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地域に人に、想いを寄せること #私の311


3月12日がやってくる。
息子は今日も朝勉をして午後元気に外遊びに出かけていった。
テレビでしかあの時の東北を見てない私にも、まだ毎年フレッシュバックがおき、体が動かなくなる。
それでも3月12日はやってくる。
今日はすぎ、明日がやってくる。
毎年そう思いながら12日を迎えている。

私ですら、意識を遠ざけその日を生きることが難しいのに、被災した人たちになんと声をかけたらいいか今もずっとわからない。

2年前、南三陸から気仙沼まで一人旅をした。
仙台から降り立った南三陸志津川の海辺はコンクリートの防波堤で覆われていて、夏なのに乾いた感じがした。
以前来た時とあまりに違っていて、当時の映像以上にショックも受けた。

まだ三陸鉄道は再開されておらず、ぼんやりしたままバスにゆられて気仙沼までいった。
気仙沼の海辺は平地でかなりの範囲に津波が来たことを理解できた。
あるところから建物の様子が違い、ここまで来たのかとまたショックを受けた。
気仙沼向洋高校にも行ってきた。あたりに建物は少なく、志津川とは違う復興の現実を見た。
その後雨が降ってきて、少し荒れた海を見ながら、自分の無力さやら虚しさやら、消化できそうにもない気持ちでいっぱいになった。

いつになれば復興と言われなくなるんだろう。
街が整備されてしまった後はどうなるんだろう。
気仙沼で一緒にご飯食べたおじいちゃんたちが、笑いながら心が戻らないって言ってたのがずっと引っかかっている。
そんな言葉を聞かなくなるのはいつなんだろう。
大事な人や居場所をなくした人に、私ができることはなんだろう。

自分の声と向き合うきっかけができた点では、あの旅は一人で良かった。と思っている。
でも次は、少し大きくなった息子も連れて行きたい。
ショック受けてばかりだった私にも変化があればいいのだけど。

軽々しく明日と言っていいのかわからないまま、今年も3/12が来た。
3/12を生きる人が今日までを支えてきてくれた。

コロナ時勢であちこち混乱しているけど…、
さぁぁ、私も明日を生きていかねば。だわ。
4月からは海士町だよ。

って、励まされているのはこちらの方じゃないか!
私こそ希望をもらっている。うぅぅ😭

これからも想いを寄せ続けること、そして大いに笑い、笑わせることくらいは、新しい場所で新しい生活がはじまっても、毎日心に留めて過ごしていきたいな。

今日は終いにはなし。

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