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不登校の自殺

夏休み明けで子どもの自殺に関する投稿が多い。わたしもいよいよ学校に行かなくなった中学2年生の秋頃は自殺を考えていたと思う。幼稚園の頃から園を嫌っており、この牢獄が終わるのは後何年かとお先真っ暗になり絶望した記憶もあるので、それ以後多感な子ども時代を10年近くもよく我慢し通したと思う。結局自殺は決行することなく、19才になって海外へ出始め、多様な価値観と多軸的な世界を知って、なんだ私のいた世界はあんなに狭かったのか、結局人間どうあっても生きられるじゃないかとあっからかんとなり、拍子抜けしたところがある。

移動が限定され、固定化された環境に置かれると思考も限定的になり視野狭窄になる。「学校に行かなければ生きていけない」「会社にいなければ生きていけない」「お金を稼がなければ生きていけない」…
社会で巧妙に仕掛けられたマトリックスの呪縛は何層にも何世代にも渡り、全方位から浴びせられじわじわと圧迫した呪いは個人の中に内在化する。間もなく人は自分で自分に呪いをかけ続けることになる。

「学校無理して行かなくてもいいんじゃないか」と、ある不登校の子を持つ親御さんに話したことがある。その方は「私だって学校に通っていた頃、行きたくなくてさぼった日もある。でも結局逃げられなかったし、頑張って通って卒業した…」と話されていた。
滲み出るのは、本当はそうしたくなかったのだけれど自分の願いを押し殺して我慢した、私だってやりたくないことをやりきったのだ、という苦しい思い。当時、自分がとても辛い思いをしたが、それを周りに認めてもらうことが叶わなかった、というベースにある痛み。その時の自分の力で歯を食いしばってなんとかするしかなかった状況。「辛いね」と、自ら寄り添って感じきり、感情が変容してゆくことは許されず、痛みはぐっと飲み込んだまま体内に収縮フリーズされる。癒やしきれていなかったその痛みは、学校へ行きたくないという子どもの姿を見た時に転写され、「私だって不条理な中を生き抜いたのだから、あなただってがんばりなさい、がんばれるはず」と、子を追い立てる。世代間で痛みを再生産する方向性へ。子どももまた、自分の内にある痛みを感じるのではなく、むしろそれを殺して生き抜くことを学ぶ…

個人の体験は百人いれば百通りで、もちろん誰もがこういう訳ではないと思う。すべては個々の自由意思なのだろう。
ただ、解答は無限にあって、行く・行かないの2択のどちらが正解でどちらが不正解という訳ではない。解は多次元的に無限にある。そのことを発見できていくことこそが人間の持つ生きる力と創造性。

人間は元来好奇心旺盛な存在だし、学びたいと思えばどんな方法でも学べる。本からでもインターネットからでも、自然からも。感覚が麻痺し、思考することを自ら放棄して無機質なロボットと化した社会や学校を形成する大人たちの中で、呼吸を押し殺して無理に学ぼうとするよりも、自分を丸ごと生きている人間や、生き物、植物からの方が学べるものも大きく面白いのではないかと思う。

私が学校に行かなくなったのは、学校という場所で自分を殺して存在することはできないと、自分の信条を守ることを選択した日だったと思う。自分を殺して社会の中で生きるか、それとも社会で生きるために自分を殺すか。自分は自分を生かそうと思った。そうすると身体は正直で、その時からベッドで身体が動かなくなってしまった。
学校に行かないという選択をすることは、社会から抹殺されるのと同等に感じられたし、自分自身から「お前はだめなやつだ、生きる価値がない」と烙印を押されることでもあった。結局過度な自己卑下と自己否定に陥らず、助かったのは、私の場合、親が「学校に行け」と強要しなかったことにある。当時私の親も、仕事上でなかなか苦しい選択を迫られている状況にあった。父親は結局、その状況を切り抜けて「まぁなんとかなるやろう」とあっけらかんと捉え、私にも、「好きなように生きたらええ」と、わたしのすべてを放任し、私のすべてを信頼してくれた。あの時のあの父親の在り方には今でもこころから感謝している。自分で自分を信じられない時、誰かが自分を信頼してくれることほど、こころを力づけてくれることはない。

そんな親の在り方と当時の周辺環境もあって、私は安全に死の儀式を通過した──身体生きながらえながらにして死を通過した──。そのことで不死鳥のように甦り、新たな自分となったのだろうと思う。自殺という実質的な死を免れたのは、どんな時も生きようとする方向へ向かうこころの奥底にある羅針盤と、環境を通じての全方位からの導きがあってのことなのだろう。危機状況も、たましいが生まれてくる際に設定したプランに基づくものであり、その実行を通じてしか呼び覚まされない内側の力がある。

今でも、「もう自分は無理なのではないか」と思うことがある。悪化する外部環境に耐えられなくなり、代謝が回らず、体力が激減するとき。なぜ自分は、ここまで自由が効かず、脆弱性と限界性を持った肉体を選んできたのだろうと、自分で自分を恨みたくもなる。そんな時に、自分が過去に、何度も死を乗り越えてきたことを思い出す。あの死にそうになる体験の最中に、数段階上のオクターブから自分を引き上げる何かの力が働き、眠っていたDNAのいくつかの力が解放されるのだ。

限定された視野では気づかない解が、無限にある。飢え死にするのが難しい日本で、社会からあらゆる方法で圧殺されようとする今だからこそ、真に自分を生きたいという願いが揺り動かされ、目覚めさせられつつあるのだと思う。自分の内から真実を告げる小さな声が必ず自分を導いてくれることと、必要な助けはいくらでも全方位から差し伸べられることを、私たちは信じ続ける。結果がすぐに出ない時であっても。時に疑いたくなることすら、それを通して、より信頼する力が強まり続ける。

今、非人道的な社会システムから脱却し、多様に生きる場を広げている人たちが増えていることに希望を感じている。目に見える世界にも、変化ははっきりと現れ始めている。


トップの写真は、20才の時に行ったアフガニスタンのカブールで。建設支援をした小学校に通う女の子と。この夏は実家の断捨離であらゆるものを捨てたが、この写真は取っておこうと思った。



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