教員は社会人じゃないw←コレの違和感

 『学校の先生は変な人が多い。小学校→中学校→高校→大学→学校(教員)だから社会人じゃない。』と頻繁にネットで見かけませんか?

 初めて見た人のために私なりの解釈を説明します。『学校の先生は義務教育を終え、高校、大学と進学し、一般企業に就職しないまま教職に就くから学校という社会しか経験しない。』的なことが言いたいのだと捉えています。

 簡単な説明なので実際はちょっと違うのかもしれません。
 皆さんはどうでしょう。これに賛成しますか、それとも違和感を感じますか。

 私自身、教育系の学科に通っている者なのでこの話題には若干抵抗があります。それは、目指している職が社会的にはこういう偏った印象が働いている、自分の描いた目標を否定されている、という単純な感情論からきているからではありません。

 この偏見を語る前に、教育…教職との関わりはこの国では誰もが通る道であるからこそ印象だけで誰でも語れてしまいます。
 良く言えば、誰もが意見することができより良い教育や理想を語れるとも言えます。
 しかし、自らの経験だけでは測れないものもあります。だからこそ、それを理解した上で、この国の教育、教職について批判することは『教育の質』の向上にも繋がると考えます。

 つまり『教員は社会人じゃない』というのは、正確に捉えた言い方ではないとなります。『学校という閉鎖的な社会(空間)に囚われている』という表現の方が語弊を生じずに、伝えたいことを正確に伝えられますよね。

『教員は社会人じゃない』これに対して、『一般企業を経て教職に就いた先生は素晴らしい人だった』というのが必ずリプライにぶら下がります。私は元々企業からという先生との関わりがないのでこれに対しては特に言えることはありません。
 ただし、ここで注意すべき点は『企業を経て=素晴らしい教員』と証明するのは難しいでしょう。その経験値を教育現場で活かすことは、新卒教員との差別化は大いにあると思います。
 しかし、その先生(企業を経て)との思い出が先行して安易にイコールとするのは早計かもしれません。
 なぜなら、その先生が気質的にそのような素晴らしい方だっただけかもしれないという点が抜けているからです。
 この企業を経て教職になった先生が素晴らしいのは、企業での活躍があったから(因果)、そもそも人格者だったから(相関)この2点を踏まえる必要があると私は考えています。

あと、変な先生…というか子どもと関わるに相応しくない態度の教員もいますよね。それについても考え込むことがあるので後日書いていくつもりです。

てなわけで、モヤモヤしていたことを書いてみましたが、これが正しいというわけではないので、鵜呑みにしないようにしましょう。


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