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#22-327 雨の日は。

雨の休日
のんびりドライブ
図書館へ

子どもは、学習スペースでお勉強。
ここの図書館、とてもすき。

もうすぐ受験だもんね
がんばってね

車で1時間ほどかかる。近くに図書館はあるけれど、ここがいい。
1時間かかっても、苦ではない。
1時間かけてでも、ここがいい。
そんな場所。

まず、わたしはStarbucksでタンブラーにコーヒーを淹れてもらう。たっぷり、grande size。それから、パソコンが使える席に座って、Free Wi-Fiにつないで、このnoteを書いている。Free Wi-Fiは連続で2時間、1日2回接続可能。4時間はここで座っていられる。図書館に来ているのに、本を開く時間は、ほんのわずか。「本を読め」とじぶんに突っ込みたいところ。今日は読もう。
お手洗いが各フロアにないので、それはちょっと不便。荷物を置いて行っても大丈夫か、ちょっとだけ不安。隣に座っていた看護の勉強をしていた女性は、何の躊躇いもなくパソコンを置きっぱなしで出かけて行った。
「大丈夫、わたしここにいるから見てるよ」
そんな台詞を言うまでもなく。
ここは平和な田舎町。
だけど、使いたいひとが使えないと困るから、長時間離れるときは持って行っていただきたい。そういう考えも、必要だ。これから社会に出るのなら。

子どもは、友だちを誘っていたようだけれど、なかなか「行く」と言えるほどの距離ではない。岡山市内からだと電車でも1時間近くかかるので、それならおうちで・・・となるひとも多いだろう。今日は雨。おうちがいいよね。またいつか。

最近はずっと、余裕なく過ごしていた業務も、ちょっと落ち着いてきて、おうちでも時間が作れるようになりそう。そうしたら、本も読めるし、お菓子も焼けるかもしれない。お部屋の片付けも、そろそろしておきたい。いらないものは捨てろ、と言われるけれど、いらないものは持っていない。買ってない。持ってるけれど使わないものはたくさんある。これを「いらないもの」と言われるのなら、お部屋にある殆どのものが「いらないもの」になる。
なかなか手放せないものに、ぬいぐるみがある。とてもある。「捨てる」なんてできない。愛着があるわけではないけれど、命がありそうで、捨てられない。悲しい想いをするかもしれない。トイ・ストーリーを観たからそうおもうわけではない。そう考えると、どうしても「捨てる」ことができないのだ。とはいえ、飾ってはいなくて、箱に入ったままなんだけど。暗い狭い中にいるのも、悲しい想いをしていることだろう。どうしたらいいものか。今わたしの部屋にある「つかってないもの」を整理したら、飾ることができるかもしれない。ぬいぐるみたちのために、そうするのもいい。毎日逢える。彼らは喜んでくれるだろうか。
「つかってないもの」たちは、捨てても悲しくないだろうか。捨てられて、どんな想いをするだろうか。彼らにも命があるかもしれない。きっと、ある。誰かの手によって、作られた命。

捨てなければならないのなら、買わなければよかった。

そんなふうに考えるようになって、ものを買うことは随分と減った。買うのはたいてい、消耗品。飾るもの、残るものを、殆ど買っていない。いちばん最後に買ったのは、いつだろう。思い出せない。ものは、いつまでも持っておけない。わたしが死ねば、処分されるだけ。お店に並んで、誰かの手に取られることを待っていても、いつかは捨てられるのだ。だけど、彼らにとってはそれでいいのかもしれない。ひとだっていつかは死ぬのだ。
誰だって、生まれた時点で死ぬことが確定している。ひともものも、同じだろう。だけれども、ものはひとよりも長生きできる。おじいさんの時計は100年生きた。それ以上生きているものも、幾つもある。そう考えると、ひとの命はとても儚い。生まれてすぐに消える命もある。どんなにがんばっても、おもうようには続かない。命とは、そういうものなのだろう。

何世紀も昔から残っているものは、この先もずっと生き続けていく。絵画も、器も、建物もそうだ。命を創ったひとは、逝ってしまっても。いつまで生き続けるのだろう。最期はくるのだろうか。

わたしの最期は、いつやってくるのだろう。

図書館の、大きな窓を流れる雲が、気の向きを教えてくれる。西へ、東へ。ゆっくりと流れる雲、時間も同じようにゆっくりと流れている。
黄色が多くなった山は、雲に覆われてときどき姿を消す。こんなにも近くにいても、見えなくなるほどの雲。

今日は、雨。
久しぶりに聴いた雷の音は少し寂しそうで、誰かに慰めてもらいたい空の声のような気がした。

大丈夫。
明日は、晴れるよ。

一緒に笑おう。

aico.




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