、仲の良い信頼できる友達には徐々にカミングアウトをしていきました。

そして、高校3年になると進路を決めなくてはいけなくて、僕の高校は一応進学校だったので、よく考えもせず、ただなんとなくで福祉系の4年制大学に進もうと決めました。そこは推薦を受けられてそれで受かってしまえば受験勉強もしなくて済むし、学費も奨学金を借りればいいや~というとても軽い考えで決めてしまいました。今となると、本当にその頃の自分をぶん殴ってやりたいくらいです。。。


そして高校卒業。大学入学。

大学は最初の3日間はオリエンテーションで、全員同じ部屋に集められて大学の説明を受けることになっていました。

そこで続々と友達を作れる人もいれば、人見知りで話しかけられず友達作りに苦戦する人もいて……僕は完全に後者でした(笑)

しかも僕の場合、性同一性障害についてのいわゆる"治療"というものを全くしていない状態で、服装はメンズのものを着ていたので、でも名前は改名前なので女の名前。『周りからどう見られているんだろう』というのが気になってしまって、なかなか自分から話しかけることができませんでした。ちょくちょく話しかけてくれる人はいたものの、やっぱり居心地が悪かったのを覚えています。

そして個別の教室に分かれてのオリエンテーションがあり、そこで自己紹介がありました。その自己紹介が、男女ペアになって相手を紹介する他己紹介というやつで、担当の先生がペアを作っていくのですが、僕は男にカウントされて、女子とペアを組むことになったのです。まさかとは思いましたが、嬉しい反面、やはり他の人の目が気になってしまっていました。ただやらないわけにはいかなかったので、ペアになった女子とみんなの前で紹介をし合って、その時間は終わりました。元々僕は、みんなの前で発表とか苦手なタイプなので、この状況での他己紹介は本当に苦痛でしかありませんでした。

そんなようなことが続き、僕は大学に入学してから、自分自身のことについてすごく考えるようになりました。(今更かよって感じですが…)

――自分の今の状態で、自分のことを何も知らない人たちの中に入って、自分がどう見えるのかどう見られるのか。

今の状態では自信を持って胸を張って生きることができない。こんな中途半端な自分を受け入れてくれる人なんていないだろう――

そんな風に思えてきました。やっと、自分自身のことについてちゃんと考えるようになって、考えついた答えが、

『自分が今やるべきことは大学生活じゃない』

というものでした。

もう頭がその考えになってしまったら一直線な性格なので(笑)、すぐに大学の案内所のようなところに行って、「大学を辞めたい」ということを伝えに行きました。大学側も、入学3日目ですんなり辞めさせるわけにもいかなかったのか、生徒相談室のようなところに案内され、そこでカウンセリングを受けるように言われました。

そこでも、僕は「大学を辞めたい」の一点張りで、そこの先生に「今辞めても前期の分の学費が払わないといけないんだよ?」と言われましたが、「それでもいいです」と言って、大学を中退しました。入学3日目で(笑)

家族にはさすがに反対されました。「せっかく入学したんだからちょっとは頑張ってみればいいじゃん」、「決断するのは早すぎる」、「将来のことを考えたら絶対大学は出といた方がいい」などなど…散々言われましたが、僕は別に後悔などしていませんでした。


僕が大学を3日で辞めてまでやるべきだと思ったこと――それは言わずもがな、"治療"でした。

大学に入って、全く知らない人たちの中に入って、やっと自分自身と向き合えた。やっと自分自身のことをちゃんと考えることができた。決して安くはない、1コマも授業を受けていない前期分の奨学金を払わなくてはいけなくなりましたが、何はともあれ自身と向き合えるきっかけになったので、大学に入学したことは後悔していません。(と、自分自身に言い聞かせていますw)

大学を辞めてからは、バイトを掛け持ちしてひたすら貯金。そして性同一性障害の診断書をもらうために心療内科に通いました。

バイトは女性として働いていたので、ストレスも多かったですが、耐えました。一つは回転寿司屋のキッチンで働いていたのですが、昼間だったので主婦ばかりの中で働いていて、僕が心が男性というのはなんとなくバレていました(笑) やはりおばさん世代は鋭いんですよね~。それか僕がわかりやすいのか(笑) でも偏見などされるわけでもなく、仲良く働かせてもらっていたので、わりと楽しかったです。

ただバイトも忙しくて自分自身のことでもいっぱいいっぱいで、高校から付き合っていた彼女とは大学を辞めてからしばらくして、別れてしまいました。すべて、僕の余裕のなさが原因でした。今思うと、本当にその頃の自分はガキだったなと思います。。


長くなってしまったので、また次回~


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