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#22-242 未完成なわたしたち。

夜明け前、
わたしだけのそら占い。
赤く染まれば、大吉。
色を帯びないなら、吉。
雲っていたら、小吉。
そんな感じ。
今朝は間違いなく、大吉だった。

そらだけは。

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「あこがれのひとはいますか」

僕たちは 明日以降で 本気出す」の中で寄せられていた質問に、勝手に答えてみようとおもう。結論からいうと、います。たくさん。

安室奈美恵ちゃん。絶対的な存在。可愛すぎる。車でDVDを観るたびに「可愛いなぁ」「どうしてこんなに可愛いんだろう」と声に出る。毎回。同じ人間とはおもえないほど。可愛いだけではなく、お歌も上手だし、ダンスも上手だし、とても可愛い。だいすきだし憧れるし尊敬している。奈美恵ちゃんみたいになりたい、とおもって、ちょっと意識して奈美恵ちゃんのように笑ってみたり、歩き方を真似してみたりすることもある。程遠すぎて、そんなことをしてもじぶんの醜さを実感するだけの自虐でしかないのだけれど。とにかく、憧れる。いろんな要素をどうにか取り込んで、奈美恵ちゃんのようになりたい。ダンスを始めるのもいいかもしれない。もうすぐ、奈美恵ちゃんが引退した歳に、わたしもなる。今、わたしは、あんなふうに輝いているだろうか。近づきたい。奈美恵ちゃんだったらこんなことしないだろうな、とおもいながら脚でドアを開け閉めしているうちは、近づけないだろう。鼻に指つっこんで写真を撮ることも。否、奈美恵ちゃんもしているかもしれない。いやいや、奈美恵ちゃんはそんなことしない。

わたしは歌がすきなので、宇多田ヒカルとか、MISIAとか、吉田美和にも憧れている。Superflyもそうだ。どうしたらあんなにも声が出せるのか。同じ人間とはおもえない。どれだけレッスンしても、たどり着けない領域。そう感じる。昨日、テレビで宇多田ヒカルが歌っているのを聴いた。何がどうなったらああなるのだろう。不思議すぎる。真似して歌ってみても、遠すぎる。わたしの声、どうしたものか。

他にも、モデルの長谷川潤ちゃんや、ROLAもそうだ。もうスタイルが違いすぎてどうにも近づけるわけなんてないのだけれど、脚の長さがもう致命的である。

そんなたくさんの憧れを持っているけれど、じぶんという存在を否定するなんてことはない。わたしは、じぶんがすきだ。憧れは憧れ。そうなりたい、とおもうだけで、そうなれるわけではない。整形したりもしない。
いつかあるひとが言っていた。「憧れは憧れだから、絶対に手は届かない。憧れているだけは、そうはなれない」。現実的ではない、ということだ。「そうなりたいのであれば、憧れるのではなく、目標としてそこを目指す方がいい。」と。
そうなのかもしれない。そうであっても、憧れることは悪いことではない。目指せるのであれば、目指すのもいい。追い抜いたっていい。憧れていても、目指すことはできる。わたしのように真似して近づこうとしているひともいるだろう。
意識することで、変わることができる。変わることは、じぶんを失くすことではない。じぶんを創り上げればいいのだ。

わたしたちに「完成形」なんてものはない。
いつだって「未完成」。
その時々の憧れや理想で
じぶんを塗り替えていけばいい。

憧れに終わりはない。

答えにもなってない。

aico.

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